2026年6月5日

【湖北史記 其の36 】浅井長政最期の地・小谷城赤尾屋敷

 小谷城の本丸の東側一段下の腰曲輪(こしぐるわ)を、通常「赤尾屋敷」と呼び、天正元年(1573)に浅井長政が自刃(じじん)した場所と言われている。赤尾氏は長浜市木之本町赤尾の出自で、長政時代の当主は美作守(みまさかのかみ)清綱で、『嶋記録』などでは海北(かいほう)善右衛門や雨森弥兵衛と共に、「小谷三人衆」と言われ、浅井氏の宿老(しゅくろう。江戸時代の家老)であったとされている。

 この「赤尾屋敷」には現在も「浅井長政公自刃之地」と記された石碑が建ち、「志納箱」も置かれ献花も絶えない。そこから東側下方にさらに二段の腰曲輪があり、石碑が建つ曲輪の岸には36㍍に渡り石垣も存在する。曲輪の場所は小谷城主要部に当たり、他の長政家臣の屋敷が遠藤氏や三田村氏のように清水谷にあったのに対し、中枢の位置を占める。これは、赤尾氏が家臣団内で群を抜いた存在であったことを示す。確かに、赤尾清綱が長政の名代(みょうだい)として文書を出す例があり、この点からも屋敷の場所は納得できる。

 では、小谷落城に関する記録に長政自刃はどう書かれているのだろう。浅井氏側の史料で、小谷落城について触れるのは、先も引用した『嶋記録』のみである。この本は、坂田郡飯村(いむら)(米原市飯)の浅井氏家臣嶋氏の年代記でその信憑性(しんぴょうせい)は高いと言われる。そこでは、長政は落城寸前の段階で開城を決断したが、城内の高い所に上がり見渡すと、赤尾清綱と浅井石見(いわみ)が生け捕られたのを知り、家(屋敷)に入って切腹したとある。また、信長の最も信頼できる伝記『信長公記(しんちょうこうき)』には、長政と清綱が同時に討ち取られたとしか記していない。

 一方、江戸時代に作成された家康の伝記『武徳編年集成』や、信長の伝記『総見記(そうけんき)』、それに地元で多く作成された小谷城絵図には、自刃の場所として「赤尾屋敷」が記される。ただ、先に示した同時代編纂(へんさん)で信頼できる史料には、長政と清綱が共に自刃したとは記しても、長政が「赤尾屋敷」に籠り最期を迎えたという記述はない。

 我々としては、長政がこの地で自刃したのが事実だから後世の記録が残ったと考えたい。しかし、逆に赤尾清綱が長政の筆頭宿老であったことが広く知ら知られていて、だったら本丸の近くに屋敷があったという推察が、江戸時代に生まれたことも考えられる。もちろん、前者を信じたい所だが、後者の理解なら「赤尾屋敷」は単なる本丸の腰曲輪の一つで、屋敷跡ではないと理解することも出来る。

 歴史学は時折、歴史の「ロマン」を打ち砕く。史実と伝承、その区別は明確にしなければならない。長政の自刃場所は不明という結論も学術上はあり得るのである。

小谷城赤尾屋敷跡

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2023年9月19日掲載)

2026年6月5日

【湖北史記 其の35 】小谷城の構造と御殿

 滋賀県長浜市にある小谷(おだに)城は、戦国大名浅井三代(亮政(すけまさ)・久政・長政)にわたる居城である。当初の小谷城は現在知られる本丸・広間がある主要部ではなく、小谷山の頂上495㍍の大嶽(おおづく)であった可能性が高い。長浜市は令和2年(2020)3月に小谷城について、これまでの発掘成果や文献調査を纏(まと)めた『総合調査報告書』を発刊し、同城に曲輪(くるわ)総数1525、土塁総数31、竪堀(たてぼり)・堀切(ほりきり)総数40を確認したと記している。

 この膨大なの曲輪数等から、全国的見ても群を抜いて巨大な中世城郭であったと言えよう。なお、小谷城跡は昭和12年(1937)に国指定の史跡となり、平成7年(1995)には麓の清水谷(きよみずだに)が追加指定を受けている。小谷城の山上の遺構は、山頂に大嶽があり、そこから伸びる東の谷に山王丸・京極丸・本丸・広間などの主要部が並ぶ。大嶽からの西の尾根には福寿丸・山崎丸があり、これらの曲輪に囲まれるように清水谷があった。

 戦国時代の山城は、山上に防御施設としての山城と、麓に居住施設としての居館という二元構造となっていたが、小谷城の場合も例外ではない。大嶽から伸びる二つの尾根の曲輪が防御施設となる。この内、広間は小谷城の中で最も広大な曲輪で、曲輪全体から礎石建物が見つかっており、その名の通り巨大な御殿が構えられていた。また、昭和45年(1970)から同50年(1975)にかけて行われた山上の遺構の調査においては、約3万7000点におよぶ膨大な遺物が出土しており、素焼きの土師器(はじき)皿や行火(ばんどこ)などの生活用具も出土している。

 小谷城の居住施設が、山下の清水谷(小谷城戦国歴史資料館がある谷)である。その発掘調査は、昭和53年(1978)から平成30年(2018)まで行なわれたが、谷口において巨大な堀切、家臣団屋敷の区画、長浜に移された知善院の小谷時代の遺構が見つかっている。さらに、調査最終年度には最奥の浅井氏居館と推定される「御屋敷」において、側面を石積みした溝や、建物の柱穴が確認され、確実に生活の跡が残されていた。遺物の量も約3万7000点と山上と同数が出土している。

 城郭生活で常用した陶磁器の出土数が広間などの山上が全体の4%なのに対して、山下の清水谷は24%に達している。これは浅井氏一族の日常生活の場は清水谷であったが、信長との戦闘が激化するなかで、山上での生活に移行せざるを得なくなった状況を示すと見られる。元亀3年(1572)以降は、清水谷での戦闘が記録されている。長政正室の市や三姉妹の居所も、山下から山上に移ったと考えていいだろう。

平成30年12月に行なわれた清水谷「御屋敷」跡発掘の現地説明会

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2023年9月7日掲載)

2026年6月5日

【湖北史記 其の34 】長浜城の天守

 長浜城の歴史は約40年間とみてよい。この間に、現在の博物館のような天守(てんしゅ)が存在したという確実な証拠はあるのだろうか。元禄9年(1696)8月17日に、長浜町年寄が彦根藩に提出した町絵図には、「本丸大堀」の西に「殿主跡(でんすあと)」として長方形の敷地を囲い、「東西十二間」・「南北十間」と記す。21・6㍍×18・0㍍の区画となるが、もちろん「殿主」は天守と同意なので、やはり長浜城には天守があったと確認できる。

 現在、豊公園にある長浜城歴史博物館のすぐ西北に、同館が建っている岡よりやや低い岡があり、そこに豊臣秀吉像と「長浜城天守閣跡」と記された石碑が建っている。ここが、絵図の「殿主跡」と見られる。つまり、戦国時代の長浜城天守台があった場所である。ただ、湖周道路整備にあたって、この岡は一部道路敷(しき)となり削られ、現在道路側から見ると天守台の断面が石積み状に見える。

 この長浜城天守について、秀吉が語っている文書(もんじょ)が残っている。正月23日付け(年号なし)の長浜町人宛の羽柴秀吉朱印状(一般財団法人 下郷共済会蔵)である。長浜城の天守を壊するため、家臣の石川光政と生駒七郎右衛門尉(じょう)を派遣するので、町人も両人の指示に従い工事に協力して欲しいとの内容である。実は、文書の原文は「天守壊候」と書いてある。以前はこれを「天守壊(こわ)われ候」と読んでいたが、「天守壊(こわ)し候」と読むべきなのである。もし「天守壊われ候」と読むなら「天守被壊候」と書いたはずだ。

 これまで「天守壊われ候」と解されてきたので、天正13年(1585)11月29日に起きた天正地震によって被害を受けた天守の後始末に関する文書と理解されてきた。つまり、朱印状は天正14年正月23日のものとなる。この大地震によって長浜城の御殿が倒壊した事実があるので、天守倒壊もあり得る話である。

 しかし、この朱印状には秀吉の朱印が押されていること、さらに「秀吉」の署名があることから、文書形式上は天正13年正月23日のものと断定できる。秀吉が花押(かおう)に代わって朱印を使用するのは天正12年月3月から、「秀吉」の署名を記さず朱印を押したのみの朱印状を出すようになるのが、天正13年閏8月以降だからである。この時期、秀吉は領国内の武装解除の為、不要な城郭の破壊を進めていた。その一環として、当時城主がいなかった長浜城の天守破壊を命じたのである。

 秀吉時代の長浜城に天守が存在したことは、皮肉にも秀吉の破壊命令によって証明される。天守が何層であったか、現在の天守のように望楼型であったかなどは史料がなく不明である。

長浜城天守台の断面

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2023年8月22日掲載)

2026年6月5日

小学生たちが田植え体験

好天の稲枝で、ひこにゃんも応援

 彦根市本庄町のJA東びわこ稲枝カントリー前の田んぼで5月30日、小学生が田植えをする農業体験があり、雲一つない好天の下、応援に駆けつけたひこにゃんに見守られながら、子どもたちが楽しそうに苗を植えた。

 月桂冠の日本酒用の酒米を作っているJA東びわこ稲枝米部会が、酒粕を肥料として使っていることから循環型農業をPRしようと、稲枝地区の小学校に募集して開催。また、同部会が出荷する米の一部は環境にこだわって作られた「ひこにゃん米」に認証されており、その告知も兼ねて行われた。

 当日は児童と保護者の計約50人が参加。同部会のメンバーから説明を聞いた後、登場したひこにゃんとJA東びわこのキャラクターのいっぴーと一緒に建物前の田んぼへ移動。裸足になって次々に入り、同部会の会員が所有する2000平方㍍の田んぼのうち300平方㍍に苗を植えた。ひこにゃんもあぜ道をゆっくりと往復しながら、田植えの様子を見守っていた。

 田植え体験後には米粉を使ったバームクーヘン作りもあり、子どもたちは保護者と一緒に作った後、おいしそうに食べていた。

 稲枝東小3年の小菅晴愛さん(8)は「田んぼの中は気持ちよかった。おいしいお米に育ってほしい。ひこにゃんといっぴーもかわいかった」と笑顔を見せていた。10月ごろに同じ田んぼで稲刈り体験も予定されている。

(滋賀彦根新聞)

2026年6月5日

カナダ人気レストランの100人、木之本へ

鮒ずしや地酒、発酵文化を体感

 カナダの人気レストランチェーン「アールズ・キッチン+バー」のシェフやスタッフら約100人が2日、北国街道木之本宿を訪れ、鮒ずしや地酒などを味わうなどして湖北の発酵文化に触れた。社員旅行の一環で来日した一行は、東京や京都を巡る日程の中で木之本宿に立ち寄り、約5時間にわたって地域の歴史や食文化を体験した。

 一行はまず明楽寺を訪れ、鮒ずしや漬物、地酒などを試食・試飲し、醤油シロップ、サラダパン、ブラックバスのサンドなども味わった。鮒ずしを食べた参加者からは「ブルーチーズみたい」「お酒に合う」といった声が聞かれ、湖北ならではの発酵文化に関心を寄せていた。

 その後は5グループに分かれ、北国街道を散策。冨田酒造や山路酒造、白木屋醤油店、ダイコウ醤油、木之本地蔵院などを見学した。醤油店では濃口、薄口、たまり醤油の違いや用途について説明を受け、酒蔵では精米や醸造など日本酒造りの工程を学んだ。参加者からは「お酒をつくるのにどれくらい時間がかかるのか」などの質問も出され、熱心に耳を傾けていた。

 今回の訪問は、公益財団法人「びわこビジターズビューロー」などの橋渡しで実現した。財団では一行にSNSなどで木之本の魅力を発信してもらうよう呼びかけており、参加者が体験した湖北の発酵文化や歴史ある町並みが、今後どのような形で海外へ紹介されるのか注目される。

 

 

 

2026年6月4日

新海町にグランピング施設オープン

愛犬と過ごせる部屋も、地元食材を提供

 彦根市新海町にグランピング施設「HIKONE LAKESIDE RESORTS『KOMORE VILLAGO』」が完成した。5月30日からカフェ兼バーの店も敷地内にオープンした。

 橋本建設(野口町)が湖岸の約7000平方㍍に整備し、4月25日にオープン。ゲストルームとして、最高級の121・2平方㍍のラグジュアリークラスの部屋を1室、高級感あふれる64・5平方㍍のエグゼクティブクラスを4室、50・5平方㍍のスーペリアクラスを4室用意。計9部屋のうち5室は頭数制限なく愛犬と一緒に過ごせる部屋で、各室にプライベートドッグランを設けている。

 夕食用に「近江牛焼肉セット」、牛豚鶏肉が楽しめる「スタンダード焼肉セット」、地元野菜を入れた「木漏れ日コース」をそろえており、日帰りでのバーベキュー、広さ80平方㍍以上のキャンプエリア、車中泊スペースも近日中にオープンする。

 新設の「モラカフェ」はトレーラーのスパルタンを改装し、店内外で女性に人気のアサイーボウルやグリークヨーグルトを数種類ずつ味わえる。夜はバーとしても開店している。

 ゲストルームから琵琶湖までには自然にできた「木のトンネル」があり、ロマンチックな雰囲気を楽しめる。

 支配人の小川義伸さん(34)は「琵琶湖を見ながらプライベート空間で滋賀の食材を楽しんでいただきたい。子どもから高齢者の皆さんまで幅広く利用してほしい」と話している。チェックインは午後3時〜同6時、チェックアウトは午前7時〜同10時。問い合わせは同施設の管理棟☎(32)9006。

(滋賀彦根新聞)

 

 

2026年6月3日

米原市芸術展、6日開幕

4部門に177点出品 滋賀夕刊賞は大塚さん

 第21回米原市芸術展(米原市など主催)が6日から13日まで、同市顔戸の近江はにわ館で開かれる。絵画、書、彫刻・工芸、写真の4部門に177点の応募があり、入賞・入選作品を展示する。 審査で市展賞、教育長賞などが決まり、滋賀夕刊新聞社賞には長浜市新庄中町の大塚和子さんの絵画作品「羽音の迷宮」が選ばれた。 開館時間は午前10時から午後6時まで。9日は休館日。最終日の13日は正午まで。 入賞者は次の皆さん。
 【絵画】▽市展賞=白石儀一(野洲市)▽教育長賞=野村晴代(高月町柏原)▽市議会議長賞=臼井洋子(湖北高田町)▽芸術協会長賞=西澤百花(愛荘町)▽滋賀夕刊新聞社賞=大塚和子(新庄中町)▽米原ライオンズクラブ賞=中川ゆきえ(細江町)▽佳作=石田柚葉(愛荘町)、岡本紬生(愛荘町)、藤田明和音(愛荘町)、沓水和子(下八木町)、西橋佳代子(内保町)、野村厚子(高月町落川)、蔵本啓吾(大阪府島本町)、川崎武司(米原市醒井)。
 【書】▽市展賞=柴田翠湖(彦根市松原町)▽教育長賞=後藤如穂(米原市下丹生)▽市議会議長賞=橋本美代子(米原市柏原)。
 【彫刻・工芸】▽市展賞=室谷すて美(米原市下板並)▽教育長賞=鈴村博司(岐阜県各務原市)▽市議会議長賞=中川善雄(米原市磯)。
 【写真】▽市展賞=桒原達夫(彦根市日夏町)▽教育長賞=古川夏子(南高田町)▽市議会議長賞=杉谷眞人(東近江市)▽後援団体賞=尼﨑依子(南呉服町)、細野直彦(米原市村居田)、杉田峰子(湖北町速水)▽佳作=香水秀和(列見町)、坂本一博(神奈川県湯河原町)、石田茂未(米原市梓河内)、草野秀憲(寺師町)、増田辰也(多賀町)、櫻井廣治(大戌亥町)、川﨑和夫(細江町)、猪田澄和(東近江市)、木下三千代(近江八幡市)。


 

滋賀夕刊新聞社賞 大塚和子さんの作品

 

 

市展賞 白石儀一さんの作品

 

市展賞 柴田翠湖さんの作品

 

市展賞 室谷すて美さんの作品

 

市展賞 桒原達夫さんの作品

2026年6月2日

27年ぶり大相撲長浜場所

10月15日、県民共済ドーム長浜

 長浜に大相撲が帰ってくる—。大相撲長浜場所が10月15日、県民共済ドーム長浜で開かれることが決まった。長浜での巡業開催は1999年以来27年ぶり。前回は現役力士「蒼樹山」として土俵に上がった枝川秀樹親方が1日、長浜市役所を訪れて開催を報告し、市民に来場を呼びかけた。

 長浜場所では、公開稽古や幕下以下の取組、相撲甚句、初切、横綱土俵入り、幕内取組など、本場所とはひと味違う巡業ならではの催しが繰り広げられる。力士との距離が近く、交流を楽しめるのも魅力で、多くの相撲ファンの来場が期待される。

 浅見宣義市長を表敬訪問した枝川親方は、前回の長浜場所に現役力士として出場した思い出を披露。「当時は4月初旬でとても寒かったが、地元・彦根出身ということもあって多くの声援をいただき、温かい雰囲気の中で相撲を取ることができた」と振り返った。

 その上で、「巡業は本場所とは違い、力士を身近に感じてもらえる。さまざまなイベントがあり、サインや写真撮影に応じてくれる力士もいる。市民の皆さんに喜んでもらえると思うので、ぜひ会場に足を運んでほしい」と来場を呼びかけた。

 浅見市長は、昨年の国民スポーツ大会相撲競技の開催や長浜相撲クラブの活動、西黒田地域の金太郎伝説など長浜と相撲の深い縁に触れ、「長浜での開催を大変うれしく思う」と歓迎した。

 チケットの販売は6月7日から始まる。

 チケットは、1階席がタマリS席1万7500円、タマリA席1万6500円、ペアマス席3万円(2名分)、アリーナイスS席1万3500円、アリーナ車イス席2万9000円(2名分)、スタンドがイスA席大人券7500円、同子ども券2500円。土産・弁当の予約販売もある。

 チケットぴあ、ローソンチケット、イープラスのほか、アル・プラザ長浜、ビバシティ平和堂、アル・プラザ彦根、大相撲巡業チケット事務局などで販売する。販売初日の7日のみ、電話(℡0570・06・5566)でも受け付ける。午前10時から午後5時まで。

 

2026年6月2日

交響組曲「秀吉」など披露

ピュアブラス、浅井で定期演奏会、14日

 湖北を拠点に活動する吹奏楽団「ピュアブラス」は、14日午後2時から浅井文化ホールで第12回定期演奏会を開く。今年のテーマは「勇往邁進×NIPPON!」。大河ドラマ「豊臣兄弟!」で注目を集める長浜を、音楽で盛り上げる。

 第1部「NIPPON!」では、交響詩「あんたがたどこさ」や、交響組曲「秀吉〜もうひとつの太閤記〜」から「秀吉」などを演奏。第2部「勇往邁進」では、恒例のリクエストコーナーのほか、「アラジン」メドレー、「エル・カミーノ・レアル」などを披露する。

 同団は1999年4月に発足。現在は長浜、米原、彦根の吹奏楽愛好家46人が所属し、高校生から70代まで幅広い世代が活動している。長浜市内の子育て支援センターや介護施設、小学校への音楽派遣事業、各地イベントなどで演奏を続けている。

 代表の伊藤誠一さんは「大河ドラマで長浜に注目が集まる中、音楽の力でさらに地域を盛り上げたい」と来場を呼びかけている。

 入場料は500円で、高校生以下は無料。ただし入場整理券が必要となる。チケットは浅井文化ホール、アル・プラザ長浜で販売している。電話での取り置きにも対応し、当日受け取りも可能。問い合わせはピュアブラス(☎090・8654・9818)。

 

2026年6月2日

地域の魅力、歩いて発見

南郷里小3年がマップ手に校区探検

 南郷里小学校の3年生83人は5月22日、「総合的な学習」の一環として校区内を巡る「まちあるき学習」に取り組み、地域住民と交流しながら南郷里の魅力を学んだ。

 学習は、南郷里地域づくり協議会が4月に発行した「南郷里散策マップ」を活用して実施。子どもたちは3コースに分かれ、地域内の名所や史跡を訪ね歩き、地域住民から歴史や由来、魅力について説明を受けた。

 西コースでは、宮司町や南田附西町、今川町を巡り、総持寺の大門や小堀町遠州会館・遠州流茶室を見学。子どもたちは実際に茶室へ入り、小さな入口に「せまい!」と驚きながら、小堀遠州が深めた茶の世界に耳を傾けた。

 東コースでは、七条町などを歩き、「どこでもドア」で知られるスポットを訪問。製作した田中正夫さんから製作秘話や、なぜ作ろうと思ったのかを聞き、子どもたちは実際にドアをくぐって笑顔を見せた。このほか、足柄神社の由来や七条に伝わる能面文化についても学んだ。

 北コースでは、白山神社や福の神地蔵尊を訪問。地域住民から、榎木町で出土した地蔵を大切にまつり続けている経緯などを聞き、熱心に耳を傾けていた。

 当日は小雨交じりの天候だったが、保護者らが見守る中、児童たちは元気に校区を歩き、地域の人々との交流を楽しんでいた。

 同協議会は、地域の魅力を知り、地元への愛着や安心感を育む機会になればとしている。

 

 

2026年6月1日

滋賀県、人口減に転じる

国勢調査速報 長浜市は5551人減で県内最大の減少数

 総務省が5月29日に公表した2025年国勢調査の速報値で、滋賀県の人口は139万2439人となり、前回2020年調査に比べて2万1171人(1・50%)減少した。国勢調査で人口が減少したのは初めてで、これまで続いてきた増加傾向から減少局面に転じた。

 県統計課によると、滋賀県の人口は1965年以降、一貫して増加を続けてきたが、今回初めて前回調査を下回った。人口が140万人を割り込むのは2005年調査以来20年ぶり。男性は68万6048人、女性は70万6391人だった。

 世帯数は59万0946世帯で、前回より1万9572世帯(3・43%)増加した。一方で1世帯当たりの人員は2・36人となり、前回の2・47人から減少。人口減少が進む一方、世帯数は増える傾向が続いている。

 市町別では、人口が増加したのは草津市、守山市、栗東市の3市のみ。草津市は4818人増(3・35%増)で、増加数、増加率とも県内トップとなった。

 一方、人口が減少したのは10市6町。減少数が最も大きかったのは長浜市で、前回より5551人減(4・88%減)。次いで甲賀市が3376人減、高島市が3247人減だった。彦根市は2000人減、米原市は1886人減だった。