【湖北史記 其の5】「神照」はなぜ「かみてる」と読むか

 昨年の長浜小学校に続き、神照(かみてる)小学校が来年2月1日で創立150周年を迎えるという。その記念事業の準備も始まっている。そんな中、神照小学校の校名の由来を質問された。

 そもそも、いつから150年かと言えば、明治6年(1873)2月1日、神照小学校区内の国友村に郁文(いくぶん)学校が出来たのを起源とする。その後、神照地域にできた他の4つの小学校と統合し、明治19年(1886)11月に尋常科国友小学校となった。さらに、明治22年(1889)4月1日の神照(かみてる)村の成立によって尋常科神照小学校となる。その後、現在地に移転し神照尋常高等小学校と校名を変え、戦後に神照小学校となった。

 つまり、神照小学校の名前の由来は神照村なのである。だから、校名の由来は、村名の由緒を紐解(ひもと)かないと分からない。神照村は、明治22年の町村制施行により、長浜町や坂田郡内の他の15ヶ村と共に成立した。この町村は単なる行政区域ではなく、町長や村議会がある行政組織であった。この神照村は長浜市に統合される昭和18年(1943)まで存続する。

 『滋賀県市町村沿革史』第4巻によれば、神照の「新村名の由来は、神照寺にちなんでいる」とある。さらに、「この寺は、新村の中心(新庄寺村)に位置し、平安時代以来栄えてきた真言宗の名刹で、広い境内と多くの文化財を有し、この地域の蹟勝地となっている。ゆえに、この寺の名の神照の二字をとって新村名としたのである」とある。「蹟勝地」なる言葉はあまり使わないが、「史蹟」と「名勝」の魅力を合わせ持つという意味だろう。

 このように、神照村の由来は神照寺であるとすると、なぜ「神照」を寺の名前と同じく「じんしょう」と読まないのか。ここからは私の推測だが、寺名と同じく「じんしょうむら」と読んでも、漢字の音ばかりで馴染みがたい。一方、「かみてるむら」と読めば、「神が照らす村」となる。これは、縁起がいい。瑞祥(ずいしょう)地名と呼ばれ、多くの人に支持されたと考える。

 明治の合併における、市内の瑞祥地名の事例としては神田村などがある。「加田」ではなく「神の田」を選択した。県内では豊郷(とよさと)村が典型。最近、地名の本『北近江地名考』を世に問うた。一つ一つの地名からは、土地に刻まれた歴史が読み取れる。我々はその起源や変遷にこだわりを持つべきとの論を展開している。150周年を機に、校名・地名のみでなく、その背景にある歴史も大切にしたい。

校名プレートが掲げられた門柱と神照小学校正面

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2022年5月26日掲載)

掲載日: 2026年03月27日