湖北の鉄道遺構 日本遺産に

初代長浜駅舎 柳ヶ瀬トンネルなど45件

 地域の歴史的な文化財などを「ストーリー」としてまとめ、観光振興につなげる「日本遺産」に、長浜市、敦賀市、南越前町の3市町が申請していた「海を越えた鉄道〜世界へつながる鉄路のキセキ」が文化庁から認定された。

 認定されたのは、明治17年に長浜と敦賀を結ぶ鉄道が敷設されたことで、敦賀と、シベリア鉄道の発着地であるウラジオストクを鉄道連絡船で結び、東京からヨーロッパまで渡航できる「欧亜国際連絡列車」の運行が可能になったというストーリー。

 3市町には明治時代の鉄道遺構が数多く残り、これらを活用した観光連携を図るため2017年に「長浜市・敦賀市・南越前町観光連携協議会」を設立している。

 日本遺産は、現存する日本最古の駅舎である初代長浜駅(鉄道スクエア内)、現在は県道として利用されている柳ヶ瀬トンネルなどの建造物のほか、焼鯖、浜ちりめんなど鉄道開通がもたらした食文化や産業も含め、計45件の文化財で構成されている。

 文化庁は「観光客が興味を持てる資源・要素を上手く組み立てた。インバウンドを誘引できるストーリーで興味深く、内外の交通を生かした着地型観光に期待したい」と評価し、藤井勇治市長は「日本遺産を核に敦賀市・南越前町と連携をとり、日本遺産ブランドを生かしたさらなる情報発信や魅力アップを広域的・国際的に取り組みたい」とコメントを発表した。

 日本遺産認定を受けて3市町は19日、構成文化財の一つで現存する最古のトンネル「小刀根トンネル」(敦賀市)でセレモニーを実施。藤井市長らがくす玉を割って認定を祝った。

 なお、長浜市関連の日本遺産は、竹生島と西浅井町菅浦が「琵琶湖とその水辺景観」として、竹生島宝厳寺が「西国三十三所観音巡礼」として認定されている。

 【日本遺産】地域に残る有形・無形の文化財や伝統文化を活用して、地域の文化・伝統を語る「ストーリー」としてパッケージ化し、国内外へ発信することで観光振興や地域活性化を図ることを目指し、文化庁が認定している。

海を越えた鉄道〜世界へ  つながる鉄路のキセキ

 古来、日本海側の物資は敦賀から琵琶湖を経て京都・大阪に運ばれていたが、その道は峠を越えなければならず、800年も前の平清盛の時代から運河建設計画が浮かんでは消え、実現することはなかった。明治2年、日本海と太平洋をつなぐ国家プロジェクトとして、琵琶湖—敦賀間の鉄道敷設計画が動きだし、鉄道の将来性を確信した長浜の商人たちがいち早く誘致に動き、長浜が琵琶湖側の拠点となった。

 柳ヶ瀬トンネルなどが整備され、急こう配の登坂に耐えうるD51形蒸気機関車が登場した。D51は日本で最も量産された機関車でそのサイズは小刀根トンネルに合わせて設計されている。小刀根トンネルは現存し、レンガ積みの壁面など当時の技術を間近で見ることができる。

 明治15年には長浜駅が開業し、20年には向かいに明治天皇行幸の休憩所として慶雲館が長浜商人によって建てられた。

 35年にシベリア鉄道が開通し、敦賀—ウラジオストクの定期航路が開設されると、敦賀港は日本海側屈指の国際港として発展。45年には東京・新橋—金ヶ崎(敦賀港)—ウラジオストク—ヨーロッパを1枚の切符で渡航できる直通列車「欧亜国際連絡列車」が開業。当時のヨーロッパまでの最短ルートであり、歌人・与謝野晶子がパリへ行き、ストックホルム五輪では金栗四三ら日本選手団が利用した。

 第2次世界大戦中にはリトアニア領事代理の杉原千畝が発給した「命のビザ」を持ったユダヤ人がナチスの迫害を逃れて敦賀に上陸した。敦賀港を望む場所に資料館「人道の港敦賀ムゼウム」が設立され、「命のビザ」の物語をたどって子孫らが訪れている。

掲載日: 2020年06月20日