2024年7月31日
北政所ねね400年遠忌 長浜城博物館で特別展
豊臣秀吉の正妻・北政所(きたのまんどころ:ねね、高台院)=1624年没=の400年遠忌にあわせ、長浜城歴史博物館は8月3日から特別展「北政所と秀吉 ゆかりの地・高台寺の美と文化」を開く。秀吉の菩提を弔うためねねが京都・東山に創建した高台寺の協力を得て、同寺の至宝の数々を紹介。ねねの半生を振り返る。
ねねは織田家の足軽頭・浅野長勝の養女として信長の家臣の秀吉に嫁ぎ、1585年の秀吉の関白就任に伴って北政所と称されるようになった。秀吉没後は大坂城を出て京都に移住。落髪して高台院を号し、1606年に高台寺を創建した。
特別展では高台寺が所蔵する貴重な資料51点を含め計60点を展示する。
「高台院像」(絹本著色、桃山時代)は高台寺に伝わる高台院の肖像画。1603年(慶長8)に後陽成天皇から高台院の院号を授与されたねねは、その号にちなんで高台寺を建立した。肖像画は頭巾をかぶった尼姿の高台院が右手に数珠を持ち右膝を立てた姿勢で描かれている。他に伝わる高台院の肖像画よりも若々しい容貌で、さらに頭巾の下に髪の生え際がうかがえることから、高台院を名乗る以前に制作された寿像(存命中に描かれた肖像画)の可能性が指摘されている。
「大随求(だいずいぐ)菩薩坐像・毘沙門天(びしゃもんてん)立像・吉祥天(きっしょうてん)立像」(桃山時代)は秀吉とねねをまつる高台寺の霊廟「霊屋(おたまや)」に秘仏本尊として安置されている仏像。このうち、大随求菩薩坐像は秀吉の念持仏(身辺に置いて拝む仏像)と伝えられ、戦陣に臨む際には必ず携帯したという。
「北政所消息 こま井次郎さへもん宛」は大坂城にいる北政所が侍女に書かせた書状。総持寺(宮司町)に属している5、6人の被官(奉公人)たちは「あけち(明智)の乱」(本能寺の変)のとき、「金吾様」(後の小早川秀秋)を匿った御礼として寺に付けたものなので、これからもその存続を認めるよう述べた内容。1582年(天正10)の本能寺の変の際、長浜城内にいたねねは家臣たちと城を脱出し、伊吹山の山麓に身を隠したが、幼い金吾だけは長浜城からほど近い総持寺に預けられていたことがわかる。
博物館は「この展覧会を通して、豊臣の世から徳川の世へ移り変わる激動の時代を感じとっていただき、強くしなやかに生きた北政所の半生から今を生きるヒントを見つける機会としてもらえれば」と来館を呼びかけている。
会期は前期が3日から25日、後期が27日から9月16日。午前9時から午後5時まで。入館料は大人410円、小中学生200円(長浜、米原は無料)。8月17日午後1時半から展示説明会がある。