2026年4月30日

己高庵を民間継承 「三献の宿」開業

奥伊吹観光が運営 29日リニューアル

 木之本町古橋の宿泊施設「己高庵」が「三献の宿〜木之本〜」として29日、リニューアルオープンした。市の指定管理施設として地元第3セクターが担ってきた運営は、湖北地域で観光事業を手掛ける奥伊吹観光に引き継がれ、民間主導の宿として再出発した。

 宿泊施設は、ふるさと夢公社きのもとが市の委託を受けて運営を続けてきたが、2025年11月末で営業を終了し、奥伊吹観光がリニューアル工事を進めていた。

 新施設は、戦国武将・石田三成が豊臣秀吉に茶を三度に分けて差し出したとされる逸話「三献の茶」をコンセプトに据える。到着時に抹茶でもてなすほか、茶の精神を空間、料理、滞在体験として表現する。

 施設は全面改修され、客室は11室。「極」(4室)、「結」(3室)、「素」(4室)の3タイプを設けた。このうち「極」は天然木ひば風呂と信楽焼の露天風呂を備える。客室の広さは58平方㍍。館内にはバー「Ippuku」も設け、地酒やワインを提供する。料理は近江の食材を中心に、季節ごとの献立で提供する。

 運営する奥伊吹観光は、米原市甲津原を拠点にスキー場「グランスノー奥伊吹」やグランピング施設などを展開。木之本町大音の賤ケ岳リフトの運営も担うなど、湖北地域でリゾート事業を広げている。冬季中心だった事業から通年型への転換を進める中で、新たな宿泊事業で地域の再生と湖北の魅力発信を図る。

 オープニングセレモニーで、同社の草野丈太社長は「地域に眠る観光資源に光を当て、磨き上げて発信していく。三献の精神を生かし、訪れた人に寄り添い、最善のもてなしを尽くす宿にしたい」と述べた。また「これまで施設を築き、守ってきた地域の皆さまの思い、絆をしっかり受け継ぎ、新たな価値を加え未来につなぎたい」と話した。

 浅見宣義市長は「自然と歴史に抱かれ、環境は抜群。長浜を代表する宿になってほしい」としたうえで、「民間資本の協力で北部振興を担う代表的な例として期待します」と話した。

 同施設が立地する古橋地区周辺は、紅葉の名所・鶏足寺や賤ケ岳など、歴史と自然の観光資源が集積する地域。NHK大河ドラマに関連した観光需要の高まりもあり、周遊観光の拠点としての役割も見込まれている。

 

2026年4月28日

シェアクローゼット盛況

想定超える来場と持ち込み

 まだ着られる衣類を持ち寄り交換する「まちのシェアクローゼット〜服の交換会」が25日、長浜まちづくりセンター(さざなみタウン内)で開かれ、多くの来場者でにぎわった。初開催ながら主催者の想定を上回る衣類が集まり、会場は終日にぎわいを見せた。

 主催した長浜市地域おこし協力隊の辻本果歩さん(28)と野村紗里さん(26)によると、持ち込まれたのはレディース衣類が中心で、子ども服やメンズも一定数集まった。季節を問わず春夏から秋冬まで幅広く、バッグやアクセサリー類も並んだ。

 来場者の反応は上々で、持ち込み段階から多くの衣類が寄せられ、中には20〜30点を一度に持参する人もいたという。状態の良い衣類が多く、「捨てるのはもったいない」と自宅に眠っていた品を持ち寄る姿が目立った。

 会場では若い世代の姿も見られた。虎姫高校2年の川上優さんと丸岡陽介さんは、それぞれ2〜3着を持参。「エコで環境にいいし、必要な人同士で交換できるのがいい。お互いウィンウィン」と話し、会場で見つけたジャケットやジーンズ、バッグ、サングラスを手に笑顔を見せた。「こんな機会はなかなかない。またあれば絶対行きたい」と継続開催にも期待を寄せた。

 野村さんは「初めての試みだったが、想像以上に多くの服が集まり、需要の大きさを実感した。眠っていた洋服が次の人につながる場をつくれたのはよかった」と手応えを語る。

 企画の背景には、野村さんが留学先のイギリスやスウェーデンで体験した衣類交換会がある。現地では大学や地域の団体が定期的に開催しており、身近な資源循環の取り組みとして定着しているという。

 今回集まった衣類のうち残った分は保管し、次回開催時に活用する予定。今後は継続開催に向けて運営のあり方などを検討するとともに、野村さんは「この取り組みが広がり、当たり前の選択肢になってほしい」と話し、秋冬編の開催にも意欲を見せている。

 

 

2026年4月28日

「ビワマスの日」、6月21日に

学名決定日にちなみ制定へ、長浜で発起人会

 琵琶湖固有種ビワマスの魅力を広く伝え、未来へつないでいこうと、「ビワマスの日」の制定に向けた動きが始まった。発起人会が25日、さざなみタウンで開かれ、学名が決定した6月21日を記念日とする方針を決め、日本記念日協会への申請を進めることを確認した。

 呼びかけ人は、藤岡康弘さん(県立琵琶湖博物館特別研究員、元県水産試験場長)、三和伸彦さん(北の近江マザーレイク共創会議代表理事)、佐藤祐一さん(県琵琶湖環境科学研究センター専門研究員)、向田直人さん(近江淡水生物研究所代表)の4人。研究者に加え、漁協や旅館、釣具店、飲食店などビワマスに関わる幅広い分野から28人が発起人として参加した。

 ビワマスは2025年6月21日、学名「オンコリンカス・ビワエンシス」として正式に記載され、琵琶湖固有の種であることが世界的に認められた。命名は藤岡さんらの研究グループによるもので、遺伝子解析や形態の違いをもとに独立した種と確認された。長く位置づけが定まっていなかったビワマスにとって、大きな節目となる出来事だった。

 琵琶湖では、1977年に赤潮が発生して以降、石けん運動など県民の取り組みにより水質は大きく改善してきた。一方で、環境の変化に伴い、かつて見られた多くの動植物が減少し、近年はアユの不漁も続くなど、生態系の変化が指摘されている。

 「琵琶湖の宝石」とも呼ばれるビワマスも例外ではない。秋には産卵のため川を遡上するが、河川改修による影響や産卵に適した環境の減少、密漁など課題は少なくない。さらに温暖化の影響も懸念されている。

 その一方で、魚道の整備や産卵環境の再生といった取り組みも各地で進み、ビワマスの姿が戻りつつある川も見られるようになってきた。

 記念日をこれらの取り組みについて広める機会とするとともに、ビワマスの魅力を発信する。この日の発起人会では記念日前後に県内各地でイベントを企画するほか、賛同者1000人の募集にも取り組むことを決めた。このほか、禁漁期間中の啓発や、県外からの密漁防止に向けた意識づくりの必要性も共有された。

 制定のヒントとなったのは、北海道むかわ町の「ししゃもの日」。記念日を軸にしたイベント開催が地域の活性化や文化発信につながっており、ビワマスでも同様の広がりが期待される。

 

オンコリンカス・ビワエンシス

 琵琶湖固有の魚ビワマスは、長年にわたり学名が定まらない状態が続いてきたが、昨年6月21日、「オンコリンカス・ビワエンシス」として正式に記載され、新種として国際的に認められた。

 ビワマスは1925年、米国の研究者によって「オンコリンカス・ロヅラス」と命名された種と同一視されてきた。

 転機となったのは1990年の研究だった。「ロヅラス」の基準標本が、現在知られるビワマスとは異なることが明らかになり、ビワマスは学名を持たない状態となった。

 その後の研究では、藤岡康弘さんらのグループが、目の形やうろこの数などの特徴を詳細に比較するとともに、遺伝情報の分析を実施。その結果、アマゴやヤマメなどの近縁種とは明確に異なることが確認され、琵琶湖固有の新種として位置づけられた。

 ビワマスは現在、環境省のレッドリストで準絶滅危惧種に分類されている。産卵環境の変化や近縁種との交雑などが課題とされており、新種認定が今後の保全の後押しになることが期待されている。

 

 

2026年4月27日

地域づくり、私たちが支えます

長浜市プランナー26人に委嘱状

 長浜市の「地域活力プランナー」の委嘱式が23日、市役所で開かれ、プランナー26人のうち21人が出席した。任期は1年で、地域課題の解決や活性化に向けた取り組みを担う。

 同制度は2016年度に始まり、地域づくり協議会の推薦を受けた人材を市が委嘱。住民同士の話し合いを通じて課題を把握し、解決に向けた具体策の企画や実施、支援を行う。

 今年度は16地域に26人を配置。年代は20代から70代までと幅広く、女性は8人。

 委嘱式では、浅見宣義市長が一人ひとりに委嘱状を手渡し「皆さんが持つアイデアや熱意、経験をそれぞれの地域で存分に発揮してほしい」とあいさつした。

 続いてプランナーが自己紹介し、「住民の心をぐっとつかんで、地域づくりに参加してもらうようにしたい」(長浜まちなか地域づくり連合会・北川善一朗さん)、「地域に寄り添えるプランナーを目指し頑張ります」(浅井湯田地域づくり協議会・岡美矢子さん)、「平成の大合併の年から地域づくりに携わっている。今年も一生懸命やりたい」(こほく地域づくり協議会・松山久夫さん)、「自治会と協議会のつながりにテコ入れしたい」(高月地域づくり協議会・山岡孝明さん)、「長浜市の端っこにあるが、中央部に負けないよう地域づくりを盛り上げたい」(西浅井地区地域づくり協議会・岩佐嘉秀さん)などと抱負を語った。

2026年4月24日

水で溶ける花火玉皮を開発

柿木花火と龍谷大、8年かけ実用化

 柿木花火工業(本庄町、柿木博幸社長)は、水に溶けて自然に還る花火玉の外殻「玉皮(たまかわ)」の開発に成功した。打ち上げ後に残るごみ問題の解決につながる技術で、環境に配慮した花火として今夏の実用化を目指す。

 花火は夜空を彩る一方、燃えカスが環境課題となっている。同社はこれまで、割火薬(爆薬)の完全燃焼によるごみ減量化を図った「エコ花火」を製造してきたが、打ち上げ後に散乱する玉皮への対応が新たな焦点となっていた。

 外殻に使われるクラフト紙は燃え切らず、破片が湖や河川、田畑などに落下。回収には人手を要し、水中では分解にも時間がかかる。同社の花火は琵琶湖周辺での打ち上げが多いことから、「より環境にやさしい花火を」と改良に着手し、産学連携による研究を進めてきた。

 共同研究は2018年から始まり、龍谷大学先端理工学部の中沖隆彦教授が中心となって、水溶性と生分解性を兼ね備えた新素材の開発に取り組んだ。素材には大手総合化学メーカー「クラレ」の水溶性樹脂を採用。複数の種類から溶解性とコストのバランスに優れたものを選定し、強度と成形性を両立する配合を検証した。

 研究では、打ち上げ時の衝撃に耐えつつ、破裂後は細かく砕けて溶解しやすくなるよう設計。粘性の高い素材が成形機に付着する課題も、添加剤の調整によって克服した。試作品の打ち上げ実験では、降雨後に破片が数日で溶解し、最終的に消失することを確認。水中ではさらに早く溶解が始まるという。

 破片は最終的に微生物によって分解され、水質や土壌への影響もないとされる。マイクロプラスチック問題にも配慮した素材で、安全性にも留意した。

 玉皮は花火の火薬を包む球状の容器で、従来は和紙やクラフト紙が使われてきた。今回の技術はこの部分を置き換えることで、ごみの大幅削減を可能にする。

 開発には約8年を要した。成形は金型製作を手掛ける「セーコン」(横浜市)が担い、県中小企業団体中央会がものづくり補助金の活用で支援した。

 

 

2026年4月24日

【湖北史記 其の18】江戸時代の農村鉄砲

 11月15日の本紙でも紹介されたが、現在「余呉茶わん祭の館」において、企画展「江戸時代の山村の姿」が開催されている。この展覧会は、伊香郡上丹生村(長浜市余呉町上丹生)の太郎次郎家の伝来文書を展観するものである。同家は、幕末に上丹生村の庄屋を務めていたので、同家の文書のみでなく、村の行政文書も含まれている。

 内容は江戸後期における丹生谷の積雪量に関する文書、宗門改帳(しゅうもんあらためちょう)と呼ばれる上丹生村の寺院も含めた戸籍、江戸時の村内の組分け状況、庄屋が所持する文書の一覧など、上丹生村の江戸時代の日常生活が知られる。

 その中で、「奥村々鉄砲書上帳」と題された冊子は興味深い。縦25㌢、横117㌢で、弘化2年(1845)3月と表紙に記される。丹生谷周辺の村々である大見村・下丹生村・上丹生村・菅並村・鷲見村について、村にある鉄砲の数と玉目の大きさ、それに預り主(保管者)の名前を登録している。各村の所持数は上丹生村2挺の他は1挺で、3匁玉筒(もんめたまつつ)から3匁5分玉筒(口径12㍉前後)の標準的な火縄銃であった。

 用途は猪・鹿による獣害を防ぐため、玉込めしない空砲の「威(おどし)鉄砲」として使用したとある。また、他人は勿論、親類にも貸し出すことはないと誓約する。上記各村が連名で幕府の信楽代官所に出した形であるが、本書に上丹生村庄屋以外の押印がないのは、同村でこの冊子を作成した控で、印が押された原本は幕府(信楽代官所)へ提出されたのだろう。

 豊臣秀吉の刀狩令(かたながりれい)によって、農村にあった武器としての鉄砲は、建前上なくなったことになる。しかし、実際には届出制度のもと、獣害対策である「威鉄砲」や、狩猟用の火縄銃は、江戸時代の村で所有できることになっていた。国友鉄砲鍛冶の家に残った慶応3年(1867)6月の「国友鍛冶仲間定書」には、「猟鉄砲」を製作したことが発覚すれば、見つけ次第にその製品を取り上げると記している。ここに規定しなければならない程、幕府鉄砲鍛冶である国友でも、狩猟用の鉄砲を製作していた。

 江戸時代の武家文書でもそうだが、鉄砲に関する記述には、不思議とその生産地が書かれていない。届出制度の中では、鉄砲がどこで製作されたものかは不要な情報だったと言えよう。丹生谷にあった鉄砲の産地も不明だが、近くに日本有数の鉄砲生産地・国友があることから、その多くは国友製と考えていいだろう。企画展は12月11日まで、土日のみ開館。

奥村々鉄砲書上帳(部分)

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2022年11月29日掲載)

2026年4月24日

【湖北史記 其の17】石田三成の岩窟

 去る10月17日、長浜観光協会主催の三成ツアーで、大雨のなか久しぶりに石田三成が隠れた「オトチの岩窟(がんくつ)」を訪ねた。長浜市木之本町古橋の己高庵(ここうあん)から、最近整備された尾根道をたどり、約2時間かかって標高560メートルの地にある岩窟にたどり着く。岩窟は岩が崩れ真横には入れない。梯子やロープを伝って4・5メートル程下る感じで中に入る。そこには六畳ほどの空間が広がり、天井には多くの羽を閉じたコウモリが下がり動かない。

 関ケ原合戦で敗れた三成の捕縛情況を記した、同時代の史料は残念ながら存在しないので、江戸時代成立の編纂物(へんさんぶつ)を頼りにするしかない。幕府が編纂した大名・旗本の系譜集『寛政重修諸家譜(かんぜちょうしゅうしょかふ)』では、三成捕縛の経緯を以下のように伝える。三成は近江国草野(現在の長浜市上・下草野・米原市東草野)で樵(きこり)の姿をして隠れていたが、田中吉政の家臣・田中伝左衛門正武が怪しんで尋問した。三成は自分が樵であると答えたが、その面を知っている者が捜査隊の中にいて生け捕ったとある。このように、古橋以外での捕縛を伝える書もある。

 一方、『田中興廃記』では、次のように記す。三成捜索のため北近江に至った田中吉政は、井口村(長浜市高月町井口)に陣所をおき、諸方へ兵を遣わして探索に当たった。三成は合戦場からの逃亡の途中で、腹痛をおこし歩行もままならぬ状態であった。古橋村までたどりつき、同村の与次郎太夫に匿(かくま)ってもらった。しかし、周囲に敵の探索がのびたことを知った三成は、匿っている者たちに迷惑がかかることを嫌い、与次郎太夫に自身の居場所を吉政に告げるよう促す。与次郎太夫は最初申出を断ったが、三成の強い意志を察し、吉政のもとに三成潜伏を通報した。すぐさま、吉政の家臣である田中伝左衛門・沢田少右衛門が古橋村を訪れ、三成に縄をかけ乗物に乗せて、井口村まで連行したとある。

 最近になって、古橋の庄屋文書から、越前福井藩の家臣であった大関彦兵衛・田中勘助(かんすけ)が、田中伝左衛門の子孫と称して古橋村を訪れた時の経緯を記した文書が発見された。それによると、三成は庄屋次左衛門宅の縁の下で生け捕られたと記している。その他、高時川の河原で捕縛されたという伝承も古橋には伝わる。

 要は、三成捕縛の状況については、江戸時代以来複数の説があり、どれが正しいか判断するのは難しい。その中で、最も三成の捕らわれ方として相応(ふさわ)しいのが、古橋の岩窟説だと言えよう。歴史を学ぶ者として、「相応しい」という判断は禁物かもしれないが、この岩窟に行く度、三成が隠れた場所としての印象を強くするのは不思議である。

「オトチの岩窟」に到着した三成ツアー

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2022年11月10日掲載)

2026年4月24日

【湖北史記 其の16】実宰庵と浅井三姉妹

 浅井三代の話から、長政と市の間に生まれた三姉妹の話に移ろう。

 小谷城の南東に当たる長浜市平塚町にある実宰院(じっさいいん。昭和29年までは実宰庵)は、浅井長政の姉に当たる実宰庵昌安見久尼(しょうあんけんきゅうに)が再興した寺院である。当院にある位牌によれば、見久尼は天正13年(1585)に49歳で死去したとあるので、逆算すると天文6年(1537)の生まれ。長政は天文14年(1545)の生まれだから、確かに長政の姉となる。身の丈(たけ)5尺8寸(約176センチ)、体重は28貫(約105キロ)の非常に大柄な女性であったと伝えられている。

 寺伝によれば、落城に際して浅井長政は、姉の見久尼に三姉妹の養育を依頼し、尼は無事にこの平塚の地で三姉妹を養育したと言われる。落城時に、信長軍が残党狩りにこの寺にやってきたが、尼は咄嗟(とっさ)に2反(たん)の布でつくられた法衣の袖に三姉妹を隠し、難を逃れたという。実宰院には三姉妹の長女・淀によって寄進されたとされる見久尼の木像が、今も本堂に安置されている(写真)。『江北史料図彙(ずい)』(明治時代)によれば、木像には尼の「歯骨」4個が収められているという。

 この見久尼をめぐる寺伝を、間接的に裏付ける文書が、寺に残る慶長2年(1597)5月1日の豊臣家四奉行連署状である。長束正家・増田長盛・浅野長政・前田玄以の四奉行が連署して、実宰庵の跡目については、現在の住持尼の望み次第とすると、秀吉の意向をくんで伝えたもので、宛名は三姉妹の次女・初の夫の京極高次になっている。秀吉死去の前年に、京極高次がこの寺の運営に大きく関わっていたこと、さらにはその住持について淀の夫である秀吉に報告することが必要な程、豊臣家と実宰庵が深い関係にあったことを示している。

 さらに、寺には豊臣秀吉が天正19年(1591)4月23日、実宰庵に50石の寺領を寄進した朱印状が残る。この土地は江戸時代には、実宰庵の経営の基本となる所領となった。秀吉が同庵に土地を寄進したこと自体、この寺の行く末に三姉妹の縁者である秀吉が深い関心を示していたことを類推させ、三姉妹が一時身を寄せていた証拠になろう。

 小谷落城後の三姉妹の行方については、通説では『浅井三代記』などによって、伊勢国上野城(三重県津市)の織田信包(のぶかね)の許に送られたと説かれる。ただ、実宰庵の伝承や史料の方が具体的で真実性があり、江戸時代の軍記物によった伊勢国上野説より信憑性は高いと思っている。今後の大河ドラマでは、三姉妹の逃避先として実宰庵を描いて欲しいものだ。

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2022年10月18日掲載)

2026年4月24日

紫アスパラ「甘みと食感」特徴

稲枝で収穫本格化、JA直売所販売

 彦根市の稲枝アスパラ生産組合が栽培している「ひこね夢アスパラ」の収穫が本格化している。21日には流通量が少ない珍しい品種の紫アスパラの収穫作業の様子が公開された。

 同組合は昭和63年(1988年)からアスパラガスの栽培に取り組んでおり、現在は3人の生産者が薩摩、普光寺、本庄の各町の計約7000平方㍍のビニールハウスで栽培している。

 この日、公開されたのは薩摩町の福原勉さん(66)が紫アスパラを栽培しているハウス。化学肥料をほとんど使わず、牛ふんや油かすなど有機質肥料を使って自然に近い環境で作っている。通常の緑に比べて甘みがあり、ハウス内を霧状にして水を与えているため、柔らかい食感も特徴だという。

 福原さんは16棟のハウスで栽培。そのうち3棟が紫アスパラで、直径1〜2㌢の太さ、長さ約30㌢にまっすぐ育ったものを収穫している。緑のよりも手間がかかるが、福原さんは「今年は水やりを一日2回に増やしたので、食感がより柔らかい。緑のとの甘みや食感の違いを比べながら味わってほしい」と話している。同組合では5月中旬までと6月から8月までの2回のシーズンで年間約3㌧の出荷を見込んでおり、そのうち約500㌔分が紫アスパラ。

 ひこね夢アスパラは彦根市平田町と賀田山町、愛荘町の3カ所のJA東びわこ直売所で、緑が260円、紫が280円(いずれも税込み)で販売。ほかに彦愛犬の学校給食や市内外の飲食店・ホテルに出荷されている。

(滋賀彦根新聞)

2026年4月23日

祖父の縁たどり長浜へ

協力隊員の北川さん、伊香高の留学支援

 長浜市の地域おこし協力隊員として横浜市から移住した北川有紀さん(39)が20日、市役所で委嘱状交付式に臨んだ。任期は同日から3年間。祖父が同市出身という縁に導かれ、長浜で新たな一歩を踏み出した。

 北川さんが担うのは、伊香高校を核とした地域活性化。2025年度に新設された「森の探究科」の全国募集に向けた地域みらい留学事業の推進や、親元を離れて暮らす生徒の下宿支援、地域と学校をつなぐ取り組みなどに携わる。

 横浜市内の市民活動センターでセンター長を務めてきた北川さんは、大学生のインターンシップ受け入れや地域との橋渡しに尽力。大学時代にはNPO法人の一員として里山保全にも携わるなど、人と地域に寄り添う活動を続けてきた。

 転機は約2年前。祖父が長浜市北船町出身と知り、初めてこの地を訪れた。歴史や自然に触れ、地域の人々と交流を重ねる中で、「いつかここで暮らしたい」との思いが芽生えたという。長浜市の協力隊員募集を知り、その思いが実を結んだ。

 交付式で浅見宣義市長は「地域資源を発掘し、新しい風を吹き込んでほしい」と期待を寄せた。北川さんは「これまでの経験を生かし、自分にできることを一つ一つ見つけていきたい」と語り、引き寄せられるようにたどり着いた祖父のふるさとで地域に寄り添う決意をにじませた。

2026年4月22日

久政書状 「明日、石を引け」

市内の商家で発見  小谷城石垣増強を裏付け

 「明日、石を引け」—。戦国大名・浅井久政が家臣に命じた一通の書状が、長らく行方不明となっていたが再発見された。小谷城は、浅井氏三代の居城で「日本五大山城」に数えられる堅城。その石垣づくりの現場を具体的に伝える初の史料とみられる。

 長浜城歴史博物館と曳山博物館が21日、発表した。

 書状は、久政が家臣に宛てたもので、年未詳5月7日付。翌8日に小谷城で石垣用の石を運ぶ「石引き」が行われることを伝え、自身の配下にも動員を命じたうえで、宛先の人物にも同日夕刻までに参集し、翌朝の作業に参加するよう指示している。さらに、当主の長政自らが指揮を執ることも記されている。

 この書状は、昭和2年(1927)刊行の「東浅井郡志」に掲載されていた「金光寺文書」の一つとみられるが、その所在は不明となっていた。昨年秋、市街地の商家で行われた博物館による共同調査で確認された。入手経緯は不明だが、古物商を通じて収集された可能性が高いという。

 また、同家に伝わる資料の全体像については現在も調査が進められているが、NHK大河ドラマで浅井氏や小谷城攻防戦が描かれる時期に合わせ、今回の書状の再発見のみを先行して公表した。

 書状には久政から家督を相続した後に長政が名乗った「備前守」の記述があることから、永禄4年(1561)以降、元亀4年(1573)までの間に作成されたと推定される。

 従「東浅井郡志」では冒頭を「衆引き」と誤読していたが、原本の再確認により「石引き」と判明。これにより、小谷城の石垣普請に直接関わる文書であることが明らかになった。

 小谷城に関する文献は、落城に関する書状などは残る一方、築城や修築に関する史料はほとんど確認されていない。わずかに、初代亮政期の大永年間(1521〜28)に小谷山頂の「大嶽」築城に関する文書が、国宝「菅浦文書」に残るのみで、修築過程を示す記録は知られていなかった。

 このため、今回の書状は小谷城の修築に関する唯一の文書と位置付けられる。

 長浜市が2020年3月にまとめた総合調査によると、城内では73カ所で石垣が確認され、番所から六坊にかけての主要部(本丸、広間、京極丸などを含む東尾根)は総石垣であったと考えられている。一方で、石垣の規模は幅1㍍未満のものから2㍍以上のものまで多様で、同時期に一斉に築かれたのではなく、段階的に増強されたとみられる。今回の書状は、そうした石垣整備の過程を文献から裏付けるものとなる。

 また時期によっては、長政が織田信長から離反した元亀元年(1570)前後の防備強化と関連する可能性もある。信長は同年6月、小谷城を包囲するも堅固さを前に退却しており、今回の書状はその背景を示す史料の可能性が指摘される。

 中井均・県立大名誉教授(城郭史)は「戦国時代の石垣に関する文書はほとんど残されていない。この文書は小谷城での石垣構築を具体的に記しており、極めて重要な史料」と指摘し、太田浩司・淡海歴史文化研究所所長(近江中世史)も「小谷城が徐々に増強されていく過程を実証できる点で、浅井氏研究上も大きな成果」と評価している。

 書状は小谷城戦国歴史資料館で開催中のテーマ展「浅井長政と小谷城」で初公開される。展示期間は4月24日から5月11日まで。

2026年4月21日

初の町史「豊郷町の歴史」刊行

史料編、彦根牛や旧豊郷小など解説

 豊郷町教委は同町の初の町史となる本「『豊郷町の歴史』史料編」を刊行。近江牛のルーツとされる彦根牛の加工品が江戸時代に豊郷で作られていた歴史や、旧豊郷小学校が建設された経緯などがわかる史料をまとめている。今月25日、出版記念の講演会を開き、27日から本の一般販売を開始する。

 昭和31年(1956年)9月に犬上郡豊郷村と愛知郡日枝村が合併して豊郷村となり、同46年2月の町制施行を経て豊郷町が誕生した。旧豊郷村の村史は同38年に刊行されたが、旧日枝村についてはまとめた記録がなく、合併後の町の歴史を解説した本もなかった。

 町教委は2021年度に大学教授たちによる町史編集委員会を立ち上げ、関連する古代から現代までの史料492点について研究し、「古代・中世」「近世」「近代・現代」「豊郷の商家と商業」「郷土の記録と伝承」の5章で本にまとめた。表紙には昭和10年(1935年)10月10日に上空から豊郷村を撮影した写真を掲載。当時の豊郷村役場や豊郷病院、豊郷駅が写っている。

 史料のうち、彦根市立図書館に所蔵されている「筋方御役所四壁帳出」には、享保3年(1803年)7月に彦根藩の中筋奉行らが、豊郷の旧高野瀬村で寒製の干し牛肉を安定した品質で製造するよう指導している内容が記されている。江戸時代に彦根藩下で作られた彦根牛のみそ漬けや干し牛肉が諸大名に贈られたことは知られているが、干し牛肉が豊郷で作られていたことがこの史料で明らかになった。

 また、四十九院出身の古川鉄治郎の寄付によって昭和12年(1937年)5月30日に建設された旧豊郷小学校については、同11年1月31日のヴォーリズ建築事務所が作成した小学校の仕様書や、鉄治郎が小学校を建設するための意図について当時の校長が同12年2月11日にまとめた「建築由来書」などを載せている。

 町教委社会教育課の学芸員の加藤直子さんは「町の歴史をまとめた本はなく、待望の町史が刊行できることが喜び。町民にとっても暮らしているまちの歴史を確認できる本」と話している。本はA4判、400ページ。1冊税込み1500円。700部発行。27日から豊栄のさとや社会教育課、豊郷小学校旧校舎群の町史編さん室で販売。郵送も可。

 今回の本の史料編は「第四巻」で、町教委は来年3月に第一巻の「古代・中世・近世編」、2028年3月に第二巻の「近代・現代・商人編」、29年3月に第三巻の「民俗・ビジュアル編」を刊行する予定。

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 豊郷町教委は25日午後1時半から豊郷小学校旧校舎群の講堂で、豊郷町史編集委員で滋賀大学名誉教授の宇佐美英機さんの講演会と、ほかの執筆担当者を加えたトークセッションを行う。会場で本の先行販売もある。問い合わせは社会教育課℡0749(35)8010。

(滋賀彦根新聞)

2026年4月21日

伊吹山紹介の看板 米原市へ寄贈

50周年の長浜東RC、シカの食害防止の柵設置も

 長浜東ロータリークラブは、伊吹山を紹介した看板を米原市へ寄贈。伊吹山ドライブウェイが開通した18日、看板が設置された西登山道の入口前で除幕式が開かれた。除幕式後には会員たちが土砂浸食の原因とされるシカの食害を防止する防護柵の設置作業を手伝った。

 同クラブは創立50周年記念事業の一環として、シカの食害とみられる影響で山肌の裸地化や浸食が目立つ伊吹山の再生に貢献する取り組みを企画。寄贈した看板は縦1・8㍍、横3・64㍍で、伊吹山の沿革のほか、「牧野富太郎も愛した花の百名山」「山頂からの大パノラマ」「積雪世界一」「石灰岩地帯」について写真入りで解説している。

 除幕式には会員40人が参加し、会員の代表者たちが除幕した。林章浩会長は「長浜や米原のほとんどの学校の校歌に登場するほど、大切な存在の伊吹山が大変な状況にある。東ロータリークラブとしても復元に向けて支援したい」とあいさつ。角田航也市長は「寄贈していただいた看板は伊吹山の魅力と大切さを伝える意義深い取り組みと感じている」と礼を述べた。

 除幕式後、会員たちは下り専用の東登山道に移動し、入口付近の約250㍍にわたって、シカの食害を防ぐための高さ約2㍍の防護柵を設置した。

2026年4月20日

心電図検定でSランク

長浜バイオ大の瓦林さん、上位2%

 心電図の読解力を問う「心電図検定」(3級)で、長浜バイオ大学フロンティアバイオサイエンス学科臨床検査学コース4年の瓦林洸(ほのか)さん(21)=米原市=が、上位約2%に入る成績で最高評価の「Sランク」を獲得した。成績優秀者として、学会公式ホームページにも掲載される予定。

 心電図検定は、日本不整脈心電学会が主催し、不整脈や心筋梗塞などの兆候を波形から読み取る力や臨床判断力を評価する専門性の高い資格。医療現場で求められる実践力を測る指標として、医療系学生や現職者の受験が広がっている。

 昨年12月に行われた2025年度の検定試験に、同コースの3年生(当時)11人が挑戦し、4人が3級、7人が4級に合格した。

 瓦林さんが受けた3級試験は、基本的な心電図所見に加え、危険な不整脈や臨床現場でよく出会う不整脈の判読に関する問題などが出題される。出題数は50問。学会によると7454人が受験し、5723人が合格。そのうち、成績優秀者として2・2%が「Sランク」に認定された。

 これまで生理学に苦手意識があったという瓦林さんは、12月の試験に向けて夏休み明けから毎日1~2時間の学習を重ね、問題集に加えてインターネット上の問題にも取り組みながら理解を深めた。Sランクでの合格に、「合格するとは思っていたが、まさかSランクとは。自信がついた」と振り返る。

 指導に当たった山本哲志准教授(61)は「心電図好きが集まる中で、上位2%はすごいこと。よく頑張ってくれた」と評価。大学では少人数によるほぼマンツーマンの指導で理解を深め、受験した11人全員の合格につなげた。「学生が強い気持ちで勉強した成果」と話す。

 瓦林さんは「先生が一人ひとり、分からないところをチェックしてくれる、聞きやすい」と話し、指導の手厚さを強調する。Sランク判定を受けて生理学への苦手意識も和らいだといい、就職活動についても選択の幅が広がったと手応えを口にする。

 将来は地元の病院や検査センターへの就職を目指している。

2026年4月20日

長浜の小中学生チーム準優勝

JOCジュニアオリンピックカップ水球大会

 全国JOCジュニアオリンピックカップ春季水泳競技大会(水球)で、エル・アテインスイミングスクール長浜(八幡東町)の小学生と中学生のチームが、それぞれ準優勝を果たした。

 大会は3月26日から30日まで、千葉県国際総合水泳場で開催された。各地区予選を勝ち抜いた24チームが出場し、予選を経て上位8チームによる決勝トーナメントが行われた。長浜の両チームは順調に勝ち進み決勝へ進出。対戦相手はいずれも、近畿地区予選で優勝を争ってきたライバルの京都踏水会水泳学園。小学生は2対4、中学生は11対12で惜敗した。

 小学生チームのキャプテン・田嶌楓さんは「準優勝はチーム全員が全力で戦った結果。悔しさを忘れず、中学生になっても全国で活躍できるよう練習に励みたい」と話した。

 中学生チームのキャプテン・前田寛太さんは「全員で声を掛け合い、ミスもカバーしながら決勝まで進めた。優勝することだけを目標に毎日練習してきたので本当に悔しい」と振り返り、「高校でも全国大会優勝を目標に練習していきたい」と次を見据えた。

 出場選手は次の皆さん(学校・学年は3月時点)。

 【小学生】五井謙成(高月6)、小川緋々斗(長浜6)、川上友輔(長浜北6)、髙藤澄羽(長浜北6)、田嶌楓(河南6)、西澤慶(坂田6)、髙山市帆(湯田5)、髙藤咲空(長浜北4)、藤川勇大(長浜北4)、大倉悠陽(長浜3)、髙山幸之助(湯田3)、小川桃斗(長浜1)、田中稜馬(長浜5)。

 【中学生】松村遥希(長浜北3)、荒木健汰(高月3)、中野元稀(双葉3)、前田寛太(長浜北3)、松田武大(長浜北3)、山本拓馬(湖北3)、髙藤渓登(長浜北2)、三輪隆太(双葉2)、加古川旺志郎(大垣西1)、島田慧吾(長浜北1)、藤川勇生(長浜北1)、田嶌蒼(河南2)。

2026年4月17日

世界遺産へ2つ目の祈念所完成

「わるにゃんこ彦福堂」金運テーマも

 彦根市の夢京橋キャッスルロードのホテル「THE BANK HATAGO HIKОNE」1階に、彦根城の世界遺産登録の2つ目の祈念所「わるにゃんこ彦福堂」が開設。オープンの10日に記念式典が開かれた。

 同ホテルを経営する一圓興産(彦根市佐和町)ともへろんスタジオ(同市本町)は2月22日に、同じキャッスルロード沿いのHATAGO HIKОNE別邸1階に一つ目の祈念所「ひこにゃん彦福堂」をオープン。

 ひこにゃん彦福堂が良縁をテーマにした一方、わるにゃんこ彦福堂は元銀行の金庫内に設けたため、金運アップをテーマに設定。床や壁を金一色で彩り、彦根仏壇の金箔押し師や宮殿(くうでん)師の技で作った高さ約90㌢×横約75㌢×奥行き約45㌢の宮殿内に、金箔の高さ約40㌢の招き猫型わるにゃんこ将軍を鎮座させ、周囲に金色のコインや米俵などを置いた。ほかに、松本徽章工業(東京都台東区)製造のひこにゃんや20周年ロゴを表裏に彫った純金の大小の小判と純銀の小判の3種類も展示している。

 オープンの初日には大洞弁財天長寿院の岡田容玄副住職(42)が魂入れの祈とうをした後、わるにゃんこ将軍とひこにゃんが登場。一圓興産の一圓泰成社長は「世界遺産の応援が目的だが、元金庫の場所で財運を皆さんに持ち帰ってほしい思いもある。彦根仏壇の匠の技で大変りっぱな宮殿が完成し喜んでいる。楽しめるスポットの一つとして、多くの皆さんに彦根を回遊してもらいたい」と語った。田島一成市長は「何としても世界遺産登録に向けて祈りを通じて、皆さんと実現させたい」と述べ、ひこにゃんやわるにゃんこ将軍をデザインしたもへろんこと櫻井瑛さんは「完成して誇りに思っている。大切に守っていきたい」と話した。

 THE BANK HATAGO HIKОNEの1階にはほかに、イタリアンやバー、土産品、スイーツの店もある。

(滋賀彦根新聞)