2026年3月31日

南風さん「ストリート講談」開幕

曳山博物館広場で週末披露

 講談師の旭堂南風さんによる「長浜ストリート講談」が28日、曳山博物館広場で始まった。

 NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放送と北近江豊臣博覧会の開催に合わせ、南風さんが独自に取り組む企画。観光客らに地域の歴史文化の魅力を伝えようと、週末を中心に月4回程度開催する。観覧は無料の投げ銭制。

 初日は、羽柴秀吉と秀長による長浜城築城や城下町整備の過程を題材に、張りのある語りで物語を紡いだ。今浜から長浜への改称の経緯や曳山まつりの起源に加え、浅井家滅亡後に秀長の計らいで旧家臣らを取り込み、まちづくりに生かした経緯にも触れ、地域の歴史的背景を立体的に描き出した。語りの合間には来場者に語りかける場面や、人物の心情を言い換えて示す場面もあり、物語への理解を促した。

 南風さんは大津市在住。「県内在住唯一の講談師」として売り出し、滋賀の歴史を分かりやすく伝える活動に尽力。2024年には大河ドラマ「光る君へ」に合わせ、石山寺門前で640回の講談を重ね、大津市から文化奨励賞を受賞している。

 南風さんは「いよいよストリート講談が始まった。地元の方はもとより、観光で訪れた皆さんの楽しい思い出となるよう、おもてなしの心と気合を入れて頑張りたい」と話している。

2026年3月30日

小学生コンビ、三番叟で共演

三味線・岸縄さん、役者・内堀さん

 長浜曳山まつり(4月13〜16日)の子ども歌舞伎の開幕を告げる「三番叟」で、米原市立大原小5年(新6年生)の岸縄律さんが三味線奏者を務める。長浜曳山まつりで小学生が三味線を担当するのは初めてとみられ、最年少での大役に挑む。

 岸縄さんは幼い頃から、まつりのしゃぎりの笛の音に親しみ、小学2年生で演奏を始めた。4年生の時には子ども歌舞伎役者として月宮殿の舞台に立つなど、曳山文化に触れてきた。

 昨年6月からは三役(振付、太夫、三味線)を育成する三役修業塾に入塾。週2〜3回の稽古を重ね、力を磨いてきた。本番では、中学生時代に三番叟の三味線を担当した豊澤和賀さん(26)=本名・中川凌さん=と連れ弾きで出演し、舞台を支える。

 一方、三番叟役者は2月の矢籤神事で選ばれた内堀琳太さん(びわ南小3年=新4年生)。曳山博物館のワークルームで稽古に励み、「鈴を手に取って舞うところが難しい。本番では驚いてもらえる踊りを見せたい」と意気込む。

 29日には2人がそろって稽古に臨み、三味線の音に合わせて動きを確認。岸縄さんは「間の取り方が難しいが、賑やかな演奏で舞台を盛り上げたい」と話し、内堀さんも「緊張するけど楽しみ。友達も見に来る」と本番を心待ちにしている。

 長浜曳山まつりは来週4月9日からまつりの成功や役者の健康などを祈願する「裸参り」が始まる。

 

 

2026年3月27日

【湖北史記 其の6】地名の話  「加田」か「神田」か

 前回に少し触れたが、今回は「加田(かだ)」と「神田(かんだ)」の違いの話をしたい。江戸時代を通して現在の長浜市加田(かだ)町・加田今町は、「加田」と表記されていた。遡って中世には、加田荘という荘園もあった。では、いつから神田(かんだ)パーキングエリアや神田まちづくりセンターでお馴染みな「神田」の地名が登場したのか。

 明治22年(1889)の町村制施行段階で、加田・加田今の大字(おおあざ)は、現在の米原市宇賀野や長沢と同じく法性寺村(ほうしょうじむら)に編成された。しかし、明治30年(1897)になって、この2字は法性寺村から独立、神田村となった。これが、「神田」の字が使われた最初と考えられる。加田・加田今に音が通じ、しかもどちらかに重きをおいた感じではないことを理由に、「神田」の村名が選択されたという。以後、両大字(両町)を総称する地名として、現在まで「神田」の地名が使われてきた。

 ただ、気になることがある、「加田」は「かだ」と読み、「神田」は「かんだ」と読む。これで、音が通じると言えるのだろうか?この疑問に答える文書が2通ある。一通は加田町の旧家に伝来した柴田勝家禁制で、賤ヶ岳合戦時の天正11年(1583)4月に、陣取・放火、それに木の伐採をしないと表明した文書である。宛名(あてな)は「菅田郷」とある。もう一通は、天正13年(1585)閏8月22日に、豊臣秀吉が佐和山城主の堀尾吉晴へ宛てた朱印状である。そこには、吉晴に預けられた秀吉直轄領(ちょっかつりょう)の場所として、朝妻・常喜などと並んで「かん田」の地名が見える。

 この「菅田」も「かん田」も加田村・加田今村を指すことは容易に推察されるが、これらの表記からすれば、戦国時代には「加田」は「かんだ」と発音していたのではないか。実は、寛政4年(1792)に編まれた地誌『淡海木間攫(おうみこまざらえ)』にも、「加田」と書いて「かんだ」と唱えてきたとある。つまり、中世の加田荘、近世の加田両村とも、「加田」と書いて「かんだ」と発音していた可能性が高い。

 中世・近世から「加田」を「かんだ」と読んでいた地域住民にとっては、「神田」は音も通じ、「神の田」で目出度い「神照」と同様な瑞祥(ずいしょう)地名で歓迎すべき命名だった。であれば、現在の「加田」の町名も、「かんだちょう」・「かんだいまちょう」と発音した方がいいのかもしれない。ただ、「そんな急に」という話なので、神田パーキングエリアに駐車した折などに、この話を思い出して頂ければと思う。

 

神田パーキングエリア(下り)銘板

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2022年6月2日掲載)

2026年3月27日

【湖北史記 其の5】「神照」はなぜ「かみてる」と読むか

 昨年の長浜小学校に続き、神照(かみてる)小学校が来年2月1日で創立150周年を迎えるという。その記念事業の準備も始まっている。そんな中、神照小学校の校名の由来を質問された。

 そもそも、いつから150年かと言えば、明治6年(1873)2月1日、神照小学校区内の国友村に郁文(いくぶん)学校が出来たのを起源とする。その後、神照地域にできた他の4つの小学校と統合し、明治19年(1886)11月に尋常科国友小学校となった。さらに、明治22年(1889)4月1日の神照(かみてる)村の成立によって尋常科神照小学校となる。その後、現在地に移転し神照尋常高等小学校と校名を変え、戦後に神照小学校となった。

 つまり、神照小学校の名前の由来は神照村なのである。だから、校名の由来は、村名の由緒を紐解(ひもと)かないと分からない。神照村は、明治22年の町村制施行により、長浜町や坂田郡内の他の15ヶ村と共に成立した。この町村は単なる行政区域ではなく、町長や村議会がある行政組織であった。この神照村は長浜市に統合される昭和18年(1943)まで存続する。

 『滋賀県市町村沿革史』第4巻によれば、神照の「新村名の由来は、神照寺にちなんでいる」とある。さらに、「この寺は、新村の中心(新庄寺村)に位置し、平安時代以来栄えてきた真言宗の名刹で、広い境内と多くの文化財を有し、この地域の蹟勝地となっている。ゆえに、この寺の名の神照の二字をとって新村名としたのである」とある。「蹟勝地」なる言葉はあまり使わないが、「史蹟」と「名勝」の魅力を合わせ持つという意味だろう。

 このように、神照村の由来は神照寺であるとすると、なぜ「神照」を寺の名前と同じく「じんしょう」と読まないのか。ここからは私の推測だが、寺名と同じく「じんしょうむら」と読んでも、漢字の音ばかりで馴染みがたい。一方、「かみてるむら」と読めば、「神が照らす村」となる。これは、縁起がいい。瑞祥(ずいしょう)地名と呼ばれ、多くの人に支持されたと考える。

 明治の合併における、市内の瑞祥地名の事例としては神田村などがある。「加田」ではなく「神の田」を選択した。県内では豊郷(とよさと)村が典型。最近、地名の本『北近江地名考』を世に問うた。一つ一つの地名からは、土地に刻まれた歴史が読み取れる。我々はその起源や変遷にこだわりを持つべきとの論を展開している。150周年を機に、校名・地名のみでなく、その背景にある歴史も大切にしたい。

校名プレートが掲げられた門柱と神照小学校正面

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2022年5月26日掲載)

2026年3月27日

香水さん 地元で野球塾開校へ

独立LでMVP、4月から本格指導

 プロ野球独立リーグで投手3冠などに輝いた長浜市川道町出身の香水晴貴さん(26)が4月から、湖北地域を拠点に野球塾を本格開校する。これまでの選手経験を生かし、少人数制のきめ細かな指導で地域の競技力向上と野球の普及を目指す。

 香水さんは中学生時代に「湖北ボーイズ」で頭角を現し、ボーイズ滋賀県選抜、日本代表として世界大会優勝を経験。近江高校では2年時に県大会優勝で夏の甲子園に出場したが、けがでベンチ入りはかなわなかった。3年時は投打で活躍し県大会準優勝、近畿大会出場に導いた。

 びわこ成蹊スポーツ大学、社会人チームを経て独立リーグ「石川ミリオンスターズ」に入団。2024年にはリーグ優勝に貢献し、最優秀選手賞(MVP)、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振の投手3冠に輝いた。

 輝かしい成績を残した同年、現役を引退。「3冠とMVPを有終の美として引退を決意した。周囲からは早すぎるとの声もあったが、やりきった感があり、これ以上の終わり方はないと思った」と理由を語る。

 第二の人生として選んだのが指導の道。「自分の経験や知識を伝えることで、プレーヤーとして伸ばせる自信がある。将来、高校や大学、球界で活躍できる子どもを輩出したい」と意欲を見せる。

 現在は石川県金沢市でチーム指導を含め約150人の塾生を指導。昨年秋からは米原市池下のグリーンパーク山東の屋内施設で月1回の野球塾を開いており、参加者は増加している。今年2月にはアマチュア指導者資格を取得し、小学生から大学生まで幅広く指導が可能となった。

 指導で大切にしているのは子どもとの信頼関係。「知識や技術だけでなく、接し方を重視している」とし、体格や骨格に応じた体の使い方を指導。「形に決まりはなく、その子に合った動きを身につけることで、伸び悩んでいる子も力の出し方が分かるようになる」と話す。

 22日に行われた野球塾では、塾生一人ひとりの癖に応じて体重移動や腰の回し方、下半身の力の入れ方などを丁寧に指導。バッティングやピッチングの実技に加え、メディシンボールを使った体幹強化トレーニングも取り入れ、実践的な内容となっていた。

 4月からは故郷に戻り、グリーンパーク山東を拠点に活動を広げる予定。「地元で野球を広げ、盛り上げていきたい」と力を込める。

 野球塾は月、木、金、土の週4日開催予定で、時間は午後5時半から9時半まで(1回1時間)。1回3人までの少人数制で、投打の指導に対応する。対象は小学生から大学生までで、料金は1回3500円。申し込みはLINE(https://line.me/R/ti/p/@864kksyw)で受け付けており、初回は無料体験としている。問い合わせは℡080(6204)4738へ。

 

 

 

2026年3月26日

クラフトビールフェス米原にぎわう

約2000人来場 笑顔で乾杯広がる

 米原駅東口の米原市役所一帯で20日、「クラフトビールフェス米原」が開かれ、約2000人の来場者でにぎわった。県内を中心に大阪や愛知から訪れたほか、関東からの遠征組の姿も見られ、思い思いの一杯を楽しんだ。

 会場には県内外から8つのブルワリーが出店し、「FLORA FERMENTATION」(東近江市)や「長濱浪漫ビール」(長浜市)、「彦根麦酒」(彦根市)など地元勢に加え、各地の個性豊かなクラフトビールが並んだ。来場者は飲み比べを楽しみながら、それぞれの味わいの違いを堪能していた。

 初開催となった昨年は出店者の予想を上回る人出で、ビールが売り切れる店舗が相次いだ。このため今年は各ブルワリーが昨年の倍の量を用意したが、それでも完売する店が出る盛況ぶりとなった。

 会場では角田航也市長が乾杯の音頭をとり、「心ゆくまで飲んで楽しんでください。乾杯」と呼びかけ、来場者とともにイベントを盛り上げた。各地から集まったクラフトビールファン同士の交流や、造り手との会話も弾んだ。

 主催は鉄道利用の促進による地域活性化を目指す「鉄道を活かした湖北地域振興協議会」。鉄道の結節点という米原の立地を生かし、この日も多くの来場者が在来線や新幹線を利用して訪れた。

 

 

2026年3月25日

竹でつえ作り彦根城へ寄贈

松原の前川さん「喜んでもらえたら」

 彦根市松原1丁目の前川宏志さん(73)が彦根城を登城する入場者用のつえを竹で製作。今月12日に20本を持参し、彦根城運営管理センターの職員に渡した。

 前川さんは、還暦の時に開いた中学時代の同窓会でみんなと彦根城を登った際、当時あったつえが太くて使いにくく、「年配や障害のある方が登城する際、使い易い丈夫なつえがあった方がいい。自分で作って届けよう」と思い立った。以降、「師匠」の釣り仲間に教えてもらいながら、10年ほど前からつえ作りを開始。

 友人が所有する竹やぶに生育している布袋竹と亀甲竹を切り、自宅で枝を除去して、曲がった箇所をバーナーであぶって直線にし、4カ月から6カ月間乾燥させた後、ニスを塗って仕上げる。そして最後に、先端に水道のホースを短く切って滑り止めとして付けて完成させる。

 つえは利用者の身長に合うよう、長さ1㍍20㌢ほどから1㍍50㌢ほどまであり、丁寧に使えば約5年は使えるという。8年ほど前から年間100本ほどのペースで彦根城に贈っており、3カ所の出入り口で「彦根城」の焼き印が押されて無料で貸し出されている。

 前川さんは「来訪者が彦根城に来てよかったと喜んでもらえることが何よりもうれしい。彦根城の世界遺産登録を願って、これからも作っていきたい」と笑顔を見せていた。

(滋賀彦根新聞)

2026年3月24日

【湖北史記 其の4】伊吹弥三郎から酒呑童子へ

 5月6日付けの本紙で、長く登山路が不明だった伊吹山の「天岩屋(あまのいわや)」が、岐阜県側で再確認されたという記事を読んだ。5月3日のことらしいが、その日、私もたまたま「長浜みーな」の取材で、滋賀県側から山頂に登っていた。

 伊吹山には弥三郎という怪物がいたという話がある。室町時代に成立した御伽草子(おとぎぞうし)の一つ『伊吹童子』にも出てくる物語だが、もともとは応永14年(1407)に成立した『三国伝記』という本に書かれている。

 伊吹山に住む怪物は、昼は山中の洞窟に住み、夜は関東・九州まで出向き盗賊を働いたという。近江国の守護であった佐々木頼綱は、天皇の命を受け、変幻自在に逃げ回るこの怪物を高時川の河原で討ち果たした。しかし、弥三郎の怨霊は毒蛇と変じて、高時川の井口を抑えて、流域住民を飢饉に陥れた。そこで、井明神として祀った所、逆に井の守護神と変じ、潤沢な水を施したという。

 さらに、この弥三郎伝説には基がある。それは、鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻鏡』や藤原定家の日記『明月記(めいげっき)』に出てくる伊吹弥三郎だ。この弥三郎は、柏原荘を本拠としていたが、時の政府から謀反人として扱われ、鎌倉時代の建仁元年(1201)に、佐々木信綱によって討伐されたと記されている。この弥三郎は、実在の人物だが、誅罰されるまで約半年かかった。その間、山中に逃亡、周辺の村人にとっては恐怖の人物に変じていった。それが、怪物の弥三郎伝説を生んだと考えられている。

 実は、この弥三郎伝説はさらに変化を遂げる。戦国時代には、別に伝えられた丹波・丹後に住む大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)伝説と一体になって、鬼の頭目である酒呑童子が伊吹山に住んでいたという話が現れた。酒呑童子伝説を記す絵巻物の中でも良本とされるサントリー美術館本の重要文化財『酒伝童子絵巻』のストーリである。この話では、酒呑童子を退治に来た源頼光の兜に、切られた酒呑童子の首が食らいつくという場面が印象的だ。

 宮崎駿(はやお)監督の映画「もののけ姫」。シシ神の首を取りに行く話だが、この伊吹山の酒呑童子がベースになっていると聞く。鎌倉時代に討伐された弥三郎は、長い歴史のなか人々によって肥大化し怪物に変じる。さらに、現在のアニメにも神として登場する。人間の想像力には舌を巻かざるを得ない。鎌倉時代に追われた弥三郎は、伊吹山のどこに逃れたのだろうか。「天岩屋」だったとしたら、私も行ってみたい。

 

栄華を極める酒呑童子(左端)国立国会図書館「伊吹とうし」より

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2022年5月16日掲載)

2026年3月24日

長浜市内3小学校で閉校式

伊香具、永原、塩津、児童減少で統廃合

 長浜市内の伊香具、永原、塩津の3小学校で22、23日、閉校式が行われ、児童らが校舎に別れを告げた。いずれも児童数の減少に伴う統廃合で、伊香具小は木之本小と統合し、永原小と塩津小は西浅井小となる。

 賤ケ岳のふもとにある伊香具小(木之本町大音)の閉校式は22日、同校体育館で行われた。1910年に伊香具北尋常小学校と伊香具南尋常小学校の統合により創立され、31日で115年の歴史に幕を下ろす。

 式では藤居真弓校長が「閉校は寂しさもあるが、ここで培われた誇りや思い出は皆さんの心の中で生き続ける」とあいさつ。児童代表の佃匠人さん(5年)は「閉校が近づくにつれて不安や寂しさが増えてきたが、下を向かず毎日を元気に明るく楽しく過ごしてきた。4月からは新しい友達をつくり楽しい学校生活を送れるよう前向きに頑張る。校歌のように伊香具小でぐんぐん伸びた僕たちの姿をこれからも応援してください」と語った。

 体育館には「いかぐ小だいすき  おもいでありがとう」と書かれた横断幕が掲げられ、児童や地域住民らが別れを惜しんだ。

 この日は閉校記念イベントもあり、タイムカプセルの掘り起こしが行われたほか、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」に出演する俳優の白石聖さんを招いたトークイベントも開かれた。

 白石さんは児童からの質問に答え、「新しい場所では少し勇気を出して自分からあいさつすることが大切。焦らず、自分らしく楽しく過ごしてほしい」とエールを送った。また将来の夢については「漫画家やお笑い芸人など多くの夢があった。今は俳優としてさまざまな職業を体験できている」と話した。

 

 

2026年3月23日

「彦根映画祭」 28・29日開催

ひこにゃん主演作品ロケや上映会など

 「彦根映画祭2026」が28、29日、プロシードアリーナHIKОNEで初めて開かれる。市や彦根商工会議所、彦根観光協会などの実行委員会が「映画のまち彦根」を市内外に広く発信しようと企画した。

 多目的ホールでは、彦根市内でロケが行われた映画10作品の中から市民投票で最多の2205票を獲得した「翔んで埼玉〜琵琶湖より愛をこめて」を両日午前10時から上映。このほか、「花まんま」(28日午後1時半)、「BADLANDS バッド・ランズ」(同5時半)、「偉大なる、しゅららぼん」(29日午後1時)、「レジェンド&バタフライ」(同4時10分)と話題作が並ぶ。各作品オリジナルクリアファイル付きで有料の指定券とペア券がある。

 サブアリーナでは、ひこにゃん主演のショートムービーの公開ロケを実施。女優の小澤真利奈さんを招き、演出指導やカメラ撮影などをワークショップ形式で行う。2日間で撮影した模様は約15分の映画「夢にむかって。」として4月中にインターネットで公開予定。

 メインアリーナでは、28日午後4時から「映画のまち彦根の魅力について」をテーマに映画監督の前田哲さんやお笑い芸人のこがけんさんらを招いたパネルディスカッション、29日午後3時から映画「レジェンド&バタフライ」の大友啓史監督の講演会、両日に撮影用マイクロドローンの仕組みを学ぶワークショップなどがある。

 28日午後1時10分からビバシティ彦根1階で、こがけんさんらが登場してのPRステージもある。映画入場券の入手方法やスケジュールはhttps://hikonefilmfestival.com/から確認できる。

「彦根オープンセット」公開 2日間限定、鳥居本町の撮影所

 映画祭のサテライト企画として、彦根市鳥居本町の「彦根オープンセット」が両日限定で一般公開される。

 2019年3月に整備された同施設は、時代劇や映画、ドラマの撮影所として活用されており、普段は立ち入ることのできない撮影現場を間近に体感できる貴重な機会となる。公開時間は午後1時から同5時までで入場無料。駐車場に限りがあるため、入場制限を行う場合がある。問い合わせは事務局の彦根市エンターテインメント課☎0749(30)6153へ。

(滋賀彦根新聞)

2026年3月23日

伊吹高書道部 まねき札など揮毫

長浜曳山まつり「萬歳楼」の依頼受け

 長浜曳山まつりの今年の出番山、瀬田町組・萬歳楼は、伊吹高校書道部に依頼していた演目名を記す「外題札」と、役者らの名前を書く「まねき札」を20日、同校で受け取った。子ども役者や若衆が同校を訪れ、部員が揮毫した札を手にした。自分の名前が書かれた札に、子どもたちは笑顔を見せた。

 萬歳楼では「書の甲子園」などで活躍する書道部に初めて制作を依頼し、快諾を得た。この日は子ども役者ら8人が若衆とともに同校を訪れ、部員11人がそれぞれ揮毫した外題札1枚と、まねき札10枚を受け取った。

 書道部部長の長谷川優菜さん(2年)は「普段は迫力ある字を書くが、今回はきれいな字を意識して書いた。長浜の伝統ある曳山まつりに関われて光栄。子ども役者にはかっこいい演技をしてほしい」と話した。

 生徒が「頑張ってください」と声をかけると、若衆は「ヨイサーヨイサー」の掛け声で応えた。

 若衆筆頭の村田耕平さんは「今年は豊臣博覧会もあり、多くの人が長浜を訪れる。記念すべき年に高校生に書いてもらえて良かった。この取り組みを通じて交流が広がれば」と期待を寄せる。

 長浜曳山まつりは4月13日に開幕。春休みに入り、子ども歌舞伎の稽古も本格化する。

2026年3月19日

姉水会奨学財団に1千万円寄付

卒業生の石井さん、教育振興へ

 虎姫高校同窓会を母体とする公益財団法人姉水会奨学財団に、同校卒業生の石井かおるさんから1000万円が寄付され、贈呈式が19日、同校校長室で行われた。

 石井さんは1978年卒業。幼少期から湖北地域で育ち、「湖北工業」で役員も務めた。会社が地域に支えられて成長し、自身もこの地で人生を重ねてきたことから、「長年育ててもらった湖北に恩返しをしたい」との思いを抱き、夫で同社社長の太さんの後押しも受け、「何か形にしたい」と奨学財団への寄付を決めたという。

 贈呈式で石井さんは「若い人たちの将来に少しでも役立ててほしい」と語り、「人生には山も谷もあるが、こつこつ努力を続ければきっと良いこともある。将来は明るいので、あきらめず頑張ってほしい」と後輩にエールを送った。

 寄付金は、同校で進められている国際バカロレア教育に関連する海外短期留学など、教育支援に活用される。大塚敬一郎理事長は「資金が目減りする中で大変ありがたい寄付。生徒の学びや挑戦を後押しするため大切に使いたい」と話している。

 同財団は2019年、同校創立100周年記念事業の一環として設立。20年に公益財団法人として認定され、これまでに延べ54人に奨学金を給付し、海外留学や資格取得などを支援してきた。