豊公園の石垣遺構で現地説明会、300人集まる
長浜市の発掘調査により、秀吉築城期の石垣の遺構が初めて豊公園で見つかったことを受け、17日、現地説明会が開かれ、約300人の歴史ファンが集まった。
長浜城は天正2年(1574)、羽柴秀吉が築城したとされ、大坂の陣に勝った徳川家によって廃城されるまでの40年間に山内一豊ら5人が城主となっている。
廃城後、資材の大半が彦根城の築城に流用されたため、遺構はほとんど残っておらず、明確な絵図面なども見つかっていないため、城の全容は明らかにされていなかった。
市は豊公園の再整備に伴い、今年3月から7月まで行った発掘調査で城跡の一部から長さ4・5㍍にわたる石垣の遺構を発見。
石が小さく、大きさ、材質とも不揃いで、くさびで石材を割る技法が使われていないことから、城郭研究の第一人者、中井均さん(県立大教授)は天正時代初期のものと推定。「当時の城主だった秀吉や一豊の頃に築かれた石垣の可能性が高い」とし、さらに長浜市市民協働部の太田浩司学芸専門監は「一豊は財力が乏しく、秀吉が築城したと考えられる。確たる証拠が出土した」と分析している。
現地説明会では発掘をした市歴史遺産課の池嵜陽一主幹が石垣の構造や材質などを解説。「石垣の形や大きさがわかった貴重な資料。優れた調査結果といえる」と語り、参加者も熱心にメモを取るなどしていた。
東上坂町の杉山佳奈さん(25)は「秀吉期の石垣が見つかったのはすごい。秀吉の業績や長浜城の全容解明につながるのでは。今後の調査に期待したい」と話していた。