2026年8月21日

高齢者見守る1万人の目

長浜市のSOSほんわかネット、登録者着々と

 認知症などで行方不明になった高齢者を地域ぐるみで捜す長浜市の「認知症高齢者等SOSほんわかネットワーク」のメール、LINEの受信登録者が7月、1万人を突破した。市は、配信を受けた市民の情報提供が早期発見につながった実績もあるとして、より多くの市民に登録への協力を呼び掛けている。

 ネットワークは、認知症のある高齢者らが行方不明になり、家族などが警察署に行方不明者届を提出した際、本人の特徴などを地域の協力者へ配信する仕組み。協力者から寄せられる目撃情報などを早期発見、早期保護につなげる。市が2016年から運用している。

 当初は携帯電話などへの電子メールで情報を配信していたが、22年からは市公式LINEでも受け取れるようにした。地道な周知に加え、LINEの普及も登録者の増加につながり、今年7月にメールとLINEを合わせた受信登録者が1万人を超えた。現在(8月17日時点)の登録者はLINE7565人、メール4291人の計1万1856人となっている。市は1万人突破を契機に、さらに登録の輪を広げたい考えだ。

 ネットワークは実際の発見にも力を発揮している。過去には、行方不明になっていた高齢男性の情報をメールで受け取った市民が男性を発見し、配信からわずか25分後の保護につながった事例もあった。多くの人が情報を受け取ることで、地域に張り巡らされた「目」が増え、発見の可能性を高める。

 市公式LINE(https://page.line.me/gxo9116i?openQrModal=true)では、受信設定画面の「高齢者等行方不明者情報」を選択すれば登録できる。市は「認知症のある人を含む、誰にとってもやさしいまちづくりに資する仕組み」と位置付けており、一人でも多くの市民に協力を求めている。

 長浜市では2025年3月に「長浜市認知症とともに生きる基本条例」を制定、施行。認知症のある人を含む市民全体が安心して暮らせるまちづくりを進めており、ほんわかネットワークもその一翼を担っている。

2026年8月21日

琵琶湖の美しい風景 色鉛筆で

福永さん、「フィッシュクラフト」も

 渓流の魚を木彫りで表現している福永和明さん(69)=東近江市=の色鉛筆画展が彦根市本町のカフェ&ギャラリーぜんで開かれている。22日午後1時半から福永さんのギャラリートークも行われる。

 福永さんは45歳の時、友人に誘われてフライフィッシングを始めて以降、木曽地方や東北などで渓流釣りをしている。釣り上げた魚を残すため、魚拓やはく製にする釣り人が多い中、福永さんは木を魚の形に彫って残す独自の手法を考案。「フィッシュクラフト」と名付け、釣り仲間から依頼を受けた魚を東近江市内の工房で制作している。

 一方で、2021年に右肩を痛め、フィッシュクラフトの制作が一時できなくなったことをきっかけに、独学で色鉛筆画を開始。淡海環境保全財団で働く中で琵琶湖の自然に接し、改めてその美しさに気づいたことから、県内各地の湖岸風景を題材に描いている。作品には釣り人を描くことも忘れていない。

 彦根で初めてとなる作品展では、石寺町の「あのベンチ」や長浜市内の湖岸から望む竹生島、海津大崎の桜並木などを描いた色鉛筆画37点を展示。このほか、秋田県のイワナやヤマメ、北海道のニジマスなどのフィッシュクラフト6点も並べている。

 福永さんは「滋賀県民なら琵琶湖の光景はいつもの風景かもしれないが、絵を見ながら改めてその魅力を感じてほしい」と話している。22日のギャラリートークはテーマが「ようやく見つけた私の表現」。

 開館日時は30日までの金土日の午前10時から午後4時。場所は本町2丁目3番45号。駐車場あり。問い合わせはぜんの戸所さん☎090(3283)9508。

(滋賀彦根新聞)

2026年8月21日

鞘塗りの技、一本のペンに

渡邊美術工藝が開発「matou」

 長浜曳山まつりの山車修復や仏壇の漆塗りなどを手掛ける渡邊美術工藝(三ツ矢元町)が、日本刀の鞘に受け継がれてきた伝統技法「鞘塗り」を生かしたボールペン「matou(まとう)」を開発した。19日からクラウドファンディングサイト「Makuake」で応援購入の募集を始めた。仏壇や漆器の需要が減る中、塗師の渡邊嘉久さん(62)が105年続く工房の技を日常の道具へと落とし込み、次代につなごうとしている。

 渡邊美術工藝は大正10年創業。濱仏壇をはじめ、曳山まつりの山車や文化財の漆塗り、修復などに携わり、長浜の漆文化を支えてきた。曳山の「平成の大修理」では6基の漆塗り修復を手掛けた。

 一方、生活様式の変化などから仏壇や漆器の需要は減り、漆職人が技術を発揮する機会も少なくなっている。渡邊さんは仕事と向き合う中で、「伝統は、守るだけでは未来へ残らない」と考えるようになった。

 そこで目を向けたのが、毎日の暮らしの中で使われるボールペンだった。

 「matou」は、日本刀の鞘を美しく仕上げる鞘塗りの技法を筆記具に応用したもの。国産ケヤキを木軸に使い、旋盤で1本ずつ形を整えた後、漆を塗り、乾燥させ、研ぐ工程を何度も繰り返す。完成までには約1〜2カ月を要する。

 仕上げは、木目を生かす「拭漆」、深みのある艶を出す「木地呂」、使ううちに下の色が現れる「根来」、細かな輝きを見せる「梨地」の4種類。漆は使い込むほど艶や透明感が増すといい、持ち主だけの一本へと育っていく。

 開発のきっかけになったのは、渡邊さんが手掛ける漆のたまご「naderu(なでる)」だった。卵形の木地に天然漆を重ね、手のひらで撫でながら漆特有の滑らかさや温もりを味わう「触れる瞑想道具」として考案。今年2月には東京の展示会に単独出展し、国内外から手触りや発想への反響が寄せられた。

 その経験から、漆は見るだけでなく、実際に触れ、日常の中で使うことで魅力が伝わるとの思いを強めた。より身近な道具として着目したのがボールペンだった。

 渡邊さんは「現代の暮らしの中で使われ、人に愛されてこそ、技術は次の世代へ受け継がれていく。1本のボールペンを通して、長浜の漆文化を発信したい」と話している。

 価格は7700円から。詳細は「Makuake」(https://www.makuake.com/project/sayanuri/)から。

 

 

2026年8月21日

木之本地蔵大縁日 22日から

約100店の露店、最終日は800発の花火

 木之本町の木之本地蔵院一帯で22日から25日まで、「木之本地蔵大縁日」が開かれる。眼病平癒や延命息災の仏様として信仰を集める「木之本のお地蔵さん」の大縁日で、門前の北国街道や地蔵坂には約100店の露店が並ぶ。期間中は約10万人の参拝者が見込まれ、最終日の25日には約800発を打ち上げる「木之本大花火大会」が開かれる。

 木之本地蔵院は、正式には長祈山浄信寺。寺伝では白鳳3年(675)、奈良・薬師寺の僧、祚蓮上人が地蔵菩薩像をこの地に安置したのが始まりとされる。本尊は国の重要文化財に指定された秘仏で、境内には本尊を写した高さ約6㍍の地蔵大銅像が立つ。眼病に苦しむ人の身代わりとなったと伝わる「身代わり蛙」でも知られる。

 北国街道と北国脇往還が交わる木之本は、宿場町であるとともに地蔵院の門前町として発展。大縁日は古くから湖北を代表する夏の風物詩として親しまれてきた。

 今年の大縁日は22日午後5時から9時半、23、24日は午前9時から午後9時半、25日は午前9時から午後9時まで。最終日の花火大会は午後7時半から8時までで、湖北THGツインアリーナ西側から打ち上げる。荒天時は延期する。

 湖北THGツインアリーナみどりの広場には定員300人の有料観覧会場を設ける。チケットは1500円で、長浜米原観光協会ツアーセンターとふれあいステーションおかんで販売している。

 期間中は会場周辺で車両通行止めなどの交通規制を実施する。主催者は混雑が予想されるとして、公共交通機関の利用や自家用車の乗り合わせを呼び掛けている。主催はふるさと夏まつり実行委員会(尾板昭一会長)。

 

※写真は過去のものです。

 

 

2026年8月21日

「好き」を教えるセンセイ募集

11月のながはまコミュニティカレッジ学園祭

 市民が「センセイ」となり、自分の好きなことや得意なことを市民に伝える「ながはまコミュニティカレッジ学園祭」が11月28日、さざなみタウンで開かれる。主催の実行委員会は、授業やワークショップを担当する「センセイ」を今月28日まで募集している。

 ながはまコミュニティカレッジは、学びを通して市民が楽しみながら社会や地域に関心を持つきっかけをつくり、市民同士のつながりから新たな活動や場が生まれることを目的に、有志の実行委員が主体となって取り組んでいる。昨年度に続き、市民が「センセイ」と「セイト」になって学び合う学園祭を開催する。

 募集するのは、45分間の授業60コマと、午前・午後各3時間のワークショップ12コマ。自身の活動や趣味、仕事などを通じて培った知識やノウハウを伝える内容で、「好き」を語りたいという思いがあればジャンルや対象年齢は問わない。長浜市内の在住、通勤、通学者を優先するが、市外からも応募できる。18歳未満は保護者の同意が必要で、中学生以下は当日、保護者か保護者が同意した成人の付き添いが必要となる。

 昨年度は「レコード入門&ジャズ入門」や「バルーン教室」など、授業47コマ、ワークショップ10コマが開かれ、延べ700人が参加した。

 申し込みは専用のウェブフォーム(https://qr.paps.jp/dJISP)か応募用紙で受け付ける。定数に達した場合は早めに締め切ることがある。9月18日午後6時半からは市役所で「センセイ説明会」も予定している。

 

 

2026年8月21日

【湖北史記 其の66 】下坂浜町の「さいかち」の木と一向一揆

 長浜市下坂浜町の集落の南端に、「保存樹『さいかち』にまつわるお話」という同町自治会が設置した説明看板があり、「さいかち」の木も一本残る。看板によれば、かつてこの辺りから田村町の湖岸にかけては「さいかち」の木が多数生えており、「さいかち浜」と呼ばれたという。さらに、浅井氏に味方した一向一揆と、織田信長方の木下秀吉との戦闘が、この地で展開したことを記す。浅井長政と織田信長の壮絶な4年間の戦いのなかで、姉川合戦以外では最大の戦い「箕浦・さいかち浜合戦」のことである。

 この合戦については、木下秀吉自身が、家臣と目される徳山右衛門(うえもん)へ、坂田郡南部であった元亀2年(1571)5月6日の合戦経過を伝えた文書が残っている(長浜市長浜城歴史博物館蔵)。同書によれば、浅井軍が信長方であった鎌刃(かまのは)城(米原市番場)がある箕浦荘(みのうらのしょう)まで出撃してきたため、横山城(長浜市石田町など)から出撃した秀吉軍が、鎌刃城兵に合流して、箕浦(米原市箕浦)付近で応戦し勝利する。

 秀吉軍は、箕浦付近から敗退した敵を、八幡(長浜八幡宮・長浜市街地付近)まで追撃、多くを討ち取った上、取って返した敵も三度まで押し返した。その上、残った敵は海(湖)へ追い入れて勝利したと記している。秀吉自身が、「箕浦・さいかち浜合戦」の一部始終を語った史料として非常に貴重である。この時、「さいかち浜」では、秀吉軍により浅井氏・一向一揆軍の多くが湖水に追い詰められ、溺死(できし)したと伝承されている。

 一方、織田信長の年代記『信長公記(しんちょうこうき)』にも、この合戦についての記述がある。そこには、箕浦で秀吉軍に撃退された浅井軍には、一向一揆軍が含まれ、下長沢(米原市長沢)でも合戦があったこと、秀吉方の樋口直房(なおふさ)の家臣・多羅尾(たらお)相模守らも討ち死したとある。浅井軍は切り崩され、下坂の「さいかち浜」に逃れた後に、さらに八幡や下坂に向かって逃れていったと記す。

 秀吉の書状では、先に八幡まで追撃し、その後「海へ追入」とあるので、八幡での戦いより「さいかち浜合戦」が後にあったことになる。『信長公記』では「さいかち浜合戦」が先で、敗れた兵が八幡へ逃げて行ったとある。地理的に言えば、『信長公記』の方が自然だが、秀吉自身の言葉も重視したい。

 米原市長沢の福田寺境内にある「殉教万人塚(じゅんきょうまんにんづか)」は、時の住職・覚芸に率いられて信長・秀吉軍と戦い、犠牲となった門徒衆を弔うために建立されたものという。下坂浜町の「さいかち」の木も、浅井氏と秀吉の戦跡として、また湖北真宗門徒の信仰の証(あかし)として大切にしたい。

 

下坂浜町の「さいかち」の木

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2024年11月12日掲載)

2026年8月21日

【湖北史記 其の65 】長浜市室町の「兵庫居立」と広瀬兵庫

 長浜市室町に「兵庫居立(いだち)」という場所がある。室町の日枝神社の西、同町自治会管理の広場になっている所である。ここには、かつて長浜城主羽柴秀吉に仕えた広瀬兵庫の屋敷があったと伝承する。中世の城主を列記した「江州佐々木南北諸士帳」にも、兵庫が室村に住(すま)いするとある。この広瀬兵庫は、現在の岐阜県揖斐郡揖斐川町坂内広瀬の出身で、長浜城の築城時も、秀吉の命で西美濃から建築資材としての竹の提供を行なっていたことが知られる。秀吉が長浜城主となった前後から、その家臣であった武将である。

 兵庫は、秀吉や主だった家臣が備中高松城攻めで中国地方に出陣している時、長浜城の留守居の一人であった。天正10年(1582)6月2日に本能寺の変が起こり、明智軍が長浜城に乱入することを予期して、秀吉の家族たち(妻の「ねね」や母の「なか」)を、自らの本貫(ほんかん)の坂内広瀬まで誘導し、安全を確保した。その経路は、東草野の甲津原(米原市甲津原)から、江濃国境の新穂峠(しんぽとうげ)を越えての逃避行だったとされる。

 この話を裏付ける文書も残っている。長浜城主だった羽柴秀吉と、信長の五男で秀吉の養子となった羽柴秀勝の連署で、同年6月19日付の広瀬兵庫に宛てた宛行状(あてがいじょう)である。秀吉家族を西美濃に逃した恩賞として、兵庫に対し高山(長浜市高山町)・甲津原・杉野(長浜市木之本町杉野)の地において、500石の地を与えるとある。この文書は、昭和2年(1927)発刊の『東浅井郡志』に「甲津原区有文書」として掲載されていたが、長く行方が分からなくなっていた。平成27年(2015)になって、湖北を離れ遠方に所在することが発見され、長浜城歴史博物館で展示された経緯がある。

 広瀬兵庫を先導役に抜擢したのは、浅井郡尊勝寺村(長浜市尊勝寺町)の称名寺の僧・性慶(せいきょう)であったという。実は、この性慶に対しても、7月1日付けで秀吉家臣の卜真斎(ぼくしんさい)信貞から、「筑前守足弱衆(あしよわしゅう)」の逃避行に尽力したことに対する礼状が残っている。「足弱衆」とは女性たちの意味だが、この礼状で称名寺の寺領や家臣の保護を明言し、新たな屋敷2ヶ所を与えている。この性慶は、翌年の美濃(賤ヶ岳)大返しの際も、疾走する秀吉に従ったと伝えられている。

 6月13日の山崎合戦で光秀は敗北し、長浜城にいた明智軍は撤退、秀吉は17日に長浜に帰城し、「ねね」や「なか」も19日には無事に美濃から帰城している。先の兵庫への宛行状は、この日の発給(はっきゅう)である。秀吉家族の危機を救った広瀬兵庫の名は、「兵庫居立」と共に記憶に留めたい。

 

「兵庫居立」(長浜市室町)

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2024年10月29日掲載)

2026年8月21日

【湖北史記 其の64 】大辰巳町の旧地と大戌亥町

 長浜市内には、大辰巳町と大戌亥町の地名コンビがある。一方、長浜市山階町は、江戸時代に辰己村と戌亥村と言った。坂田郡内に同じ村名があっては紛らわしいということで、前者については彦根藩が「大」を頭につけさせたので、現在の町名に落ち着いている。「辰巳」は「南東」を意味し、「戌亥」は「北西」を意味する江戸時代の方位呼称である。

 山階町の場合、町の中心に立った時、旧辰巳村は「南東」に、旧戌亥村は「北西」に位置するので、村名の由来は明白である。一方の大辰巳村と大戌亥村の場合はどうか確認するため、両町の中心である国道8号線の大戌亥町交差点付近に立つと、大辰巳町は「北東」に、大戌亥町は「南西」に当たり、これでは丑寅(うしとら)村と未申(ひつじさる)村になってしまう。

 実は、大辰巳町は中世、もっと西の国道8号線付近にあり、高野部村または高鍋村と言ったとする伝承がある。地域の有力寺院である観音寺(米原市朝日)や総持寺(宮司町)の文書に、この村名が室町時代に現われる。たとえば、明応(めいおう)3年(1494)12月5日に、高野辺村の孫三郎は楞厳院荘(りょうごんいんのしょう)内の一段(いったん)の地を売却している(総持寺文書)。高野辺村・高鍋村の場所は、長浜新川に架かる現在の「たかなべ(高鍋)橋」付近であったと言われている。

 「たかなべ橋」付近は縄文時代以来の集落跡である鴨田(かもた)遺跡の一部にあたり、昭和63年(1988)の長浜新川にともなう発掘調査において、鎌倉時代の12世紀後半に始まり、戦国時代まで存続した集落跡が検出されている。特筆すべきは、仏具・石仏・小型木札などの他、30点以上のぼる宝徳(ほうとく)4年(1452)の年号が入った巡礼札が出土した仏堂跡も見つかっていることだ。高野辺村には西国三十三所巡礼者も訪れる仏堂があったようだ。

 中世に当地にあった高野部村または高鍋村は、現在の山階町の江戸時代と同じく「辰巳」と「戌亥」に分かれており、戦国時代末から江戸時代初めに同村は廃されて、中世の「辰巳」は「北東」へ移転し大辰巳村となったと見られる。一方、中世の「戌亥」が「南西」に移って大戌亥村になったと考えられないだろうか。つまり、「辰巳」・「戌亥」は移った方向ではなく、元の場所の位置勧関係と見るのである。

 ただし、大戌亥村の呼称については、地域に大きな影響力を持った地侍・下坂氏の城館との位置関係で説明する考えも存在する。同町の成立については、湖北十ヶ寺の一つで、町内の福勝寺の歴史や寺地も合わせて考える必要があり、謎が完全に明かされていない。

 

たかなべ橋(長浜市大辰巳町所在)

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2024年10月17日掲載)

2026年8月20日

「化粧のちから」で健康づくり

長浜市と資生堂が連携協定

 長浜市と資生堂ジャパンは19日、「健康づくり及び疾病対策に関する連携協定」を締結した。同社が自治体と同協定を結ぶのは滋賀県内では初めて。スキンケアやメイクアップなど「化粧のちから」を生かし、更年期を含む市民の心身の健康づくりを後押しする。

 締結式は長浜市役所で行われ、浅見宣義市長と資生堂ジャパン近畿支社の柏熊達雄支社長が協定書に署名した。

 協定では、▽健康づくりの推進▽疾病対策▽市民の健康意識の向上—などで連携する。市が開く健康測定イベントなどで、幅広い世代を対象にスキンケアやメイクを体験してもらうコーナーを設けるほか、市民向けの「更年期ブロッサミングセミナー」も実施する予定。

 同セミナーは、資生堂ジャパンが今年4月に始めた新たなプログラム。更年期世代の45〜55歳前後や、30代後半からの「プレ更年期世代」を主な対象に、ホルモンバランスの変化について学びながら、肌の手入れやメイクを通して更年期と上手に付き合う方法を伝える。性別を問わず家族で参加できる内容として展開する。

 締結式後には15分間の特別版セミナーが行われ、浅見市長や市幹部らも参加。化粧水などを使って実際にスキンケアを体験し、肌の手入れによる気持ちの変化などを確かめた。

 

 

 

2026年8月19日

歌声と笑顔つないで50周年

神照ヴィーナスエコーが9月6日記念コンサート

 湖北地域を中心に活動する女声合唱団「神照ヴィーナスエコー」が創立50年目を迎え、9月6日午後2時からルッチプラザ(米原市長岡)で記念コンサートを開く。団員たちは半世紀の歩みを振り返りながら、節目の舞台に向けて練習を重ねている。

 合唱団は1977年6月、神照小学校の保護者による「お母さんコーラス」として約15人で発足した。活動を続ける中では団員が半数以下まで減った時期もあったが、歌を愛する仲間たちがバトンをつないできた。

 現在の団員は18人で、年代は50〜70代。神照学区だけでなく長浜市内各地や彦根市、米原市からも集まる。北村常男さんの指揮、服部郁代さんのピアノで、神照まちづくりセンターを拠点に毎週金曜夜に練習し、長浜音楽祭や木之本合唱祭などに出演している。

 50周年記念コンサートの実行委員長を務める高橋真由美さんは、約25年前から合唱を続けている。入団のきっかけは、2002年に開かれた「七夕ありがとうコンサート」だった。客席で歌声を聴き、アンケートに「私も歌ってみたい」と記したところ、ほどなく団員から誘いを受けた。練習に加わると、すぐにその楽しさに引き込まれた。「私にとって癒やしの場になっています」と高橋さん。神照ヴィーナスエコーについて「いつも楽しく、笑顔がいっぱいの合唱団」と話す。

 発足当初はピアノもなかったという。「いろいろな苦労があったと思う。それでもここまで続けてくださった先輩方に感謝したい」と話し、記念公演では「私たち自身が楽しく歌い、お客さんにも感動してもらいたい。その感動が、毎日の生活の活力になれば」と思いを込める。

 団長の日和原薫さんは入団10年目。長浜市主催の合唱イベントに個人で参加した際、打ち上げの席で団員から誘われ、仲間と一緒に加わった。当時は40周年記念コンサートに向けて練習に励んでいた時期で、50周年を迎える今、「あのころのことを思い出します」と振り返る。

 日和原さんが50年続いた理由として挙げるのは、先輩たちの歌への情熱と、誰でも受け入れる温かな雰囲気だ。「ストイックすぎないところがいい。楽譜が読めなくても、歌いたい人なら一緒にやろうという合唱団なんです」と話す。

 一方で、舞台では楽譜を持たずに歌う「暗譜」を大切な伝統としてきた。「10年前より暗譜するのが難しくなってきたね、とみんなで笑っています」と日和原さん。それでも今回も、楽譜を手に舞台に立つつもりはない。曲目だけでなくプログラムや演出も団員たち自身で考え、一つの舞台を作り上げる。

 当日は「女声合唱による10のメルヘン『愛する歌』から」やテレサ・テンの名曲、なかにしあかね作品などを披露。歌と映像で50年の歩みを振り返る企画も盛り込む。

 日和原さんは「温かいグループを残してくださって、ありがとう。その思いが先輩方に伝わるコンサートにしたい」と話す。コンサートは入場無料。

2026年8月19日

違和感逃さず 詐欺被害防止

木之本郵便局の辻本さん、水際阻止で署長感謝状

 特殊詐欺の被害を未然に防いだとして、木之本署は19日、木之本郵便局のアルバイト局員・辻本真歩さん(25)に署長感謝状を贈った。

 同署などによると、今月4日、長浜市内の80代女性が同郵便局を訪れ、50万円を借りたいと申し出た。対応した辻本さんが使い道を尋ねると、「息子に渡す」と説明した。

 息子を装った男は、既婚者を妊娠させ、弁護士費用が必要になったなどとして200万円を要求。女性が用意できないと伝えると、50万円を工面するよう求めたという。「携帯電話をトイレに落として電話番号が変わった」「風邪をひいて声が変わった」などとも話していた。

 女性との会話の中で「知らない番号から電話がかかってきた」「息子の声がいつもと違った」と聞いた辻本さんは、不審に思い局長に報告。局長も詳しく事情を聞き、「それはうそだと思う」と女性を説得して手続きを止め、警察に通報した。現金が渡る前に被害を防いだ。

 辻本さんは普段から、高額な払い出しや貸し付けの際には用途を尋ねるよう心掛けているという。今回も何気ない会話を重ねる中で違和感を察知した。「普段から詐欺被害を防ぐために声掛けをしてきたことが、今回の未然防止につながって良かった」と話し、「これからも高額な払い出しなどで普段と違う、おかしいと感じることがあれば、引き続き声を掛けていきたい」と語った。

 青地俊治署長は「普段から特殊詐欺の被害者を出さないという思いで窓口業務に取り組んでいる、その賜物だと思う」とたたえた。

 同郵便局では今年に入り、局長を含む職員3人が特殊詐欺被害の未然防止で感謝状を受けている。

 

 

2026年8月19日

彦根市民文芸、特選15点決まる

 彦根市は、第62回彦根市民文芸作品の入賞作品を発表した。俳句や短歌、川柳など7部門に164人から446点の応募があり、特選15点、入選34点、佳作37点の計86点が入賞した。

 特選受賞者の表彰式は21日午前10時から彦根市役所で行われる。また、今年度初の取り組みとして、入賞作品のパネル展を21日から9月11日までの平日午前9時~午後4時45分、市役所1階市民ホールで開く。

 特選は次のとおり(敬称略)。

【俳句】

来し方に思ひをはせて花は葉に(大野優子)

取り落とす匙の響きや夜の秋(前田弘子)

菜の花や黄色の浮力見ゆる丘(林正子)

【短歌】

嬉々としてすばらしき技讃え合う国境のなき選手の笑顔(イタリア冬季オリンピック)(森典子)

告知受け黙して歩む凍ての道互いの手と手固く握りて(田口洋子)

伊吹山の初冠雪を聞きし夜は風呂の湯温を一度上げたり(細田惠貢子)

【川柳】

呼び鈴がにっこり笑う客が来る(村上定)

自動ドア開ききるまでに考える(川口利江)

のんびりも良いけど多忙さらに良い(大塚しのぶ)

【冠句】

根が育つ 親の背中に教えられ(上野初子)

ひろげた手 しわの数見て老いを知る(千葉春胤)

ひろげた手 へのへのもへじ古案山子(綾口千晶)

【詩】

お誕生日、おめでとう(吉田真梨子)

ハルシネーション(叶葉湖)

【随筆・評論】

見送る人(田中恵子)

【小説】

該当なし

2026年8月19日

井伊家歴代当主の名刀 一堂に

国宗や来国光、虎徹ら 博物館で

 彦根城博物館はテーマ展「井伊家歴代の指料(さしりょう)―選ばれた名刀の姿」を開いている。  

刀剣は武器として使われたほか、神仏に捧げる宝物や大名間などでの贈答品としても用いられた。江戸時代の井伊家にも多数の刀剣があったが、関東大震災などで焼失したため、現存は歴代当主の指料60本ほど。指料は腰に差した刀剣のことで、歴代当主は指料を装飾するための鞘や柄、鍔などの拵一式をあつらえた。

 テーマ展では、鎌倉時代後期に山城国(京都)で活躍した名工・来国光(らいくにみつ)がすり上げた初代・直政の指料と伝わる刀など20点を展示。ほかの展示品は、朱漆塗りの鞘と朱漆塗りの鮫皮に黒糸を巻いた柄を組みわせた二代・直孝が所用したと伝わる大小拵、鎌倉時代に伯耆(ほうき)国で活躍した国宗が作った十二代・直亮の指料として伝わる重要文化財の太刀、明暦から延宝年間(1655年~81年)に活躍した名工・長曽祢虎徹が寛文4年(1664年)ごろに作った十三代・直弼の指料と伝わる脇指、直政から直弼までと直元を加えた14人分の指料と拵の名称などをまとめた台帳など。

 ひこにゃんが出演して学芸員らが展示品を解説した7月24日にライブ配信した動画「ニコニコ美術館」が9月14日まで視聴できる。

 開館は9月14日までの午前8時半~午後5時。休館は8月20日と9月10日。

(滋賀彦根新聞)