2026年10月2日

【湖北史記 其の81 】姉川の用水制度と樽番の碑

 姉川以南の旧長浜市域の地勢は、北東が高く徐々に南西に向かって低くなっている。したがって、旧市域の川は北東から南西に流れる。田地用水も同じであるから、横山丘陵北端の龍ヶ鼻(たつがばな)で姉川から取水する郷里井(ごうりゆ)は、旧市全域に関わる非常に重要な井堰(いぜき)であった。郷里井は中世以来、上流の旧山東町域を灌漑(かんがい)する出雲井(いずもゆ)と、度重なる争いを展開したが、これは渇水の際に出雲井堰を一時的に切る「出雲井落し」の慣行を生んだ。郷里井を代表する上坂氏と出雲井を代表する佐々木大原氏の交渉の結果と伝えている。

 郷里井は龍ヶ鼻北麓で取水した後、東上坂・西上坂・春近・垣籠・保多・堀部の6ヶ村5千3百石余の田地を灌漑し、さらに下流域の南郷里地域にも余水は流れた。上記の村々へは、取水口の下流で5川に分水するが、その配分について詳細な取り決めがなされていた。東・西上坂村にかかる岡井川は全体の20%、同様の中井川も20%の配分率であった。さらに両村の集落内を貫通する豆井川は18%、春近川も18%、垣籠村から保多村を通り堀部村に至る堀部川は、24%の水を得られる取り決めが江戸時代以来あった。

 ただ、渇水時は交替で水を取水する番水(ばんず)という制度が行なわれた。「出雲井落し」の時に行なわれる大番水と樽番(たるばん)と呼ばれる小番水である。後者は明暦(めいれき)2年(1656)から始められたとされる一時間交代の取水制度である。岡井川と中井川の分岐点、それに豆井川と春近川の分岐点に樽を置いて、時間を計って交互に水を引いた。一斗樽(いっとだる。約18㍑)を分岐点に置き、底に小穴を開けた樽2個分の漏出(ろうしゅつ)時間(約1時間)で交互に番水する形をとった。なお、堀部川は渇水時も番水を行なわず、通常通り取水できたが、垣籠村・保多村と堀部村で一日交代で引水した。

 東上坂町の地先、県道37号線と国道365号線の三叉路に、この樽番を記念する石碑が建っている。平成元年12月に建立されたもので、二つに割れた石碑を樽でつなぐ斬新なデザインが目立つ。碑文には、当地が5川の第2分水点(岡井川と中井川)であることを記し、東・西上坂の世話役が座って番水を見守った場所とある。

 裏面にも金属プレートが嵌(は)め込まれ、樽番の分水制度は「古来からの格式・慣習に支えられて、郷里全域の水田へ公平に配分したものである」と高らかにその公益性をうたう。田地用水は前近代において、地域の死活問題であった。その中で公平な制度を守り続けた歴史を顕彰するこの石碑は、住民の知恵を伝承する尊い記念碑である。

樽番の碑(長浜市東上坂町)

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2025年6月10日掲載)

2026年10月2日

【湖北史記 其の80 】「春近」地名の由来

 前回は新栄(にいさか)町の地名が、明治時代に付けられた吉祥(きっしょう。瑞祥(ずいしょう))地名である話をしたが、今回は古代・中世の荘園制時代の吉祥地名である春近町の話である。長浜市の「春近」の名前は、鎌倉時代の末から確認できる。その初見史料は、大原観音寺文書に残った延慶(えんぎょう)2年(1309)3月10日の僧定祐(じょうゆう)田地寄進状である。同寺に寄進された上坂郷(こうざかごう)内の田地1反半(たんはん)は、「春近伏田(ふせだ)廿五丁神田領」とされる。

 その後も、大原観音寺文書に「春近」が登場するが、「はりちか」と仮名(かな)書きされている文書があり、中世にはそのように発音していたらしい。また、石清水八幡宮文書にも「春近」の地が記され、応永16年(1409)11月24日に、幕府から同社へ寄進されている。さらに、15世紀の中頃には、京都の公家や寺院の日記にも登場し、近くの土豪・堀部氏と京都の相国寺が、「堀部上坂之内春近名(みょう)」の領有権をめぐって対立していたことが記述される。

 実は、この「春近」の地名は、他県にも存在する。全国の大小の歴史地名を網羅した『日本歴史地名大系』(平凡社)によれば、「春近」の地名は14ヶ所あると記す。長野県に4ヶ所、岐阜県に5ヶ所、福井県に4ヶ所、そして滋賀県に1ヶ所である。なぜか、岐阜県を中心に4県に及び、何等かの関係が想定されよう。

 この各県に広がる「春近」の関係や歴史について考究した稲垣泰彦氏の研究がある。もともと、古代律令制の中で朝廷の「御服料(ごふくりょう)」(天皇家の衣服の材料代)に当てられる土地があったが、その制度が崩壊すると、国々の国衙(こくが。今の県庁に当たる)領や同所に務める有力者の領地から支出されるようになる。これを「便補」と呼ぶが、「春近」もその「便補」の一つではないかと稲垣氏は推論する。

 さらに稲垣氏は「春近」は仮名(けみょう)であるという。朝廷での相撲(すもう)の儀式の費用を当てる土地を「相撲(すまい)」と呼ぶように(長浜市相撲町の例)、費用充当先をそのまま名前として呼ぶのではなく、目出度い名前を「仮に名(な)づけ」呼ぶ方法である。「御服」とは呼ばずに「春近」と目出度く呼んだことになる。「春近」からの年貢は、天皇家の「御服」の費用に当てられる上に、目出度い名で呼ばれる。極上の吉祥地名ということになる。

 春近村がある上坂郷は中世においても、坂田荘(さかたのしょう)のような末尾が「荘」ではなく「郷」が用いられている。「郷」が末尾につく場合は、当初は国衙領であったことを示す。この点、稲垣氏の結論と合致している。「春近」は、地名から豊富な土地の歴史が見えて来る典型である。

 

春近会館(長浜市春近町)

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2025年5月27日掲載)

2026年10月2日

【湖北史記 其の79】方位地名と吉祥地名

 前回は新栄(にいさか)町の常昌寺の話であったが、同寺の山号は「小足山」であった。新栄町の中には、日蓮宗の題目と「小足山常昌寺」と大書された石碑も建っている。この「小足」の地名は、長浜市に南小足町として残る。北小足町という地名は現在ないが、「新栄」は明治12年(1879)に、江戸時代の北小足村と北田附村が合併して出来た地名である。ちなみに、常昌寺は新栄町の旧北田附村域ではなく、旧北小足村域に所在する。

 江戸時代の北小足村は、彦根藩領と長浜市街地の妙法寺領であった。一方、南小足村は妙法寺領の他に、宮川藩領や神崎郡山上藩領、旗本滝川氏領などあり四給(よんきゅう。領主が4人いる)の村であった。滝川藩領は、浅井郡宮部村(長浜市宮部町)や坂田郡池下村(米原市池下)なども同じである。南・北小足村に長浜妙法寺領(朱印地)があったのは秀吉以来で、妙法寺が常昌寺と同じ日蓮守であったことと関連していよう。

 明治初期、江戸時代の村が隣村と合併する動きが多く見られた。市内では、明治7年(1874)に宮川村と下司(げし)村が合併した宮司村、同年に戌亥(いぬい)村と辰巳(たつみ)村が合併した山階村の例がある。昭和32年(1957)に橋本村と中沢村が合併した泉町の例は、この流れが現代まで続いていることを示している。

 「新栄」の地名は、合併に当たり縁起のよい地名を取った吉祥(きっしょう)地名の典型だが、「北小足」の地名がなくなって「南小足」だけになってしまったのは、私としては少々残念だ。同じ事情は「北田附」がなくなり「南田附」だけ残ったことにも言える。やはり、「南」があれば「北」がないと不自然だろう。

 本来はセットであるべき地名が、片方だけ消滅してしまった例は他にもある。たとえば、長浜市南高田町はあるが北高田町はない。江戸時代は北高田村と南高田町がセットで存在したが、新栄町が成立した同じ年、北高田村の「北」がとれ髙田町となり、「南高田」の地名のみが残ってしまった(高田北は自治会名)。

 米原市内にも、「新栄」成立と同じ年に合併した村がある。上夫馬(かみぶま)村と観音寺村が合併して朝日村が成立した事例である。この「朝日」も「新栄」と同じ吉祥地名であるが、明治22年(1889)に東浅井郡の山本山南に朝日村が成立するので少々混乱の基となる。その結果、本来は上夫馬村とセットのはずの下夫馬(しもぶま)村のみが残ってしまったが、昭和30年(1955)の山東町成立時に、下夫馬から夫馬に大字名の変更を行なっている。ただ、中世以来の夫馬郷の広がりを、地名から追えなくなってしまったのは残念である。

 「人の名前」と同じく「土地の名前」も大切にしたい。

 

「小足山 常昌寺」の山号と寺号を刻む石碑(長浜市新栄町)

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2025年5月13日掲載)

2026年10月1日

鳥居本宿場祭り4日

仏生寺みそ販売、赤布アートなど

 彦根市鳥居本町の住民団体の鳥居本お宝発見隊は4日に「とりいもと宿場まつり」を開催する。軒先赤布アートやにぎわい市、仏生寺みその販売など恒例イベントが今年も行われる。

 鳥居本町の旧中山道沿いで2008年から開催しているイベント。18回目の今年は60店がJA、中央、神教丸の各エリアに分かれて出店。エリア内の一部を除く通り沿い約600㍍が歩行者通路になる。

 JAエリアのステージでは彦根古城太鼓演奏や石崎旭さんのライブなど、中央エリアのステージでは鳥居本中学生のソーラン演舞やきねづかバンドのジャズ演奏などがある。中央会館では午後1時〜NPO法人彦根景観フォーラムの濱崎一志理事長の講演「鳥居本宿の町並み」がある。

 鳥居本地区で収穫された山椒入りの仏生寺みそは中央エリアで、1個600円で販売される。

 ほかに、有川家住宅・岩根家住宅・成宮家住宅などの公開、7カ所を巡るとプレゼントがもらえる歴史散策ラリー、軒先赤布アートもある。近江鉄道の利用者は鳥居本駅で乗車証明書を受け取ると、本部で記念グッズがもらえる。開催時間は午前10時〜午後3時。小雨決行。無料駐車は飛騨運輸へ。

 代表の高橋邦男さん(75)は「江戸時代の街並みが残る鳥居本に大勢の方に来ていただき、にぎやかにしたい」と話している。問い合わせはサンライズ出版内の事務局☎0749(22)0627。

(滋賀彦根新聞)

2026年10月1日

猫の絵画・切り絵・木工並ぶ

青岸寺で始まる ワークショップも

 米原市内在住のアーティストたちが猫をテーマに創作した作品を集めた「米原ネコ展」が1日から米原の青岸寺で始まった。水彩画や切り絵、イラスト、木工作品など、個性豊かな作品が寺の各所に並んでいる。31日まで。

 青岸寺は彦根藩井伊家ゆかりの寺。井伊家の江戸屋敷近くの寺に招き猫伝説が残っていることと、一昨年に移住してきた水彩画家の村上ゆたかさんが猫を題材にした作品を描いていることから、長浜米原観光協会が初めて企画。世界中で親しまれている猫をテーマにすることで、幅広い世代に来訪してもらいたい狙いがある。

 出品しているアーティストと作品数は村上さんが10点、切り絵作家の早川鉄兵さんが2点、イラストレーターの山田サトシさんが4点、笹木木工の作品2点。同寺の玄関、客殿、土蔵、本堂、書院の各所に分けて展示している。このほか、画家の西川礼華さんによる猫のイラストをあしらった2種類の御朱印を1300円で販売している。

 また、村上さんの作品のうち4点から気に入った作品をふるさと納税を通じて入手できる取り組みも実施。さらに、11日午後1時からは市役所本庁舎3階で、村上さんの水彩画教室と早川さんの切り絵教室が開かれる。申し込みは4日までに同協会の専用フォームから。

 永島匡宏住職は「猫好きをはじめ、多くの方に来場いただき、寺の各所を観覧しながら作品を見てほしい」と話している。開館日時は31日までの午前9時から午後5時。休園は毎週火曜と22日〜27日。入園料は大人400円、小中高生200円。

 

 

2026年9月30日

子どもの体験、官民で後押し

米原市とレジャー3社が協定 長浜の子にも特典

 子どもや若者の居場所づくりや体験機会の充実を図ろうと、米原市は29日、市内でレジャー施設を運営する3事業者と「パーク・プレイス・パートナーシップ連携協定」を締結した。協定に基づく取り組みには、長浜市の子どもを対象とした施設利用の無料化や割引も盛り込まれている。

 協定を結んだのは、複合型スポーツ施設を運営するビッグ・ブレス、グランスノー奥伊吹などを運営する奥伊吹観光、ローザンベリー多和田を運営するメリーデイズ。

 市と各社がそれぞれの施設や人材、サービスを生かし、遊びや憩いの場をはじめ、職業、ものづくり、スポーツ、自然体験などの機会を提供する。子育て世帯向けのサービスやイベントなどにも取り組む。

 このうち奥伊吹観光は米原、長浜両市の小中学生を対象に、冬休みと春休みのグランスノー奥伊吹のリフト1日券を無料で提供する。

 このほか夏休みには、両市の小中学生を対象にフォレストアドベンチャー米原(グリーンパーク山東内)の利用料を50%割り引くほか、賤ヶ岳リフトの往復利用を無料にする。

 ビッグ・ブレスは米原市民を対象に、今年12月31日まで入園料を無料とし、来年1月から6月末までは年間パスポートを通常価格から1000円引きで販売する。メリーデイズは米原市の4歳から小学生以下を対象に、ローザンベリー多和田の「こども年間パスポート」を通常料金から10%引きの2700円で提供する。

 締結式には角田航也市長と3社の社長が出席。奥伊吹観光の草野丈太社長は「子どもたちが将来、地元に戻って住みたい、米原で子育てがしたいと思ってもらえるような活動につなげていきたい」と話した。

2026年9月30日

彦根みんなで作ったひこにゃん映画

中学生、市民、地元企業も制作支える

 ひこにゃんが初めて主演した短編映画「夢にむかって。」が29日、ユーチューブの「ひこにゃんチャンネル」で公開された。出演した中学生をはじめ、市民、地元企業、商工・観光団体など、多くの地域関係者が制作を支えた彦根発の14分11秒の作品。公開後は「かわいい」「癒された」といった声に加え、物語に背中を押されたという反応も寄せられている。

 主人公は、小澤真利奈さん演じる元バスケットボール選手・加奈子。選手としての夢に挫折し、コーチとして進むべきか迷う中、体育館でひこにゃんと出会う。一緒にボールを追う時間を通じ、もう一度夢と向き合う気持ちを取り戻していく。監督は後藤元樹さん。

 作品には、バスケットボール漫画「SLAM  DUNK」の安西先生の名言「あきらめたらそこで試合終了」も登場。夢を諦めかけた主人公の再出発という作品のテーマと重なる場面となっている。

 撮影は3月28、29日、プロシードアリーナHIKONEで開かれた彦根映画祭の特別企画として行われた。現場を市民に開放した「撮影ワークショップ」の形を取り、エキストラや制作スタッフとして市民が映画づくりに参加。カメラや照明のセッティング、演出など、実際の撮影現場に触れる機会にもなった。

 バスケットボールの場面では、稲枝中と彦根南中のバスケットボール関係者が協力。地元企業や奉仕団体、市民らも制作を支え、エンドロールには多くの地域関係者が名を連ねている。

 音楽は、滋賀を拠点に活動するロック楽団「THE BOOGIE WOOGIE」が担当。作品を彩る楽曲も印象的な仕上がりとなっている。

 作品は4月13日のひこにゃん20回目の誕生日に完成披露され、今回、ユーチューブで一般公開された。公開後のコメント欄には「ひこにゃんかわいい」「癒された」「ひこにゃんにバスケ、意外な組み合わせ」といった感想が寄せられ、夢への再挑戦を描いた物語について「今回の映画見てもうちょいイケると思えた」と受け止める声も上がっている。

2026年9月30日

6月21日は「ビワマスの日」

日本記念日協会が正式登録、10月4日に記念フェス

 琵琶湖固有種ビワマスの魅力を広く発信し、保全につなげようと、ビワマスの日制定実行委員会が制定を目指していた6月21日の「ビワマスの日」が、一般社団法人日本記念日協会に正式登録された。制定を記念し、10月4日にはえきまちテラス長浜で「秋の見守り月間フェス」が開かれる。

 昨年6月21日に、ビワマスが学名「オンコリンカス・ビワエンシス」として正式に学術誌に記載された。実行委員会はこの日を後世に伝えようと「ビワマスの日」の制定を企画。今年6月21日には、えきまちテラス長浜1階の「小さなびわ湖水族館」で賛同者を募り、1口200円の寄付や署名、メッセージを集め、日本記念日協会への申請を進めていた。

 この取り組みが実を結び、9月3日付で「ビワマスの日」として正式登録された。実行委員会では、ビワマスが禁漁となる10、11月を「ビワマス秋の見守り月間」とし、産卵のため川を遡上するビワマスを地域で見守り、保全への関心を高める取り組みも進める。

 10月4日のフェスはビワマスを使ったグルメやアートのブースが並ぶほか、午前11時から午後1時まで「碧いピアノライブ」を開催。午後1時半からは米川でビワマスの産卵床を観察し、たも網を使った魚類観察や解説も行う。

 会場ではスタンプラリーもあり、先着300人にゲリラ炊飯のビワマスおにぎりとビワマス缶バッジをプレゼントする。

 実行委員会では、記念日の制定を機に、ビワマスを「守り、活かし、未来につなぐ」取り組みをさらに広げていく。

2026年9月29日

駕籠に人乗せて彦根城登城へ

歩行困難者対応で実証実験19日

 彦根市は、歩行が困難な高齢者や障害者らにも彦根城の本丸まで登城してもらおうと、10月19日に駕籠(かご)を用いて登城する実証実験を行う。城内にはエレベーターやスロープなどを設置できないことから、史跡への影響を抑えながら登城できる方法を検証する。市は駕籠を担ぐボランティアを募集している。

 彦根城内は国の特別史跡に指定されているため、バリアフリー化の大規模な設備が設置できない。一方、車いす利用者や歩行が困難な高齢者らにも本丸まで足を運んでもらえるための方策が課題になっている。

 城内では今年5月にNPO法人県脊髄損傷者協会が車いすの補助具を用いて登城する実証実験を実施。今回、市は石段など史跡への影響を最小限に抑えながら来訪者を登城させる手法として、駕籠を使っての実証実験を行う。

 備中松山城がある岡山県高梁市で実証実験が行われた際に使った駕籠1台を借り、彦根市肢体不自由児父母の会の会員の娘を搭乗者として乗せる。駕籠はアルミ製で、座面は85㌢×65㌢、高さ1・1㍍、重さ約17㌔。

 実証実験は10月19日午後1時半から同5時まで、彦根城の表門券売所前から天守前広場までの片道約285㍍を往復する。区間の高低差は約50㍍、石段は140段ある。搭乗者は2人参加し、それぞれ1往復の計2往復して、登城にかかる時間や担ぎ手らの身体的な負担などを調べる。

担ぎ手5人を募集

 担ぎ手はボランティア約5人と希望する市職員10人以上を予定。約100㍍ごとに交代しながら担ぐ。市は体力がある者を対象に担ぎ手を募集している。性別、年齢など問わない。申し込みは10月9日午後1時までに市文化財課☎0749(26)5833。

 実証実験後、搭乗者と担ぎ手を対象にアンケート調査を行い、負担やストレスなどを検証し、11月下旬までに報告書を作成。今後の運用の可能性について検討していく。田島一成市長は「どれほどの時間がかかるのか、搭乗者や担ぎ手にどれほどのストレスがあるのかなどの調査を行うことが大事で、導入については時期を含めて未知数」としている。

(滋賀彦根新聞)

2026年9月29日

旧杉野小中学校跡地 通信制高校誘致、白紙に

タイケン学園が断念、次点も辞退

 長浜市が旧杉野小中学校(木之本町杉野)の跡地活用策として進めてきた通信制高校の誘致計画が白紙となった。優先交渉権者に選ばれた学校法人タイケン学園(東京都板橋区)が1年以上に及ぶ交渉の末に辞退。市が次点候補者に交渉権を引き継ごうとしたものの、既に別の場所での事業実施が決まっていたため、こちらも辞退した。

 24日の市議会総務教育常任委員会で経緯が報告され、タイケン学園が正式な辞退理由を書面で示していないことや、市が計画の具体化を待つ間に交渉が長期化していたことが明らかになった。

 旧杉野小中学校は児童・生徒の減少により2020年3月に閉校。市は跡地を教育関連施設として再活用するため、2024年12月に土地・建物を一括無償譲渡する事業者を公募した。応募した2事業者を審査し、翌年3月にタイケン学園を優先交渉権者に選定した。

 同法人は旧校舎を広域通信制の「日本ウェルネス高校長浜キャンパス」として活用する計画を提案。午前に授業、午後に部活動を行い、1学年80人、全校240人規模の学校を構想していた。将来的には全日制への移行も視野に入れ、当初は最短で今年4月の開校を目指していた。

 市は昨年4月から同法人と土地・建物の譲渡契約や施設の活用に向けた詳細交渉を開始。しかし、学園側が必要とする学生寮やグラウンドの用地確保に時間を要し、具体的な事業計画が示されない状況が続いた。

学園、電話で辞退通告

 その後も計画が具体化しなかったことから、市は今年5月、6月30日を期限として詳細な計画書の提出を要請。5月末、学園側から電話で辞退の意向が伝えられた。市は正式な辞退届の提出を求めたものの、書面は提出されず、7月に優先交渉権の取消を通知した。

 この日の委員会では辞退理由について質問が相次いだ。市担当者は、学生寮やグラウンドの確保に必要な費用に加え、物価や人件費の高騰が当初の事業計画に影響した可能性に言及。ただし、学園側から辞退理由を示した書面を受け取っておらず、あくまで市側の推測であるとした。

 市は7月23日付で教育関連施設を提案していた次点候補者に優先交渉権を引き継ぐことを通知したが、候補者から既に別の場所での事業実施が決まったと伝えられた。実質的な交渉には至らず、8月5日に辞退届を受理。これにより事業者公募は不成立に終わった。

 委員会では、交渉の長期化によって次点候補者を失った可能性についても質問が出た。市側は当初の公募時には次点候補者にも事業意欲があったとの認識を示し、1年以上の時間が経過したことが辞退の一因となった可能性に言及した。

 タイケン学園を巡っては、同じグループの社会福祉法人タイケン福祉会も2023年、長浜市内での保育所整備を取りやめている。市は整備補助金約1億9000万円を予算化していたが、同法人が予定地を確保できず、計画が中止となったため、予算を減額した経緯がある。

 この日の委員会でも過去の保育所計画との関連を問う質問が出たが、市側は今回の事業者選定について、別の事案として審査したと説明した。

 市は今後、新たな公募の実施を検討する。今回の交渉が長期化したことを踏まえ、交渉期間や必要な手続きを明確にする考えを示している。

2026年9月29日

長浜のまちが美術館に

アートインナガハマ、3・4日

 長浜の秋を彩る恒例の芸術祭「アートインナガハマ」(通称AIN)が10月3、4の両日、中心市街地一帯で開かれる。今年は40回目の節目。全国から156組の作家が集まり、商店街に多彩な作品が並ぶ。記念ライブペインティングや謎解きまち歩きなど、子どもから大人まで楽しめる企画も盛りだくさん。

 同イベントは1987年に豊公園で誕生。豊臣秀吉の楽市楽座を芸術の世界で再現しようと始まり、現在は中心市街地を舞台に作家と来場者が交流する秋の恒例行事となっている。

 今年の目玉は、3人組のアーティストユニット「KAOMANGAI」による40周年記念ライブペインティング。曳山博物館広場で2日間かけて大型作品を完成させる。また、画家・大村順さんによる、亡くなった大切な人への思いを描く「絆画展」やトークショーも開かれる。

 きいなパークでは、恒例の「AINカーニバル」が開かれ、陶芸や木工、アクセサリー、苔玉作りなど、多彩なワークショップを予定する。作家から直接教わりながら、ものづくりを楽しめる。ギャラリー楽座では、長浜ジュニアアート教室に通う園児から高校生までの作品を集めた「あーたま展」も開かれる。

 3日には、出演者を探して謎を解きながら城下町を巡る参加無料のまち歩きシアターを開催。両日実施するデジタルスタンプラリーでは、ゲームをクリアすると各日先着350人にオリジナルどら焼きをプレゼントする。

 開催時間は3日が午前10時から午後5時、4日が午前10時から午後4時。

特別企画 人形劇まつり開催

 第20回人形劇まつりが10月4日、元浜町の安浄寺で開かれる。今年で40回目を迎える「アート・イン・ナガハマ(AIN)」の特別企画で、県内外のプロ劇団や地元の人形劇サークルが出演し、3公演を繰り広げる。児童文化活動グループ「すずめの学校」・人形劇まつり実行委員会の主催。

 午前11時からは福島県のプロ劇団「なにぬの屋」が布紙芝居「ねずみきょう」「へたれよめご」を上演。午後1時からは大津市のプロ劇団「人形劇・トロッコ」がトランクシアターと、ざるしばい「さるかに」を披露する。午後3時からは長浜市の「人形劇サークルピエロ」が人形劇「からすのパンやさん」などを上演する。

 開場は各公演の15分前。入場料は3公演を鑑賞できる1日通し券で、中学生以上500円、3歳から小学6年生まで200円、2歳以下無料。問い合わせは実行委員長の中北やよいさん(☎090・8522・1546)。

2026年9月29日

浜仏壇に息づく江戸の職人技

極楽寺で歴史や特徴を紹介

 大路町の極楽寺で20日、秋季彼岸会に合わせ、湖北地方に伝わる浜仏壇(浜壇)の歴史や特徴を紹介する講演が開かれた。長浜城歴史博物館の学芸員・坂口泰章さんが、浜仏壇を生み出した大工一門「藤岡和泉」の業績や長浜曳山まつりとの関わりを解説し、伝統技術を後世に伝える大切さを訴えた。

 講演に先立ち、一般社団法人浜壇保存会の代表理事・関谷光洋さんが、仏壇に使われている白木彫刻や銅製の飾り金具を紹介。金具の実物を参拝者に回し、細部に施された職人技を間近で見てもらった。

 続いて坂口さんは、浜仏壇の起源について、江戸時代初期に長浜の宮大工・藤岡家が生み出した様式が基礎になったと説明した。藤岡家は寺社建築や仏壇の製作に加え、長浜曳山まつりの曳山の建造にも携わった大工一門で、約250年にわたって活動したという。

 曳山博物館には、1680年に藤岡甚兵衛重光が製作した浜仏壇が残されており、屋根の裏側の墨書から製作年代や作者が判明した。坂口さんは「藤岡家が作った仏壇が人気を博し、弟子たちも同じような仏壇を作るようになった」と、浜仏壇の様式が広まった経緯を紹介した。

 浜仏壇の特徴として、木の素材を生かした白木彫刻や、木目を引き立てる漆塗り、精巧な飾り金具などを紹介。江戸時代の金具には、現在では再現できる職人がほとんどいない技法も使われているという。

 また、仏壇の引き出しの裏などに、製作年代や作者を記した墨書が残されている場合があることを説明。「皆さんのご自宅に帰って、仏壇の引き出しなどをご覧いただいたら、もしかしたら墨書があるかもしれない」と呼びかけた。

 坂口さんは「江戸時代の伝統技術が至る所に使われている。これを再現できる職人は今ほとんどいない」と話し、家庭に残る仏壇を大切に後世へ伝えるよう訴えた。

 浜壇保存会は、長浜仏壇の歴史や技術の調査、保存、普及に取り組んでいる。次回は11月1日午後1時45分から、内保町の成満寺の報恩講の際に講演を行う。問い合わせは保存会事務局の永樂屋長浜店(☎64・0181)へ。

2026年9月29日

ユネスコ遺産の曳山、曳き手募集

10月10日、秋の巡行で一般参加者を公募

 ユネスコ無形文化遺産に登録されている長浜曳山まつりの曳山を、自分たちの手で曳いてみませんか—。長浜曳山文化協会は10月10日に開催する「秋の曳山巡行」で、一般市民や観光客を対象に曳き手を募集している。

 秋の曳山巡行は、曳山博物館に収蔵する曳山の入れ替えに合わせて毎年行われている。今年は、来年の曳山まつりに出場する月宮殿、青海山、春日山、諫皷山の4基を博物館から各山蔵へ戻し、再来年の出番山となる高砂山、壽山、猩々丸、鳳凰山の4基を博物館に搬入する。

 山曳き体験は、普段は曳山を曳く機会のない市民や観光客にも伝統文化に直接触れてもらおうという企画。春の曳山まつりでは実施されない秋だけの特別プログラムで、参加者は法被を着用し、重さ約5㌧の本物の曳山を「ヨイサー」の掛け声とともに、山組の若衆らと一緒に曳く。

 対象は中学生以上。個人のほか、友人や家族、学校、職場の仲間など1〜5人のグループでも申し込める。午前と午後に実施し、担当する曳山が決まり次第、詳しい時間と集合場所を連絡する。

 小学生以下を対象とした「こども山曳きチャレンジ」も午後2時半ごろから曳山博物館広場で開催する。こちらは事前申し込み不要で、当日会場に集合すれば参加できる。

 また、今回はまつり鑑賞用の桟敷席を2カ所に再現。北国街道の文泉堂に「銭作席」、大手町の旧一八屋の町家に「一八屋席」を設ける。

 銭作席は、江戸時代から続く両替商「銭作」に由来し、1838年には彦根藩主の一族、井伊直容が祭礼を観覧した記録が残る。当日は曳山を眺めながら飲食や休憩ができる。一方、一八屋席は、子ども歌舞伎を演じる「狂言開始席」(例席)の一つとして定められた場所。現在の祭典申合規約にも引き継がれており、当日は旧店舗で箱ずしや和菓子、飲み物を販売する。

 開館25周年を迎えた曳山博物館では、長刀山を開館以来初めて収蔵する。10月11日から修理ドックで公開するほか、25日まで5基を公開する特別展示も行う。

 巡行は午前11時から午後5時ごろまで。荒天の場合は17日に延期する。山曳き体験は定員になり次第締め切る。申し込みはhttps://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScE7gknm0P-A83CUJec6_8x6c0o5ED6lpkazr7ZgP3jbmUeHA/viewformから。問い合わせは曳山博物館(☎65・3300)へ。

2026年9月28日

消防団「伊吹班」が総理大臣表彰

一昨年の土砂災害時の活動が評価

 米原市消防団伊吹方面隊第2分団伊吹班が、一昨年に発生した伊吹山の土砂災害での活動功績が認められ、防災功労者内閣総理大臣表彰を受賞。15日に首相官邸で表彰式が行われ、消防団員に栄誉が贈られた。

 防災功労者内閣総理大臣表彰は、災害時の人命救助や被害拡大の防止など、防災活動に顕著な功績を挙げた個人や団体を対象とするもの。平時の防災意識の向上や防災体制の整備などに尽力した団体・個人も対象となる。

 2024年7月の大雨の影響で、伊吹山の勝山谷では土砂災害が発生。伊吹地区の多くの民家で浸水被害が出たため、第2分団伊吹班は地域の消防団として現場での警戒や情報収集、住民の安全確保などに当たり、被害の拡大防止に尽力した。今回、こうした一連の活動が高く評価され、内閣総理大臣表彰につながった。また16日には滋賀県知事から感謝状も贈られた。

 米原市は今回の受賞について、伊吹班の活動を称えながら、市民の防災意識の一層の高まりや地域の防災力強化につながることを期待している。

 なお第2分団伊吹班は市消防団の組織再編に伴い、現在は第14班となっている。

2026年9月28日

全国大会出場の選手集め報告会

 今年度、スポーツの全国大会や国際大会に出場した米原市内の選手を集めた報告会が24日、市役所本庁舎のコンベンションホールで開かれた。小学生から大人まで35人が出席し、大舞台での成果や大会を通じて得た経験、今後の目標を発表した。

 報告会にはこれまでの大会に出場した選手のほか、今月26日からの全国大会への出場を控える選手が参加し、それぞれ大会での結果や感想、これからの目標などを発表。競技種目や年代はさまざまだが、日頃の練習の成果を発揮した大会を振り返りながら次の舞台に向けた決意を語った。

 このうち、8月に米国で開かれたカル・リプケン12歳以下世界少年野球大会に日本代表として出場した長浜リトルシニアの中関友大さん(米原中1年)は「世界各国の選手たちと対戦でき、とてもいい経験になった。この経験を生かして、これからも頑張りたい」と話した。

 報告会後、滋賀夕刊新聞社の取材に、全日本中学校陸上競技選手権大会の男子四種競技(110㍍ハードル、砲丸投げ、走高跳、400㍍走)で準優勝に輝いた結城大馳さん(双葉中3年)は「結果が出た時はうれしすぎて、競技場を走り回った。四種競技はいろんな種目ができる楽しさがある。高校でも楽しみながら、それぞれの種目の成績を上げたい」と述べた。

 空手の全日本少年少女選手権大会グランドチャンピオン決定戦で準優勝だった治居杏純さん(河南中3年)は「初めての入賞で、しかも準優勝だったのでうれしかった。11月の全国大会でもいい結果が出るようがんばりたい」と話し、同じ大会に出場してベスト8だった双子の妹の李純さん(同)は「悔しい結果だったので、11月の全国大会では優勝を目指していく」と力強く語った。