① 県内で相次ぐ産婦人科の分娩休止 一体何が起きているの?芽生えた不安
「分娩受け入れ 4月から休止 市立長浜病院」 1月9日、朝日新聞滋賀版に載った23行の記事を見て、私(35歳、2歳児の母)は恐ろしくなった。
2020年には彦根市立病院と守山市の坂井産婦人科が分娩休止を発表し、その前年には大津市民病院、長浜市の佐藤クリニックも止めていた。県内の産婦人科が次々と分娩中止を発表している。私の町に、一体何が起きているんだろう。
私が「佐藤クリニック」で長男を出産したのは18年8月。29時間の陣痛に耐えたが、子どもが産道を降りてこず、クリニック内で緊急の帝王切開となった。自然分娩を期待していたのでショックだったが、かけがえのない宝物を胸に抱いた喜びと安堵は言い尽くせない。
私たち夫婦が、長浜市に移住したのは16年。婦人病を経験していた私は、不妊治療が必要になることも考えて、移住前には地域の産婦人科の情報も調べた。
重視した条件は、不妊治療を相談できるか、自然なお産を助けてくれるか、産後のケアは十分か。当時、長浜市には、県地域周産期母子医療センターに指定される「長浜赤十字病院」、「市立長浜病院」、「佐藤クリニック」、「橋場クリニック」の計4施設が分娩を実施していた。人口約12万人の町に、4施設というのは充実しているという感覚だった。
各施設にはそれぞれ特徴がある。例えば、新生児集中治療室(NICU)がありハイリスクの妊娠に対応している、産後個室で快適に過ごせる、無痛分娩に取り組んでいるなど。
その中で、「佐藤クリニック」は「バースプラン」を採用し、「できる限り自然なお産」をサポートするとホームページに書いてあった。バースプランとは、陣痛促進剤の使用の有無、家族の立ち会い出産、分娩後のカンガルーケア、入院時の母子同室など、妊婦が出産に際しての希望を事前に医師や助産師に伝える取り組みだ。私も、いろんな本を参考に希望を伝えた。
もしもの時には、長浜赤十字病院が連携して受け入れ先となることも頼もしく思えた。何度か婦人科に通い、院内通信を読むうちに、院長の温かい人柄にも引かれた。
いろいろな施設の条件を比較し、一世一代の儀式に備える妊婦は私だけじゃない。分娩できる施設が減れば、その選択肢が減ってしまう。いてもたってもいられず、私は自分の暮らす町に何が起きているのかを調べてみることにした。
(3月23日掲載)
② 市民病院だけど、市にできること少ない?
県内の産婦人科で相次ぐ分娩中止に危機感を覚えた私は、1月末、取材に向かった。
まず、1月に分娩中止を発表した市立長浜病院に話を聞くと、担当者は「滋賀医科大からの産婦人科常勤医師4人の派遣がなくなるため」と説明した。今年度、病院では自治医大の1人を加え、5人で約160件の分娩を扱ったが、一旦全員3月末で退職する。
新年度から、定年を迎える医師1人を嘱託医として雇用し直し、婦人科外来は継続させるが、分娩は休止せざるをえないという判断だった。滋賀医科大から、派遣中止の連絡が来たのは昨年11月。病院は継続を望んだが、叶わなかった。
産婦人科病棟は、2020年に個室の割合を増やすなど、リニューアルしたばかり。4月以降に分娩を予定していた妊婦は約50人で、希望を聞きながら、他機関と調整を図っているという。
「残念だがどうしようもない」と話す担当者の無念は感じ入るものがある。かつて病院は09〜15年、「院内助産所」が開設されていた。妊婦が求める「多様な産み方」に寄り添おうとした証しに思えた。
しかし、15年に岐阜大から派遣されていた小児科医が「(岐阜)県内の医療体制の充実」を理由に引き揚げた。常勤医を失い、産後の乳児を診る体制が不足しているとして、院内助産所は中止に追い込まれた(18年から、長浜市は近畿大に寄付講座を設置し、小児科医1人の派遣を受けている)。
今回の分娩中止も、大学医局の人事に翻弄された結果なのだろうか。とはいえ、市立病院の運営には、市民の税金も使われている。市は、今回の事態をどう捉えているのか。
市地域医療課に話を聞いた。担当者の第一声は「我々としても残念としか言いようがない」。市は病院運営を市病院事業管理者に委ねている。予算の配分はするが、具体的な施策を提案するわけではない。医師の確保に各病院は努力するが、「医師確保計画」を立てるのは県の役割で医療資源の配分には手が出せないという。
市税を投じてリニューアルした直後に医師の引き上げにあったとしても、市にはなすすべがない。「医療行政は県の役割。市としてできることは少ない」とも。市民病院なのに「市にできることは少ない」なんて…。
「保健所は県の出先機関。湖北の医療構想は長浜保健所が事務局だ」と教えてくれたので、保健所に向かうことにした。
(3月30日掲載)
プロフィール
堀江昌史(ほりえ・まさみ)
1986年東京生まれ、埼玉育ち。朝日新聞記者として神戸、佐賀、滋賀に赴任し、婦人病を患ったことを機に2016年退職。木之本町で「丘峰喫茶店」、出版社「能美舎」を運営。春夏秋はギター職人の夫とともに喫茶店の営業や農作業、冬は本作りに没頭する2歳児の母。