伊香高野球部の山本君、全力で応援
秋の県大会で22年ぶりにベスト4入りした伊香高校野球部。スタンドには電動車イスの生徒がチームメイトとの約束を守り、いちずに応援し続けていた(以下敬称略)。
重度の障害を持つ山本陸(17)=彦根市西今町=は脳性マヒで、手足が自由に動かない。中学の時、電動車イスサッカークラブの仲間から「教師との距離が近く、周囲の人が優しい」と伊香高の評判を聞き、進学しようと考えた。しかし、南彦根駅から電車で通うことになる。学校も小高い丘の上にあるため、親たちは賛同しなかったが、説得し、入学することができた。
中学まで特別支援学級に入っていたため、ほぼ1人ぼっち。高校に入ってからは野球が好きだったせいか、部員たちとは話があった。中でも同じクラスの隼瀬一樹とは仲が良く、野球部に入るよう、薦められた。
「周りの迷惑になる」と辞退しようとしたが、「甲子園に連れていくから、スタンドで応援してくれ」(隼瀬)「甲子園でも、どこでも応援しにいく」(山本)と約束を交わし、小島義博監督や部員たちも温かく迎え入れてくれた。
野球部ではマネージャーとして、ほぼ毎日グラウンドの選手たちを見守る。試合中はスコア表示を担当。遠征試合や合宿も帯同し、春の関東遠征では選手たちと寝食をともにした。
秋の大会では仲間の部員たちとスタンドで応援。エース・隼瀬の性格を一番知っている山本は「緊張したら周りが見えなくなるはず」と「落ち着け」「大丈夫」「集中、集中」などと、ピンチの場面で精一杯、スタンドから声を掛け続けた。
しかし、チームは3位決定戦で敗退。近畿大会には行けなかった。山本は「強豪や私学に勝ち、ベスト4まで行けたのでこれからは自信を持って戦っていける」と期待をかけ、「野球部に入っていなかったら、学校を辞めていたと思う。ここまでこれたのはみんなのおかげ」と目を潤ませていた。
特別扱いせず、自然に。障害者への理解深め、ともに歩む
電動車イスというハンデを持つ山本が野球部に入部しても小島監督は「やるからには、できることを求める」と特別扱いはしなかった。
女子マネージャーと同様、ノックのボール渡しを手伝わせたり、スコアボードの表示も任せた。失敗することもあったが、小島監督は他の部員同様、厳しく指摘した。マネージャーの仕事は酷で無理かと思われたが、機能訓練(リハビリ)にもなるはずと、監督の親心だった。
山本は長時間、座っていることができず、2泊3日の関東遠征では大型バスの最後列に寝かせ、移動。同行した支援員や大人の手により、車から昇降していたが、自然と選手たちが手伝うようになった。部員たちはともに行動をするうち、自然と向き合うようになり、人(障害者)に対する優しさや思いやりが身についていった。
朝はいつしか全選手が木ノ本駅まで迎えにゆくのが日課となった。日を追うごとに、山本も「1人じゃないんだ」そう思うようになり、公式戦では全力で応援している。
小島監督は「障害を持った生徒の大きなチャレンジ。まだまだ、野球部も可能性はある。選手たちが一生懸命頑張っているか、見守っていてほしい」と話していた。