学徒出陣、文化人思想伝える

湖北町今西出身・熊谷氏の寄せ書き日の丸

 湖北町今西出身で長浜北高教諭を務めた熊谷直孝氏(故人)が学徒出陣のため早稲田大学の教授陣から集めた「寄せ書き日の丸」の励ましの言葉の中に、言語学者の金田一京助や作詞家の西條八十ら多くの著名人が見つかり、寄贈を受けた県平和祈念館(東近江市)が公開。当時の学徒出陣のようすを伝えると同時に、文化人らの戦時中の思想を知るうえで貴重な資料となっている。

 熊谷氏は早稲田大高等師範部(現・教育学部)の3回生だった1943年に出征することになり、当時の教授らに揮ごうを依頼し、41人分を集めた。寄せ書きの中には戦後の「象徴天皇制」を発案した政治学者の杉森孝次郎、軍国主義を主張した柳士廉(青柳篤恒)、万葉研究の窪田空穂、大正デモクラシーを代表する教育学者・稲毛金七らが壮行の言葉を記している。

 杉森は「皇風萬里」(天皇の良い政治が遠方まで広がる)、青柳は「任重通遠」(責任は重く道は遠い)、窪田は「好征」(よい出征)、稲毛は「人生は只一度や」と記し、金田一や西條は署名だけだった。

 早稲田大学百年史には田中穂積総長が多くの学生から求められ総長室で終日、筆をとっていたことが記されている。熊谷氏は生前、「寄せ書きは、早稲田の顔となる先生方に一筆を頼みに教授室を回りました。ちょうど女性が千人針を頼みに回る感覚ですね」と体験談を語っていた。

 学内では軍や政府の言論統制を受け、軍国主義・国粋主義を主張する教員が大きな力を持ち、積極的な発言を控える教員も。熊谷氏は体験談で「中には丁重に拒む先生もおられたが、それはそれで納得できました」と振り返っていた。

 寄せ書き日の丸は縦72㌢、横97㌢の布製。ビルマ(現・ミャンマー)の戦地から復員した本人が長く所持していたが、2009年に寄贈した。調査した同館の北原治専門員は「戦後、平和を唱えた多くの文化人も、戦時中は教え子の無事を祈って記した貴重な資料」と話している。

 寄せ書き日の丸は2月21日まで開催している企画展「戦争と教師たち」で展示されている。休館日は月・火曜。

掲載日: 2021年01月16日