2026年10月2日
【湖北史記 其の81 】姉川の用水制度と樽番の碑
姉川以南の旧長浜市域の地勢は、北東が高く徐々に南西に向かって低くなっている。したがって、旧市域の川は北東から南西に流れる。田地用水も同じであるから、横山丘陵北端の龍ヶ鼻(たつがばな)で姉川から取水する郷里井(ごうりゆ)は、旧市全域に関わる非常に重要な井堰(いぜき)であった。郷里井は中世以来、上流の旧山東町域を灌漑(かんがい)する出雲井(いずもゆ)と、度重なる争いを展開したが、これは渇水の際に出雲井堰を一時的に切る「出雲井落し」の慣行を生んだ。郷里井を代表する上坂氏と出雲井を代表する佐々木大原氏の交渉の結果と伝えている。
郷里井は龍ヶ鼻北麓で取水した後、東上坂・西上坂・春近・垣籠・保多・堀部の6ヶ村5千3百石余の田地を灌漑し、さらに下流域の南郷里地域にも余水は流れた。上記の村々へは、取水口の下流で5川に分水するが、その配分について詳細な取り決めがなされていた。東・西上坂村にかかる岡井川は全体の20%、同様の中井川も20%の配分率であった。さらに両村の集落内を貫通する豆井川は18%、春近川も18%、垣籠村から保多村を通り堀部村に至る堀部川は、24%の水を得られる取り決めが江戸時代以来あった。
ただ、渇水時は交替で水を取水する番水(ばんず)という制度が行なわれた。「出雲井落し」の時に行なわれる大番水と樽番(たるばん)と呼ばれる小番水である。後者は明暦(めいれき)2年(1656)から始められたとされる一時間交代の取水制度である。岡井川と中井川の分岐点、それに豆井川と春近川の分岐点に樽を置いて、時間を計って交互に水を引いた。一斗樽(いっとだる。約18㍑)を分岐点に置き、底に小穴を開けた樽2個分の漏出(ろうしゅつ)時間(約1時間)で交互に番水する形をとった。なお、堀部川は渇水時も番水を行なわず、通常通り取水できたが、垣籠村・保多村と堀部村で一日交代で引水した。
東上坂町の地先、県道37号線と国道365号線の三叉路に、この樽番を記念する石碑が建っている。平成元年12月に建立されたもので、二つに割れた石碑を樽でつなぐ斬新なデザインが目立つ。碑文には、当地が5川の第2分水点(岡井川と中井川)であることを記し、東・西上坂の世話役が座って番水を見守った場所とある。
裏面にも金属プレートが嵌(は)め込まれ、樽番の分水制度は「古来からの格式・慣習に支えられて、郷里全域の水田へ公平に配分したものである」と高らかにその公益性をうたう。田地用水は前近代において、地域の死活問題であった。その中で公平な制度を守り続けた歴史を顕彰するこの石碑は、住民の知恵を伝承する尊い記念碑である。
樽番の碑(長浜市東上坂町)
淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司
(滋賀夕刊 2025年6月10日掲載)




