2026年3月24日

【湖北史記 其の4】伊吹弥三郎から酒呑童子へ

 5月6日付けの本紙で、長く登山路が不明だった伊吹山の「天岩屋(あまのいわや)」が、岐阜県側で再確認されたという記事を読んだ。5月3日のことらしいが、その日、私もたまたま「長浜みーな」の取材で、滋賀県側から山頂に登っていた。

 伊吹山には弥三郎という怪物がいたという話がある。室町時代に成立した御伽草子(おとぎぞうし)の一つ『伊吹童子』にも出てくる物語だが、もともとは応永14年(1407)に成立した『三国伝記』という本に書かれている。

 伊吹山に住む怪物は、昼は山中の洞窟に住み、夜は関東・九州まで出向き盗賊を働いたという。近江国の守護であった佐々木頼綱は、天皇の命を受け、変幻自在に逃げ回るこの怪物を高時川の河原で討ち果たした。しかし、弥三郎の怨霊は毒蛇と変じて、高時川の井口を抑えて、流域住民を飢饉に陥れた。そこで、井明神として祀った所、逆に井の守護神と変じ、潤沢な水を施したという。

 さらに、この弥三郎伝説には基がある。それは、鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻鏡』や藤原定家の日記『明月記(めいげっき)』に出てくる伊吹弥三郎だ。この弥三郎は、柏原荘を本拠としていたが、時の政府から謀反人として扱われ、鎌倉時代の建仁元年(1201)に、佐々木信綱によって討伐されたと記されている。この弥三郎は、実在の人物だが、誅罰されるまで約半年かかった。その間、山中に逃亡、周辺の村人にとっては恐怖の人物に変じていった。それが、怪物の弥三郎伝説を生んだと考えられている。

 実は、この弥三郎伝説はさらに変化を遂げる。戦国時代には、別に伝えられた丹波・丹後に住む大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)伝説と一体になって、鬼の頭目である酒呑童子が伊吹山に住んでいたという話が現れた。酒呑童子伝説を記す絵巻物の中でも良本とされるサントリー美術館本の重要文化財『酒伝童子絵巻』のストーリである。この話では、酒呑童子を退治に来た源頼光の兜に、切られた酒呑童子の首が食らいつくという場面が印象的だ。

 宮崎駿(はやお)監督の映画「もののけ姫」。シシ神の首を取りに行く話だが、この伊吹山の酒呑童子がベースになっていると聞く。鎌倉時代に討伐された弥三郎は、長い歴史のなか人々によって肥大化し怪物に変じる。さらに、現在のアニメにも神として登場する。人間の想像力には舌を巻かざるを得ない。鎌倉時代に追われた弥三郎は、伊吹山のどこに逃れたのだろうか。「天岩屋」だったとしたら、私も行ってみたい。

 

栄華を極める酒呑童子(左端)国立国会図書館「伊吹とうし」より

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2022年5月16日掲載)

2026年3月24日

長浜市内3小学校で閉校式

伊香具、永原、塩津、児童減少で統廃合

 長浜市内の伊香具、永原、塩津の3小学校で22、23日、閉校式が行われ、児童らが校舎に別れを告げた。いずれも児童数の減少に伴う統廃合で、伊香具小は木之本小と統合し、永原小と塩津小は西浅井小となる。

 賤ケ岳のふもとにある伊香具小(木之本町大音)の閉校式は22日、同校体育館で行われた。1910年に伊香具北尋常小学校と伊香具南尋常小学校の統合により創立され、31日で115年の歴史に幕を下ろす。

 式では藤居真弓校長が「閉校は寂しさもあるが、ここで培われた誇りや思い出は皆さんの心の中で生き続ける」とあいさつ。児童代表の佃匠人さん(5年)は「閉校が近づくにつれて不安や寂しさが増えてきたが、下を向かず毎日を元気に明るく楽しく過ごしてきた。4月からは新しい友達をつくり楽しい学校生活を送れるよう前向きに頑張る。校歌のように伊香具小でぐんぐん伸びた僕たちの姿をこれからも応援してください」と語った。

 体育館には「いかぐ小だいすき  おもいでありがとう」と書かれた横断幕が掲げられ、児童や地域住民らが別れを惜しんだ。

 この日は閉校記念イベントもあり、タイムカプセルの掘り起こしが行われたほか、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」に出演する俳優の白石聖さんを招いたトークイベントも開かれた。

 白石さんは児童からの質問に答え、「新しい場所では少し勇気を出して自分からあいさつすることが大切。焦らず、自分らしく楽しく過ごしてほしい」とエールを送った。また将来の夢については「漫画家やお笑い芸人など多くの夢があった。今は俳優としてさまざまな職業を体験できている」と話した。

 

 

2026年3月23日

「彦根映画祭」 28・29日開催

ひこにゃん主演作品ロケや上映会など

 「彦根映画祭2026」が28、29日、プロシードアリーナHIKОNEで初めて開かれる。市や彦根商工会議所、彦根観光協会などの実行委員会が「映画のまち彦根」を市内外に広く発信しようと企画した。

 多目的ホールでは、彦根市内でロケが行われた映画10作品の中から市民投票で最多の2205票を獲得した「翔んで埼玉〜琵琶湖より愛をこめて」を両日午前10時から上映。このほか、「花まんま」(28日午後1時半)、「BADLANDS バッド・ランズ」(同5時半)、「偉大なる、しゅららぼん」(29日午後1時)、「レジェンド&バタフライ」(同4時10分)と話題作が並ぶ。各作品オリジナルクリアファイル付きで有料の指定券とペア券がある。

 サブアリーナでは、ひこにゃん主演のショートムービーの公開ロケを実施。女優の小澤真利奈さんを招き、演出指導やカメラ撮影などをワークショップ形式で行う。2日間で撮影した模様は約15分の映画「夢にむかって。」として4月中にインターネットで公開予定。

 メインアリーナでは、28日午後4時から「映画のまち彦根の魅力について」をテーマに映画監督の前田哲さんやお笑い芸人のこがけんさんらを招いたパネルディスカッション、29日午後3時から映画「レジェンド&バタフライ」の大友啓史監督の講演会、両日に撮影用マイクロドローンの仕組みを学ぶワークショップなどがある。

 28日午後1時10分からビバシティ彦根1階で、こがけんさんらが登場してのPRステージもある。映画入場券の入手方法やスケジュールはhttps://hikonefilmfestival.com/から確認できる。

「彦根オープンセット」公開 2日間限定、鳥居本町の撮影所

 映画祭のサテライト企画として、彦根市鳥居本町の「彦根オープンセット」が両日限定で一般公開される。

 2019年3月に整備された同施設は、時代劇や映画、ドラマの撮影所として活用されており、普段は立ち入ることのできない撮影現場を間近に体感できる貴重な機会となる。公開時間は午後1時から同5時までで入場無料。駐車場に限りがあるため、入場制限を行う場合がある。問い合わせは事務局の彦根市エンターテインメント課☎0749(30)6153へ。

(滋賀彦根新聞)

2026年3月23日

伊吹高書道部 まねき札など揮毫

長浜曳山まつり「萬歳楼」の依頼受け

 長浜曳山まつりの今年の出番山、瀬田町組・萬歳楼は、伊吹高校書道部に依頼していた演目名を記す「外題札」と、役者らの名前を書く「まねき札」を20日、同校で受け取った。子ども役者や若衆が同校を訪れ、部員が揮毫した札を手にした。自分の名前が書かれた札に、子どもたちは笑顔を見せた。

 萬歳楼では「書の甲子園」などで活躍する書道部に初めて制作を依頼し、快諾を得た。この日は子ども役者ら8人が若衆とともに同校を訪れ、部員11人がそれぞれ揮毫した外題札1枚と、まねき札10枚を受け取った。

 書道部部長の長谷川優菜さん(2年)は「普段は迫力ある字を書くが、今回はきれいな字を意識して書いた。長浜の伝統ある曳山まつりに関われて光栄。子ども役者にはかっこいい演技をしてほしい」と話した。

 生徒が「頑張ってください」と声をかけると、若衆は「ヨイサーヨイサー」の掛け声で応えた。

 若衆筆頭の村田耕平さんは「今年は豊臣博覧会もあり、多くの人が長浜を訪れる。記念すべき年に高校生に書いてもらえて良かった。この取り組みを通じて交流が広がれば」と期待を寄せる。

 長浜曳山まつりは4月13日に開幕。春休みに入り、子ども歌舞伎の稽古も本格化する。

2026年3月19日

姉水会奨学財団に1千万円寄付

卒業生の石井さん、教育振興へ

 虎姫高校同窓会を母体とする公益財団法人姉水会奨学財団に、同校卒業生の石井かおるさんから1000万円が寄付され、贈呈式が19日、同校校長室で行われた。

 石井さんは1978年卒業。幼少期から湖北地域で育ち、「湖北工業」で役員も務めた。会社が地域に支えられて成長し、自身もこの地で人生を重ねてきたことから、「長年育ててもらった湖北に恩返しをしたい」との思いを抱き、夫で同社社長の太さんの後押しも受け、「何か形にしたい」と奨学財団への寄付を決めたという。

 贈呈式で石井さんは「若い人たちの将来に少しでも役立ててほしい」と語り、「人生には山も谷もあるが、こつこつ努力を続ければきっと良いこともある。将来は明るいので、あきらめず頑張ってほしい」と後輩にエールを送った。

 寄付金は、同校で進められている国際バカロレア教育に関連する海外短期留学など、教育支援に活用される。大塚敬一郎理事長は「資金が目減りする中で大変ありがたい寄付。生徒の学びや挑戦を後押しするため大切に使いたい」と話している。

 同財団は2019年、同校創立100周年記念事業の一環として設立。20年に公益財団法人として認定され、これまでに延べ54人に奨学金を給付し、海外留学や資格取得などを支援してきた。

2026年3月19日

【湖北史記 其の3】「乗合馬車」と「馬車道」

 4月21日付けの本紙で、東上坂町の古民家において、「馬車道の時刻表」が発見されたと報道された。冒頭に「乗合馬車時間及賃金表」と記されたこの看板は、杉材で縦39・7㌢、横96・5㌢、厚さ1・7㌢のもの。馬車の発車時刻と運賃が記されている。明治16年に開通した関ケ原・長浜間の鉄道は、明治32年に廃線となり線路が撤去され、東上坂・八幡中山(現在の分木町地点)間については、線路敷の直線道路に、明治35年から昭和初年まで「乗合馬車」が運行されていた(昭和19年から翌年まで一時復活している)。

 現在の分木町の柏屋老舗(和菓子屋)の場所が終点だったのは、大通寺東から北に上がる十里街道との交差点だったからである。同記事にもあったように、これまで「乗合馬車」は、東上坂・八幡中山間しか知られていなかったので、この看板の出現で春照(米原市)・東上坂間も運行していたことが確認できたことになる。さらに、この看板は「春照より長浜に至る」とあるなど、春照を起点にしているので、そこに設置された馬車駅に掲示されていたものと推定される。

 この「乗合馬車」については、片桐正二郎さんの『北國街道  今は昔  馬車道物語』(2000年刊)に詳しい記載がある。そこには、東上坂町の野村さん(今回、看板が発見された家)がこの馬車を経営しており、かつては道端や家の裏に馬小屋があったと記す。さらに、東上坂から今の三菱ケミカル滋賀事業所の敷地にあった長浜高等女学校へ、「乗合馬車」を使って通った田辺さんという女性の証言も載せている。

 当時の女学校は4年制で、彼女は昭和元年4月に入学して、昭和5年3月まで通ったというから、その頃までは馬車は運行し、その後にバスに取って替わられたのだろう。同書には野一色(米原市)の人が上坂まで歩き、そこから馬車に乗って、夏中さんに行ったという証言も紹介しているので、春照・東上坂間の馬車は運行していなかった時期もあったようだ。

 この「乗合馬車」が通った道を、今でも我々は「馬車道」と呼ぶ。正式な道路名ではないが、今も長浜市民には親しまれた名称だ。それは、この馬車が当時の長浜の人々にとって欠かせない乗物だったからだろう。市民の間で守り続けられてきたこの道路名は、長浜の「近代化遺産」として大切にしたいものだ。

 

馬車道を行く馬車「写真集・長浜百年」(長浜市刊)より

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2022年5月6日掲載)

2026年3月19日

【湖北史記 其の2】長濱八幡宮と長浜町

 長浜曳山祭が、天候に少々悩まされながらも無事終わった。曳山祭は、言うまでもなく「長濱八幡宮」の春の祭礼を町民が祝うものだが、羽柴秀吉の「まちづくり」と大きく関わっている。そもそも、秀吉がこの地に築城する以前は、この神社は「長濱八幡宮」とは言わなかった。「其の1」で話したように、「長浜」の地名が秀吉以降なのだから、それ以前の中世・戦国時代に「長濱八幡宮」という名前があるはずがない。では何と言ったか。

 同宮に残る史料には、「江州(ごうしゅう)坂田郡八幡別宮」とある。「長濱八幡宮」の草創については、さまざまな説があるが、平安時代に京都の石清水(いわしみず)八幡宮が、今の長浜市街地に移された神社と見るのが、最も史実に沿った見解だ。だから、石清水八幡宮の坂田郡にある「別宮」の意味で、上記の社名がつけられた。

 ところで、秀吉以前の「坂田郡八幡別宮」は、どこにあったか。この疑問には、二つの説がある。その一つは、長浜市街地の八幡町(やわたまち)にある神明神社付近という説である。神明神社は「よじむ湯」(閉業)という銭湯の西隣にあたる。付近の旧町名を八幡町というのも、かつて八幡宮があったことに由来する。

 もう一説は、八幡宮の由来記に出てくる話で、大手町の小山仁右衛門宅付近であったという。小山仁右衛門宅は、今も大手門通りにある小山仁商店。どちらが正しいかは判断がつかないが、秀吉以前の八幡宮は今よりも広大な敷地を有していたと思われるので、前者から後者の区域全体をカバーしていた可能性が高い。要は、現在の長浜市街地全域が八幡宮境内だったと考えられる。

 羽柴秀吉は、天正2年(1574)、長浜城下町の築造にあたり、この八幡宮を東へ大移動させて、そこに広大な空き地を造り、思うように碁盤目状の城下町を造成したのである。言ってみれば、真っ白な紙の上に、意図通りの都市計画が実行できた。これが、新時代の都市計画による近世城下町・長浜を生んだ背景であった。信長の岐阜や安土は、前代の町の区画に規制されて、思うような都市計画ができなかったのとは好対照である。

 こう考えれば、長浜の「まちづくり」が成功したのは「長濱八幡宮」のおかげと言える。その意味で秀吉は同宮の復興に力を尽くしたし、町人も神の東への遷座に感謝しただろう。曳山祭はその神の「引越し」への感謝の祭とも言える。

 

長浜八幡町の神明神社

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2022年4月20日掲載)

2026年3月19日

【湖北史記 其の1】今浜から長浜へ

 先月20日・21日に長浜文化芸術会館で行なわれた市民創造オペラ「しのぶときく」は、両日で5百人以上の観客を集め大成功に終わった。このオペラは、今浜村の漁師たちが参加して長浜築城が行なわれた話に、長浜城人柱伝承を織り交ぜて脚色したドラマだった。その中でも秀吉が「今浜」の地名を改め「長浜」としたのは、主君である織田信長の「長」の意味だというセリフがあった。

 「今浜」の地名だが、長浜八幡宮に残る永享7年(1435)の猿楽観覧の座席一覧には「今濱村」の村名が見え、その代表者として道林や道秀の名がある。さらに、神照寺に残る同時代の寺田記録には、「イマハマノ法住」や「今濱三郎左衛門」の名前が登場する。これらから、「今浜」は確実に室町時代から存在した村名であり、そこに住民がいたことも確かである。「今」には「新」の意があり、新たに開発された漁港というのが地名の意味だろう。

 その今浜村について、江戸中期に成立した地誌である『淡海木間攫(こまざらえ)』には「長浜町…古ハ今浜ト号セリ、豊臣秀吉公、長浜改名セシメラル」とあるように、改名したのは秀吉であることが、江戸時代以来言われてきた。ただ、「長浜」の地名の由来は、いま一つ明快ではないというのが歴史学の立場である。

 竹中半兵衛の子・重門(しげかど)が著わした秀吉の伝記『豊鑑(とよかがみ)』の「長浜真砂(まさご)」の項に、「君が代も我が世も千代に長浜の真砂の数の尽きやらぬまで」の歌が掲載されている。豊国神社南の「長浜開町四百年記念碑」には、これを竹中半兵衛の作として記すが、原本には「誰人の詠みしといふ事も忘れにけり」とある。「君が代」の「君」は織田信長と解せば信長の世が長く続くようにとも読めなくはないが、一般的には天皇と考えるべきであろう。読んだ人物が秀吉や半兵衛ではなく「詠み人知らず」ならなおさらだ。

 この歌は、湖岸の「真砂」の数が無数なように、末永い長浜の繁栄を歌ったものである。そう考えれば、「今浜」からの「長浜」への改名は、古代から現代まである瑞祥(ずいしょう)地名(キラキラ地名)の一つと考えるべきで、信長の「長」と考える必要は必ずしもない。我々は、この伝統ある地名がつくマチの繁栄を、文字通り無限に継続させる使命がある。ふと考えれば、再来年は開町450年の記念すべき年だ。

長浜開町四百年記念碑(南呉服町)

「湖北史記」の連載に当たって

 筆者は昭和61年に長浜城歴史博物館の学芸員として就職し、同館で展示・講演・調査研究活動を行なってきた。平成26年から3年間、同館の館長を務め、その後長浜市役所歴史遺産課で、文化財業務全般を担当してきた。今年3月、長浜市役所を退職したのを機に、「淡海歴史文化研究所」を立ち上げ、長浜市や米原市の歴史をやさしく、かつ史実に沿って深掘りする「湖北史記」を本紙に寄せることを思い立った。基本、2週間に1回のペースで、湖北史の読み直しを続け、歴史と現代社会の関わりを追求したい。

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2022年4月8日掲載)

2026年3月18日

カレーの匂い分かる?

デイサービス「ほほえみ」で嗅覚トレーニング

 社会福祉法人近江幸楽会が運営するデイサービスセンター「ほほえみ」(下坂中町)で、嗅覚を刺激する「オルファクトリートレーニング(嗅覚トレーニング)」の取り組みが行われている。加齢に伴う心身の衰え「フレイル」の予防につなげようと、利用者が香りを嗅ぎ、嗅覚を意識する機会を設けている。

 きっかけは、同センター管理者の林直子さんがフレイル予防の事例として嗅覚トレーニングを新聞で知ったこと。昨年7月に京都で開かれた学会を聴講し、センターの利用者にも応用できるのではないかと考え、翌8月から導入した。

 トレーニングでは透明の小瓶に入れた香りを利用者に嗅いでもらい、「匂いがするか」「何の匂いか」を感じ取ってもらう。中身が見えないよう手拭いで目隠しをした状態で行い、1日2回実施。入浴剤や線香、カレー粉、柑橘系アロマ、ラベンダーオイルなど、利用者にとって身近な香りを用いている。差し出した小瓶すべてに「匂いがする」と答える利用者もいるため、現在は反応を確かめるために空の小瓶も用意している。

 利用者の反応は「何の匂いもしない」「匂いはするが種類が分からない」「匂いが分かる」などさまざまで、日によって変わることも多く、成果は一進一退という。ただ、これまでに2人の利用者が匂いをかぎ分けられるようになった。

 林さんが驚いたのは、刺激の強いカレー粉の香りについても「匂わない」と話す利用者がいたことだ。「これではガス漏れや傷んだ食べ物、排せつ漏れにも気付かないのでは」と、嗅覚低下の危険性を感じたという。

 嗅覚は、視力の眼鏡や聴力の補聴器のように機能を補う身近な道具がないことから、機能低下の予防が欠かせない。

 このトレーニングが嗅覚や認知の機能向上につながっているかは現時点で確証はないが、林さんは「継続することで嗅覚や認知機能を維持し、低下を防げれば」と話している。

2026年3月18日

「文豪カフェ」夢京橋にオープン

名著5500冊、川端康成の別荘建材使用

 彦根市本町の夢京橋キャッスルロードの旧駄菓子店に18日、ノーベル文学賞作家・川端康成の軽井沢別荘で使われていた建材の一部を用いてリノベーションした店「文豪カフェ」がオープンした。2階建てのスペースに古書から新書まで計約5500冊の本が並び、ノスタルジックな空間で読書が楽しめる。

 運営会社は、バイオ医薬品開発や文化事業のGCAT社(岐阜県垂井町)。垂井町や米原市内に音楽ホールなども手がけている。同社会長で同店のオーナーを務める所源亮さん(77)の祖父・藤村耕一は、大正11年(1922年)から昭和25年(1950年)まで刊行された恋愛の小説や随筆、詩を収録した雑誌「令女界」の編集者。川端もその雑誌に寄稿していた。所さんが軽井沢で書店を経営していた2021年秋に、川端の別荘が解体され、京都大学建築学科の協力で保管されていた。

 キャッスルロードにオープンした店は、川端の別荘で使われていた窓サッシや柱、壁板などを使用しているのが特徴。表の1階スペースには川端をはじめ、夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、谷崎潤一郎、志賀直哉、太宰治、三島由紀夫、大江健三郎ら明治から昭和の戦後を代表する文豪たちの古書約150冊をそろえている。文豪たちの古書コーナーの一角には当時の「令女界」をはじめ、大正14年(1925年)創刊の雑誌「若草」なども並べている。

 2階では「世界の知にふれる」をテーマに、宇宙や神話、哲学、文明、経済の分野の名著、講談社の科学系新書シリーズ「ブルーバックス」や中公新書の本が読める。1・2階全体で約5500冊を陳列。2階を含め30席以上あり、トーク会や講演会、小規模な音楽会も開催できる。利用料はコーヒーと茶のパック付きで3時間2000円。

 1階の奥スペースは予約制だが、レコードが聞ける「音響の間」、高級家具と名画に囲まれた「応接の間」、和室の「瞑想の間」があり、中庭も整備されている。

 店内では、オリジナルのレターセット、ノート、ペン、ボールペン、鉛筆などを文具のほか、ブータンの冬虫夏草を使った茶やサプリメント、ブータンの冬虫夏草入り飼料を食べたニワトリの卵、恵那川上屋の栗あんぱんも販売している。

 文豪カフェの本店に隣接する支店のカフェは今月末にオープンし、ブータンの冬虫夏草の飲料やブルーマウンテンのコーヒー、恵那川上屋の特製ホットケーキなどを提供する。

 所さんは「川端康成が過ごした空間の一部が彦根の地によみがえった。一日中でも半日でもいいので、自分のための自由な時間をここで過ごしてほしい」と話している。同店の営業時間は午前10時〜午後5時。月火曜休み。問い合わせは同社℡0584(47)7111。

(滋賀彦根新聞)

 

 

 

2026年3月18日

紅葉の憩いの場「にしきのおか」

長浜ロータリークラブ75周年で豊公園に整備

 長浜ロータリークラブは創立75周年記念事業として、豊公園の長浜城歴史博物館東側に紅葉が楽しめる丘「にしきのおか」を整備し、14日、現地で披露目と記念碑除幕式を行った。姉妹クラブの台北市東門ロータリークラブのメンバーも出席し、新たな市民の憩いの場の完成を祝った。

 同クラブは1951年2月26日、「超我の奉仕」を掲げ、京都ロータリークラブの支援を受けて全国で57番目のクラブとして設立された。当時の長浜は戦後の混乱から復興しつつある人口約5万人の町だったが、交通の要衝として古くから栄え、江戸時代後期には繊維産業が発展。浄土真宗の文化が根付き、県内初の銀行や小学校が設立されるなど文化的にも先進的な地域として知られていた。こうした中で、商工会議所の「木曜クラブ」を母体に26人のチャーターメンバーが集まり、クラブが誕生した。

 今回整備した「にしきのおか」は約2700平方㍍。丘の高さは約3㍍で、もともとあったモミジ15本に加え、新たにイロハモミジの若木55本を植えた。遊歩道も整備し、健康遊具ベンチ2基を設置。散策や軽い体操、健康ウォークなどに気軽に利用できる空間として整えられた。5月9日には市民参加の植樹式を予定しており、さらに10本を植える。

 丘の一角には記念碑も設置された。幅3㍍、高さ1・3㍍で、約2㌧の御影石を使用。文字は「今年の漢字」の揮毫で知られる京都・清水寺の森清範貫主が手掛けた。

 同クラブの中村彰男会長は「にしきのおかが季節とともに育ち、多くの人に愛される場所となることを願っている」とあいさつ。原馬良典実行委員長も「市民の心のよりどころとして、皆さんに慕われる場所になれば」と期待を寄せた。森貫主は「75年は一つの通過点。これを機にクラブがさらに発展することを祈念します。普段は1字を書くことが多いが、今回は大サービスで6字を書いた」と語り、会場の笑いを誘っていた。

 整備を担当した中川造園の中川茂樹さんは「早ければ今秋にも紅葉を楽しめるのでは」と話している。

2026年3月13日

クラブハリエとひこにゃんコラボ

誕生20周年で限定販売、たねや2商品も

 たねやとクラブハリエは12日、ひこにゃんの誕生20周年を記念した新商品を発表した。

 クラブハリエの商品は「バームクーヘンmini3個入 ひこにゃん20周年限定パッケージ」。かぶとの天衝き入りのひこにゃんの顔と20周年のロゴを入れた立方体の箱に、直径7・8㌢×高さ2・8㌢のバームクーヘンが3個入っている。彦根美濠の舎やたねや・クラブハリエの公式オンラインショップで、4月1日から限定1万2000個を発売。1個1836円。

 たねやの商品は、最中の「ふくみ」5個入りと、栗饅頭・最中の2個ずつの詰め合わせで、それぞれ、ひこにゃんの顔で埋め尽くされた箱型と手持ちができる型になっている。ふくみ天平のセットが1620円、栗饅頭・斗升最中のセットが1188円。14日までラコリーナ近江八幡で先行販売した後、4月1日から彦根美濠の舎やたねや・クラブハリエの公式オンラインショップで、4月1日から通常販売される。いずれも予約可。

 クラブハリエ営業部の水森貴文部長(45)は「この商品でひこにゃんの20周年を盛り上げてほしい。市民の皆さんにも手土産として使っていただきたい」と話している。

(滋賀彦根新聞)