そば店など8者が会設立、ロゴ制作
伊吹山中腹で鎌倉時代から栽培されてきた「伊吹在来そば」を守り全国にPRするため、米原、彦根両市のそば店など8者が「伊吹在来そばの会」(膽吹邦一会長)を設立。在来そばの名称を使用できる基準やロゴマークをつくり、クラウドファンディング(CF)を通じて全国に発信している。
伊吹在来そばは粒の直径が4・5㍉以下で一般の品種より小粒。殻を除いて製粉すると淡い緑の色合いや甘み、香りが強く出る。平安時代後期から鎌倉時代に伊吹山中腹で栽培が始まったとされ、2019年には地域の特色ある農林水産物を守る地理的表示「GI」保護制度の対象に選ばれている。
同会のメンバーは膽吹会長(麺工房伊吹長兵衛)のほか、水田裕久さん(雲鈴)、谷口隆一さん(久次郎)、門田真吾さん(献上伊吹そばつる亀庵)、小林満さん(そば処百百百百(どどもも))、伊富貴務さん(蕎麦の里伊吹)、伊富貴良市さん(蕎麦の里伊吹)、山崎茂さん(麻心)の8人。
在来そばを使っていないものの「伊吹そば」や類似の名称を使用している乾麺などの商品が販売されていることから、差別化を図るため同会では「伊吹在来そば」の名称をブランドとして使用する。
同会では「伊吹在来そば」の名称を使用できる基準として、そば店で提供する際には商品全体に占める在来そばの割合を7割以上、乾麺などの商品を販売する際には5割以上とすることを決めている。同会のお墨付きとなるロゴマークも制作した。
CFサイト「キャンプファイヤー(https://bit.ly/40IQuU8)」でいぶき在来そばをPRし、6月2日までチラシやポスター、リーフレットなどの製作資金を募っている。目標金額は30万円で、返礼品に食事券や乾麺などを用意している。
同会は「在来種にこだわったそばを作り続けることを誇りにしており、この素晴らしい伝統と味を全国へ広め、後世へと継いでいきたい」としている。
【伊吹在来そば】古くから山岳信仰の霊場、修業の場として神聖視されてきた伊吹山で、平安時代後期から鎌倉時代にかけて中腹に開かれた太平護国寺で修行をする修行僧たちが食料を確保するためにそばの栽培を始めたことが起源とされる。
松尾芭蕉の弟子、森川許六の文献「本朝文選」(1706年)には「伊吹蕎麦。天下にかくれなければ。からみ大根。又此山を極上とさだむ」と記され、そば文化が花開いた江戸時代にはすでに「伊吹在来そば」の美味しさが全国に知られていたことがうかがえる。
江戸時代に膳所藩が編さんした「近江與地志略」(1734年)には秋になると琵琶湖の船の上からも伊吹山に広がるそばの白い花を見ることができたと伝わり、「伊富貴山之図」(1739年、彦根藩井伊家文書)には伊吹山の西面にそば畑が描かれている。
太平護国寺が衰退した江戸時代以降は太平寺村の名産としてそば栽培は継続されたが、昭和の高度経済成長期に伊吹山の一部がセメント鉱山になったことに伴って住民が麓に移住し農家が激減。そばの栽培量も大幅に減少し、太平寺地区に近い峠地区で一部の農家が在来そばの栽培を守り続けていた。
地元のそば愛好家が1995年に農家から種子を譲り受けて栽培したのを機に復活の機運が高まり、現在は姉川の渓谷沿いをはじめ谷口から広がる米原市内に栽培が拡大している。年間生産量は平均30㌧ほどになるという。