和りんご守り続け15年

湖北町伊部 柴垣勇さん(80)

 戦国武将・浅井長政も食したとされる「小谷城和りんご」の栽培に取り組んで15年。地域のまちおこしに貢献している。

 手作り甲冑による武者行列がメインの「小谷城ふるさと祭り」で、地域振興に貢献した小谷城址保勝会は「第二のまちおこしにつながるヒント」を探していた。当時、事務局長だった柴垣さんは西洋リンゴの栽培が趣味で、知人から彦根で和リンゴ栽培が行われていることを知った。

 和リンゴは、実の直径が4、5㌢と西洋リンゴに比べて小さく、酸味、渋味が強いのが特色。平安時代に薬の実や観賞用として中国から伝わり、食用としても広く栽培されていたが、明治以後、西洋リンゴの普及で姿を消していた。

 また、古文書から長政が約470年前、木之本町古橋の三殊院に充てた礼状で、貰い受けたリンゴの礼を述べており、当時、長浜でも栽培されていたこともわかった。

 これらのエピソードを基に2007年、和リンゴの特産品化を計画。彦根りんごの復活に取り組むグループから枝を分けてもらい、台木に接木。「小谷城和りんごを復活させる会」を発足させ、木のオーナーを募り、小谷山の麓の畑に約300本を植えた。

 ところがサルの食害に遭い、3年目からは獣害を避け、高時川河川敷などで栽培することに。また、メンバー10人の高齢化も進むなどし、「やめよう」と思った時もあったが、市から浅井三姉妹博覧会の開催に合わせた特産品化の話も舞い込み、ジャム、酵素ジュースなどを開発したところ、飛ぶように売れた。

 今年も高時川の畑が浸水したものの、被害に遭わず50本から2㌧を収穫できた。また、和リンゴを使ったシードルを作りたい、という頼もしい男性(34)が現れ、前途も明るくなってきた。

 柴垣さんは「小谷城和りんごを全国にアピールできたことが何より。作るだけ、売るだけでは長く続かない。ようやく意欲的な後継者が出てきてくれた」と話し、「リンゴは昔から健康に良い、と言われている。自然とリンゴから元気をもらっているのかも」と目を細めていた。

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 9月の「敬老月間」にちなみ、長浜でまちおこしやボランティアなど、元気に活躍しているお年寄りをシリーズで紹介します。

掲載日: 2022年09月13日