【私の視点】あの日の紙面を開く

 手元に震災直後の地方紙がある。仙台市に本社を置く河北新報の2011年3月12日朝刊だ。1面の見出しは「宮城震度7大津波」。津波にのみ込まれ、家屋が押し流される宮城県名取市の写真が大きく掲載されている。同日夕刊は「福島原発、放射性物質漏れ 8万人が避難開始」「泥流 すべてを奪う」。13日朝刊には「福島第1建屋爆発」と大見出しが躍り、半径20㌔圏への避難指示が出たことを伝えている。

 紙面には政府のコメントも載っている。「放射性物質の数値は想定内」。当時はその言葉を信じるしかなかったが、今読み返すと空々しく響く。

 14日朝刊は「犠牲『万単位に』」「避難者、6県で45万人超」。以降も紙面には原発事故の深刻化を伝える見出しが並ぶ。「核燃料一時完全露出」(15日朝)、「高濃度放射能漏出」(16日朝)、「福島第1冷却作業難航」(17日朝)。状況は刻々と変わり、事態の全体像がつかめないまま、不安だけが広がっていった。

 震災から1週間が過ぎた18日朝刊では「仙台港に救援物資」「仙台空港も利用再開」の見出しが並ぶ。救援物資が本格的に届き始め、わずかながら復旧の兆しが見え始めたころだった。

 あれから15年。道路や橋、鉄道などのインフラ復旧は進み、被災地の街並みも大きく変わった。しかし福島第1原発事故の後始末は今も終わりが見えない。政府と東京電力は廃炉作業を進めているが、その進展が日常のニュースとして報じられることは少なくなった。事故は続いているはずなのに、私たちの関心は遠のいてしまったかのようだ。

 東日本大震災では、大津波も原発事故もすべてが「想定外」と言われた。だが、自然の前で人間の「想定」がいかに脆いものかは、その後も何度も思い知らされている。近年は豪雨による河川の氾濫や土砂災害、豪雪による交通機能のまひなど、自然の猛威が人間社会を揺さぶっている。

 震災と原発事故は、湖北に暮らす私たちにとっても無関係ではない。琵琶湖の北には福井県若狭湾に並ぶ原子力発電所がある。関西の電力を支える「原発銀座」と呼ばれる地域だ。もし同じような事故が起きたらどうなるのか。琵琶湖は近畿1400万人の水がめである。水と暮らす地域だからこそ、原発事故がもたらす被害を考え続ける必要がある。

 3月11日は、単なる一つの災害の日ではない。巨大津波と原発事故という複合災害が、日本社会に深い問いを突きつけた日でもある。

 年月がたつほど、その記憶は奥へと遠ざかっていく。それでも、この日だけは立ち止まり、私はあの紙面を手に取る。見出しに刻まれた不安と混乱、そして復旧へ向かう小さな希望を忘れないために。

 震災は過去の出来事ではない。いまも続く課題として、私たちの前にある。

              (押谷洋司)

掲載日: 2026年03月11日