2026年6月23日

コンビニ店員3人に署長感謝状

連携プレーで高齢女性の詐欺被害防ぐ

 長浜署は22日、特殊詐欺被害を未然に防いだとして、セブンイレブン長浜公園町店のパート従業員・松宮三起(みき)さん(62)と、アルバイト店員の丸岡想(ここな)さん(22)、吉田聖那(せりな)さん(19)に署長感謝状を贈った。70代の高齢女性がプリペイドカードを購入しようとした際、3人が連携して異変を見抜き、被害を防いだ。

 長浜署によると、女性は5月15日、同店を訪れ、「プリペカード3万円分」などと書かれたメモを手にプリペイドカードを探していた。その後いったん退店したが、約1時間後に再び来店。店内のマルチコピー機を操作しながら携帯電話で通話を続け、カード購入用の伝票をレジに持ち込んだ。

 吉田さんは最初の来店時から、女性が用途をよく理解しないまま購入しようとしている様子に違和感を覚えた。伝票に記された会社名をスマートフォンで調べたところ、すでに廃業していることが分かり、詐欺の疑いを強めた。

 松宮さんも、女性がスマートフォンで指示を受けながらコピー機を操作している様子を見て警戒。レジで決済しようとした女性に「ちょっと待ってください」と声をかけた。丸岡さんはその間に長浜署へ通報した。

 3人は女性を引き止めながら事情を聞き、駆けつけた警察官に引き継いだ。女性はSNS広告をきっかけに投資話へ誘導され、電話で指示を受けていたといい、署員の説得で被害を免れた。

 女性は後日、店を訪れて直接感謝を伝えたという。松宮さんは「3人で協力できたから落ち着いて対応できた。被害を防げてよかった」と話し、丸岡さんは「おかしいと思った時は、レジを通す前に購入目的を把握できるようにしたい」と話した。吉田さんは「少しでもおかしいと思ったら、しっかり話を聞いて状況を把握することが大事だと感じた」と振り返った。

 3人に感謝状を手渡した関札幸夫署長は「詐欺被害は依然多い。だまされていることに気づかずコンビニや金融機関を訪れる高齢者もいる。引き続き積極的な声かけをお願いしたい」と協力を呼びかけた。

2026年6月22日

ビワマスの日制定へ賛同募る

長浜で受付開始、「鱒田さん」も登場

 琵琶湖固有種ビワマスの魅力を広く発信し、保全意識を高めようと、「ビワマスの日」の制定を目指すビワマスの日制定実行委員会は21日、えきまちテラス長浜1階「小さなびわ湖水族館」で賛同者を募集。会場には開始直後から市民や観光客らが訪れ、署名や寄付を通じて記念日制定への思いを託した。

 ビワマスはサケ科に属する琵琶湖固有種で、湖北を代表する水産資源の一つ。美しい銀色の体と上質な脂、繊細な味わいで知られ、近年は地元飲食店でも人気が高まっている。一方で、生息環境の保全の重要性が指摘されており、「守りながら活かす」取り組みが求められている。

 大きな転機となったのが昨年6月21日。ビワマスが学名「オンコリンカス・ビワエンシス」として正式に学術誌に記載された。実行委員会はこの歴史的な日を「ビワマスの日」として記念日に制定し、地域ぐるみで価値を未来へ伝えていこうと、日本記念日協会への申請準備を進めている。

 この日は、賛同者から1口200円の寄付を募って署名やメッセージを寄せてもらった。寄付金は申請費用に充てる予定で、寄付者には返礼品として琵琶湖の形をモチーフにしたオリジナルキーホルダーが手渡された。

 兵庫県西宮市の会社員・爲國甲登(かぶと)さん(24)と奈良市の大学院生・河合虹歩さん(22)も賛同者の一人。近畿大学農学部水産学科の先輩後輩で、ビワコオオナマズ釣りで湖北を訪れた際に立ち寄ったという。学生時代にはビワマス調査を手伝った経験もあり、爲國さんは「研究がさらに進み、ビワマスのことがもっと分かるようになれば」と署名した思いを語った。

 河合さんは「ビワマスはすごくおいしい魚。食べることも守ることの一つだと思う。いろんな人に知ってもらって、それが結果的に保全につながれば」と話し、記念日制定への期待を寄せた。

 会場には長浜市が2013年に制作したビワマスPRキャラクター「鱒田さん」も登場。成安造形大学との連携で誕生し、当時イベントなどで活躍したキャラクターで、表舞台への登場は約10年ぶりとなった。来場者は記念撮影を楽しみ、懐かしい姿が新たな記念日制定への機運を後押ししていた。

 実行委員会では「ビワマスを守り、活かし、未来につなぐ輪をさらに広げたい」と呼びかけている。

 

 

2026年6月19日

起業体験イベント 若者30人募集

湖北の食文化、事業の種に

 高校生や大学生、社会人らがチームを組み、地域の伝統的な食文化を生かしたビジネス創出に挑戦する起業体験イベント「第6回スタートアップ・ウイークエンド長浜」が7月31日から8月2日までの3日間、長浜カイコー(えきまちテラス長浜1階)とさざなみタウンで開かれる。主催者は参加者30人を募集している。

 週末の3日間でアイデアの事業化を体験するプログラムで、今年のテーマは「Food×Culture」。湖北地域の伝統的な食と文化を若者の感性でアップデートし、新たな価値や事業モデルを生み出すことを目指す。

 期間中は県立大学教授の鵜飼修さんや、企業経営者らがコーチとして参加し、アイデアを現実的な事業プランへ着地させるための助言を行う。最終日には長濱蒸溜所製造本部長の清井崇さんや冨田酒造社長の冨田泰伸さんらが審査員を務め、事業としての実現可能性などを評価する。

 参加者はチームを結成し、アイデアの立案から事業計画の作成、最終プレゼンテーションまで取り組む。高校生から一般まで幅広い世代が協力しながら、起業のプロセスを実践的に学ぶ。

 これまでの開催では、地域創生ベンチャー「リュウズ」を立ち上げた福田裕一さんや、「預かり自然体験dive」を運営する熊谷理美さんらを輩出している。

 対象は小中学生・高校生、大学生、一般。参加費は一般7500円、大学生4000円、高校生以下無料(食事代込み)。申し込みは特設ページ(https://swnagahama2026.peatix.com/)から。問い合わせは市未来こども若者課(☎65・6371)。

 

 

2026年6月19日

創立130周年の記念電車出発式

近江鉄道、シンボルマークなど発表

 近江鉄道は創立130周年を迎えた16日、彦根駅で記念の出発式を開き、新しいシンボルマークなどをデザインした臨時電車を出発させた。

 同社は明治29年(1896年)6月16日創業。2016年2月に西武鉄道の完全子会社化となり、2024年4月に公有民営方式による上下分離に移行した。

 記念の出発式では藤井高明社長があいさつ、三日月大造知事が祝辞を述べた後、今年4月に鉄道業の職員の制服が新しくなったため、イメージキャラクターの駅長がちゃこんも装いをリニューアルして登場。出席者を交えてテープカットが行われた。最後には赤田和也・主管駅長が合図をする中、記念のロゴがデザインされた臨時電車が出発して行った。記念の臨時電車は今月27日まで運行される。

 式後、会社として上下分離後2年連続で黒字化が続いていることに、藤井社長は「今の状況に甘んじることなく、面倒を見てもらっている近江鉄道線管理機構への積立金を増やしていくことが当面の目標」と解説。沿線の人口減少が進む可能性にもふれながら「減る分をどのように補っていくか、皆さんと一緒に考えたい」と語った。

「鼓動」「つくる」「つなぐ」

 創立130周年に合わせて、若手や課長級の社員約20人が新しいキャッチコピー「鼓動 つくる つなぐ」と、鼓動が脈打つ様子を表したシンボルマークを考案。ステッカーを製作し、電車やバス、タクシーなどに貼った。

 キャッチコピーには、地域ににぎわいの「鼓動」を生み出す存在、地域との協働や異業種連携で未来を共に「つくる」、人と人・地域と地域・企業と地域社会などを「つなぐ」との思いを込めた。

 シンボルマークは、水を表す「青」が熱気を帯びてワクワクや元気を象徴する「黄」へ広がっていくイメージをデザイン。

 キャッチコピーなどについて、藤井社長は出発式の中で「130年間、近江鉄道は滋賀の地に鼓動を刻み続けてきた。これからは人や物を運ぶだけでなく、楽しさや感動でにぎわう場をつくり、人と人、地域と地域をつないで、街の元気を共に盛り上げる身近なパートナーとして歩んでいく」と意気込みを語った。

(滋賀彦根新聞)

2026年6月19日

【湖北史記 其の42 】長浜開町350年祭の写真アルバム

 長浜市曳山博物館は、受付横の無料ゾーン「曳山文化ギャラリー」で、大正13年(1924)に開催された「長浜開町350年祭」の様子を写した写真14枚の展示を行なっている。長浜豊国神社が所蔵し、昨年発見された「長浜開町350年祭」アルバムに貼られていた写真を拡大展示しているもので、年末年始の休館(29日~3日)はあるが、1月12日まで開催されている。

 令和5年(2023)も後わずかとなったが、秀吉開町の年から450年目にあたり、種々の形で記念行事が市内で展開した。江戸時代には秀吉を前面に出した行事は行ないにくかったが、近代に入ると新たに祀(まつ)られた豊国神社(南呉服町)において秀吉に関する神事が斎行された。その一環として、大正13年4月17日から19日まで3日間、長浜開町350年を記念した大祭が、豊国神社の主催で開催されている。

 撮影されたモノクロ写真に写された350年祭では、豊国神社において祭典が行なわれ、巫女(みこ)が橋上に並んで神前へ供物を運ぶ「伝供(くでん)」、戦国さながらの鎧(よろい)をつけた武者行列、それに能舞台での能楽上演もあったようだ。豊国神社から東へ行ったお旅所前においても、大手通りの沿道に多くの人を集めて、鳳輦(ほうれん)や稚児の行列があった。

 350年祭では、秀吉ゆかりの寺院にも豊国神社の神官が出向き参拝している。知善院(元浜町)は江戸時代において、秀吉の年忌法要を行なって来た寺院であるが、大坂城から移されたと伝える秀吉木像前での参拝が写真に残る。妙法寺(大宮町)は秀吉の長男とされる羽柴秀勝(墓石には「朝覚」とある)を祀る寺院で、この時は旧墓所にあった廟所(びょうしょ)前で神官が祝詞(のりと)をあげている。

 長浜市街地の田町東に所在する延長坊には浅井三代の墓があったが、ここでも神官が祝詞をあげる写真が残る。この浅井三代の墓は、昭和37年(1962)に平方町の徳勝寺に移転するが、延長坊時代の三代墓を写した歴史資料として貴重である。それにしても、秀吉の敵将まで配慮しているのは驚きだ。その他、秀吉が復興した長浜八幡宮へも神官や巫女が出張している。

 政府の政策である神仏分離よりも、秀吉の町としての一体性を重視した行事になっていた所に長浜らしさを感じる。何よりも、町をあげての盛り上がり様が窺い知られる。昭和48年(1973)には、開町400年祭が同じく豊国神社で開催され、神社南に「開町400年記念碑」が建立された。今年の450年祭については、豊国神社内に建立された秀吉銅像が、後世に令和5年の450年祭を伝えるものとなろう。

 

長浜八幡宮お旅所前での開町350年神幸祭(稚児行列など)

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2023年12月12日掲載)

2026年6月19日

【湖北史記 其の41 】浅井郡朝日郷の由来

 11月25日に長浜市立朝日小学校の創立150周年記念式典があり、小学校の背後に聳(そび)える山本山の歴史の話をした。内容は山本山城主の山本義経と浅井氏家臣の阿閉氏のことであったが、ここでは小学校の校名となっている「朝日」の地名の由来を考えてみよう。

 「朝日」の語源は、瑞祥(ずいしょう)地名の一種である。瑞祥地名とは、新たに開発された土地に目出度い地名や美しい地名をつけたもの。現在で言えば「自由が丘」とか「緑が台」とかがこの類に当たる。「朝日」は「日が昇る場所」を意味し非常に目出度いが、湖北には明治12年(1879)に坂田郡上夫馬(かみぶま)村と観音寺村が合併して「朝日」と命名された例がある。現在の米原市朝日である。

 浅井郡の「朝日」の地名は、平安時代中期に編まれた辞典『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』に、同郡の13郷の一つとして確認できる郷名である。この本に載る郷名は律令制の時代からあると見られ、歴史学では「和名抄郷」と呼ばれる。つまり、飛鳥時代からある瑞祥地名で、湖北の数多(あまた)ある地名の中でも、最も由緒ある地名の一つと言えよう。

 中世にも「朝日郷」が確認できる。この場合の「郷」は、荘園の「荘」と同意義であると見ていい。国衙(こくが。古代の国の役所)の所領から発展した荘園は、伊香郡富永荘(とみながのしょう)のように「荘」ではなく、坂田郡上坂郷(こうさかごう)のように「郷」と呼ばれた。この「朝日郷」には室町幕府の将軍親衛隊である奉公衆(ほうこうしゅう)・斎藤朝日氏の本拠があった。室町将軍の行列等に付き従った奉公衆のリストが数点残るが、そこには5番組中の3番組の中に、斎藤朝日氏の「近江守」・「三郎」・「孫左衛門」等の名が見える。また、「竹生島文書」にも島内の紛争処理を命じられた幕府の使者として、同じ奉公衆の熊谷下野守(しもつけのかみ)と共に朝日近江守の名が挙がっている。

 その後、戦国時代や江戸時代には、「朝日」の地名が前面に出ることはないが、天保改革で有名な老中水野忠邦の末裔である水野氏が、明治3年(1870)に東北の山形から浅井郡内に領地を移され朝日山藩となった。陣屋を今の小学校の敷地においたが、翌年には廃藩置県で長浜県に吸収されてしまう。

 やがて、町村制の施行により、明治22年(1889)に「朝日村」が成立し、昭和31年(1956)に湖北町に合併するまで存続した。由緒ある「朝日」の地名は、明治になり行政地名として復活したのである。この中で、明治6年(1873)に培達(ばいたつ)学校として創立した山本山麓の小学校は、明治25年(1892)から「朝日」を冠することになる。未来永劫にわたり、由緒ある「朝日」の地名を大切して欲しい。

 

長浜市立朝日小学校正門(11月25日、150周年記念式典の日に撮影)

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2023年11月28日掲載)

2026年6月19日

【湖北史記 其の40 】国宝「菅浦文書」の村掟

 「其の39」でも紹介したように、菅浦郷土資料館(長浜市西浅井町菅浦)での特別企画展で、国宝「菅浦文書」が今月12日まで70年ぶりに里帰り展示されいる。

 同文書は、西浅井町菅浦に伝来した共有文書で、鎌倉時代より江戸時代に至る総数1281点を数える。大正5・6年(1916・17)に、菅浦に伝来した「開けずの箱」から発見されたとするの通説だが、文書群は明治時代に村人によって目録が作られており、「開けずの箱」ではなく、他村の者には見せない「開けない箱」であったのが真相である。

 菅浦文書(65冊)と菅浦与大浦下庄堺絵図(1幅)から構成され、昭和51年に国の重要文化財に指定、平成30年に日本の村落文書としては初めて国宝となった。所蔵は、菅浦の氏神・須賀神社の名義となっている。

 この特別企画展で展観されるのは2点。その内の一点である「菅浦惣庄置文(そうしょうおきぶみ)」を紹介しよう。文書の大きさは縦27・6㌢、横45・4㌢。寛正2年(1461)7月13日付けでの村の掟書(おきてがき。置文)である。現在の自治会規則と思ってもらえればいい。中世の菅浦では、20人の乙名衆(おとなしゅう。責任者)を中心に、高度な自治を保っていたことが知られる。それは、数10通現存するこの村掟に象徴的に表われる。

 この村掟では、村人を断罪する場合は、証拠により冤罪(えんざい)を防ぐべきことや、親の罪を子に負わせることがないよう、縁座(えんざ)の否定が決められる。現在の法に照らしても遜色ない法理念が村落レベルで決められていた。そもそも、村(現在の自治会に相当する)が、犯人を捕縛する警察権や、それを裁く裁判権、さらには立法権を持っていたことは驚きである。中世の村は小さな国家であったとされる所以(ゆえん)である。

 ここでは、盗人を裁く時は、証拠をもって行なうよう述べるが、当時の村では、菅浦と大浦との裁判でも行なわれたように、湯起請(ゆぎしょう。熱湯中においた石を取って、手の火傷(やけど)の具合を持って判決を下す裁判)など、現在からすれば非科学的な手法で裁判の勝敗を決していた。証拠をもって裁判を行なうという当然の一文ではあるが、中世村の法律としての先進性を見逃してはならない。

 中世の村は、このように警察権や裁判権を持つ「自検断(じけんだん)」の村であったが、一方で自分の村は自分で守る必要がある「自力救済(じりききゅうさい)」の過酷な状況にもあった。つまり、武力も所持し自衛権を行使していたのである。大浦との堺争いをめぐる武力衝突は有名である。菅浦文書を見学しながら、中世の村落自治の過酷さにも思いを馳せて欲しい。

 

菅浦の四足門(東門) 自衛権を示す象徴(寿福滋氏撮影)

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2023年11月7日掲載)

2026年6月17日

かまど型の絵馬掛けを奉納

荒神山神社「新しいシンボルに」

 火とかまどの神様をまつる彦根市清崎町の荒神山神社に11日、かまどをイメージした絵馬掛けが奉納された。参拝者が願い事を書いた絵馬を掛けるほか、おみくじを結び付けることもでき、神社の新たなシンボルとして期待されている。

 長年にわたり同神社の世話会役員を務めてきた西川清一さん(90)と奥山文昭宮司(48)がデザインを考案し、縦208㌢×横220㌢の平面型に仕上げた。

 同神社の祭神は火やかまどを守る神として古くから信仰を集めてきた。今回の絵馬掛けは、そうした信仰を参拝者に分かりやすく伝えるため、かまどをモチーフに採用。かまどのふたをイメージした上部にはヒノキ材、本体部分にはスギ材を使用し、絵馬をかけるスペースとおみくじをくくり付ける箇所を設けている。

 奉納後、西川さんは「台所をまもって下さるかまどの神様の御神徳に私たちは日々、感謝するのは当然だと思う。参拝を兼ねて登山する人も増えており、多くの人に願いを込めた絵馬をかけてもらえたら」と話した。

 奥山宮司は「絵馬掛けが神社の新しいシンボルとなってほしい。かまどの神様を祀っていることを若い人たちに知ってもらえるきっかけにもなれば」と期待を寄せた。

(滋賀彦根新聞)