2026年3月19日

【湖北史記 其の3】「乗合馬車」と「馬車道」

 4月21日付けの本紙で、東上坂町の古民家において、「馬車道の時刻表」が発見されたと報道された。冒頭に「乗合馬車時間及賃金表」と記されたこの看板は、杉材で縦39・7㌢、横96・5㌢、厚さ1・7㌢のもの。馬車の発車時刻と運賃が記されている。明治16年に開通した関ケ原・長浜間の鉄道は、明治32年に廃線となり線路が撤去され、東上坂・八幡中山(現在の分木町地点)間については、線路敷の直線道路に、明治35年から昭和初年まで「乗合馬車」が運行されていた(昭和19年から翌年まで一時復活している)。

 現在の分木町の柏屋老舗(和菓子屋)の場所が終点だったのは、大通寺東から北に上がる十里街道との交差点だったからである。同記事にもあったように、これまで「乗合馬車」は、東上坂・八幡中山間しか知られていなかったので、この看板の出現で春照(米原市)・東上坂間も運行していたことが確認できたことになる。さらに、この看板は「春照より長浜に至る」とあるなど、春照を起点にしているので、そこに設置された馬車駅に掲示されていたものと推定される。

 この「乗合馬車」については、片桐正二郎さんの『北國街道  今は昔  馬車道物語』(2000年刊)に詳しい記載がある。そこには、東上坂町の野村さん(今回、看板が発見された家)がこの馬車を経営しており、かつては道端や家の裏に馬小屋があったと記す。さらに、東上坂から今の三菱ケミカル滋賀事業所の敷地にあった長浜高等女学校へ、「乗合馬車」を使って通った田辺さんという女性の証言も載せている。

 当時の女学校は4年制で、彼女は昭和元年4月に入学して、昭和5年3月まで通ったというから、その頃までは馬車は運行し、その後にバスに取って替わられたのだろう。同書には野一色(米原市)の人が上坂まで歩き、そこから馬車に乗って、夏中さんに行ったという証言も紹介しているので、春照・東上坂間の馬車は運行していなかった時期もあったようだ。

 この「乗合馬車」が通った道を、今でも我々は「馬車道」と呼ぶ。正式な道路名ではないが、今も長浜市民には親しまれた名称だ。それは、この馬車が当時の長浜の人々にとって欠かせない乗物だったからだろう。市民の間で守り続けられてきたこの道路名は、長浜の「近代化遺産」として大切にしたいものだ。

 

馬車道を行く馬車「写真集・長浜百年」(長浜市刊)より

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2022年5月6日掲載)

2026年3月19日

【湖北史記 其の2】長濱八幡宮と長浜町

 長浜曳山祭が、天候に少々悩まされながらも無事終わった。曳山祭は、言うまでもなく「長濱八幡宮」の春の祭礼を町民が祝うものだが、羽柴秀吉の「まちづくり」と大きく関わっている。そもそも、秀吉がこの地に築城する以前は、この神社は「長濱八幡宮」とは言わなかった。「其の1」で話したように、「長浜」の地名が秀吉以降なのだから、それ以前の中世・戦国時代に「長濱八幡宮」という名前があるはずがない。では何と言ったか。

 同宮に残る史料には、「江州(ごうしゅう)坂田郡八幡別宮」とある。「長濱八幡宮」の草創については、さまざまな説があるが、平安時代に京都の石清水(いわしみず)八幡宮が、今の長浜市街地に移された神社と見るのが、最も史実に沿った見解だ。だから、石清水八幡宮の坂田郡にある「別宮」の意味で、上記の社名がつけられた。

 ところで、秀吉以前の「坂田郡八幡別宮」は、どこにあったか。この疑問には、二つの説がある。その一つは、長浜市街地の八幡町(やわたまち)にある神明神社付近という説である。神明神社は「よじむ湯」(閉業)という銭湯の西隣にあたる。付近の旧町名を八幡町というのも、かつて八幡宮があったことに由来する。

 もう一説は、八幡宮の由来記に出てくる話で、大手町の小山仁右衛門宅付近であったという。小山仁右衛門宅は、今も大手門通りにある小山仁商店。どちらが正しいかは判断がつかないが、秀吉以前の八幡宮は今よりも広大な敷地を有していたと思われるので、前者から後者の区域全体をカバーしていた可能性が高い。要は、現在の長浜市街地全域が八幡宮境内だったと考えられる。

 羽柴秀吉は、天正2年(1574)、長浜城下町の築造にあたり、この八幡宮を東へ大移動させて、そこに広大な空き地を造り、思うように碁盤目状の城下町を造成したのである。言ってみれば、真っ白な紙の上に、意図通りの都市計画が実行できた。これが、新時代の都市計画による近世城下町・長浜を生んだ背景であった。信長の岐阜や安土は、前代の町の区画に規制されて、思うような都市計画ができなかったのとは好対照である。

 こう考えれば、長浜の「まちづくり」が成功したのは「長濱八幡宮」のおかげと言える。その意味で秀吉は同宮の復興に力を尽くしたし、町人も神の東への遷座に感謝しただろう。曳山祭はその神の「引越し」への感謝の祭とも言える。

 

長浜八幡町の神明神社

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2022年4月20日掲載)

2026年3月19日

【湖北史記 其の1】今浜から長浜へ

 先月20日・21日に長浜文化芸術会館で行なわれた市民創造オペラ「しのぶときく」は、両日で5百人以上の観客を集め大成功に終わった。このオペラは、今浜村の漁師たちが参加して長浜築城が行なわれた話に、長浜城人柱伝承を織り交ぜて脚色したドラマだった。その中でも秀吉が「今浜」の地名を改め「長浜」としたのは、主君である織田信長の「長」の意味だというセリフがあった。

 「今浜」の地名だが、長浜八幡宮に残る永享7年(1435)の猿楽観覧の座席一覧には「今濱村」の村名が見え、その代表者として道林や道秀の名がある。さらに、神照寺に残る同時代の寺田記録には、「イマハマノ法住」や「今濱三郎左衛門」の名前が登場する。これらから、「今浜」は確実に室町時代から存在した村名であり、そこに住民がいたことも確かである。「今」には「新」の意があり、新たに開発された漁港というのが地名の意味だろう。

 その今浜村について、江戸中期に成立した地誌である『淡海木間攫(こまざらえ)』には「長浜町…古ハ今浜ト号セリ、豊臣秀吉公、長浜改名セシメラル」とあるように、改名したのは秀吉であることが、江戸時代以来言われてきた。ただ、「長浜」の地名の由来は、いま一つ明快ではないというのが歴史学の立場である。

 竹中半兵衛の子・重門(しげかど)が著わした秀吉の伝記『豊鑑(とよかがみ)』の「長浜真砂(まさご)」の項に、「君が代も我が世も千代に長浜の真砂の数の尽きやらぬまで」の歌が掲載されている。豊国神社南の「長浜開町四百年記念碑」には、これを竹中半兵衛の作として記すが、原本には「誰人の詠みしといふ事も忘れにけり」とある。「君が代」の「君」は織田信長と解せば信長の世が長く続くようにとも読めなくはないが、一般的には天皇と考えるべきであろう。読んだ人物が秀吉や半兵衛ではなく「詠み人知らず」ならなおさらだ。

 この歌は、湖岸の「真砂」の数が無数なように、末永い長浜の繁栄を歌ったものである。そう考えれば、「今浜」からの「長浜」への改名は、古代から現代まである瑞祥(ずいしょう)地名(キラキラ地名)の一つと考えるべきで、信長の「長」と考える必要は必ずしもない。我々は、この伝統ある地名がつくマチの繁栄を、文字通り無限に継続させる使命がある。ふと考えれば、再来年は開町450年の記念すべき年だ。

長浜開町四百年記念碑(南呉服町)

「湖北史記」の連載に当たって

 筆者は昭和61年に長浜城歴史博物館の学芸員として就職し、同館で展示・講演・調査研究活動を行なってきた。平成26年から3年間、同館の館長を務め、その後長浜市役所歴史遺産課で、文化財業務全般を担当してきた。今年3月、長浜市役所を退職したのを機に、「淡海歴史文化研究所」を立ち上げ、長浜市や米原市の歴史をやさしく、かつ史実に沿って深掘りする「湖北史記」を本紙に寄せることを思い立った。基本、2週間に1回のペースで、湖北史の読み直しを続け、歴史と現代社会の関わりを追求したい。

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2022年4月8日掲載)

2026年3月18日

カレーの匂い分かる?

デイサービス「ほほえみ」で嗅覚トレーニング

 社会福祉法人近江幸楽会が運営するデイサービスセンター「ほほえみ」(下坂中町)で、嗅覚を刺激する「オルファクトリートレーニング(嗅覚トレーニング)」の取り組みが行われている。加齢に伴う心身の衰え「フレイル」の予防につなげようと、利用者が香りを嗅ぎ、嗅覚を意識する機会を設けている。

 きっかけは、同センター管理者の林直子さんがフレイル予防の事例として嗅覚トレーニングを新聞で知ったこと。昨年7月に京都で開かれた学会を聴講し、センターの利用者にも応用できるのではないかと考え、翌8月から導入した。

 トレーニングでは透明の小瓶に入れた香りを利用者に嗅いでもらい、「匂いがするか」「何の匂いか」を感じ取ってもらう。中身が見えないよう手拭いで目隠しをした状態で行い、1日2回実施。入浴剤や線香、カレー粉、柑橘系アロマ、ラベンダーオイルなど、利用者にとって身近な香りを用いている。差し出した小瓶すべてに「匂いがする」と答える利用者もいるため、現在は反応を確かめるために空の小瓶も用意している。

 利用者の反応は「何の匂いもしない」「匂いはするが種類が分からない」「匂いが分かる」などさまざまで、日によって変わることも多く、成果は一進一退という。ただ、これまでに2人の利用者が匂いをかぎ分けられるようになった。

 林さんが驚いたのは、刺激の強いカレー粉の香りについても「匂わない」と話す利用者がいたことだ。「これではガス漏れや傷んだ食べ物、排せつ漏れにも気付かないのでは」と、嗅覚低下の危険性を感じたという。

 嗅覚は、視力の眼鏡や聴力の補聴器のように機能を補う身近な道具がないことから、機能低下の予防が欠かせない。

 このトレーニングが嗅覚や認知の機能向上につながっているかは現時点で確証はないが、林さんは「継続することで嗅覚や認知機能を維持し、低下を防げれば」と話している。

2026年3月18日

「文豪カフェ」夢京橋にオープン

名著5500冊、川端康成の別荘建材使用

 彦根市本町の夢京橋キャッスルロードの旧駄菓子店に18日、ノーベル文学賞作家・川端康成の軽井沢別荘で使われていた建材の一部を用いてリノベーションした店「文豪カフェ」がオープンした。2階建てのスペースに古書から新書まで計約5500冊の本が並び、ノスタルジックな空間で読書が楽しめる。

 運営会社は、バイオ医薬品開発や文化事業のGCAT社(岐阜県垂井町)。垂井町や米原市内に音楽ホールなども手がけている。同社会長で同店のオーナーを務める所源亮さん(77)の祖父・藤村耕一は、大正11年(1922年)から昭和25年(1950年)まで刊行された恋愛の小説や随筆、詩を収録した雑誌「令女界」の編集者。川端もその雑誌に寄稿していた。所さんが軽井沢で書店を経営していた2021年秋に、川端の別荘が解体され、京都大学建築学科の協力で保管されていた。

 キャッスルロードにオープンした店は、川端の別荘で使われていた窓サッシや柱、壁板などを使用しているのが特徴。表の1階スペースには川端をはじめ、夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、谷崎潤一郎、志賀直哉、太宰治、三島由紀夫、大江健三郎ら明治から昭和の戦後を代表する文豪たちの古書約150冊をそろえている。文豪たちの古書コーナーの一角には当時の「令女界」をはじめ、大正14年(1925年)創刊の雑誌「若草」なども並べている。

 2階では「世界の知にふれる」をテーマに、宇宙や神話、哲学、文明、経済の分野の名著、講談社の科学系新書シリーズ「ブルーバックス」や中公新書の本が読める。1・2階全体で約5500冊を陳列。2階を含め30席以上あり、トーク会や講演会、小規模な音楽会も開催できる。利用料はコーヒーと茶のパック付きで3時間2000円。

 1階の奥スペースは予約制だが、レコードが聞ける「音響の間」、高級家具と名画に囲まれた「応接の間」、和室の「瞑想の間」があり、中庭も整備されている。

 店内では、オリジナルのレターセット、ノート、ペン、ボールペン、鉛筆などを文具のほか、ブータンの冬虫夏草を使った茶やサプリメント、ブータンの冬虫夏草入り飼料を食べたニワトリの卵、恵那川上屋の栗あんぱんも販売している。

 文豪カフェの本店に隣接する支店のカフェは今月末にオープンし、ブータンの冬虫夏草の飲料やブルーマウンテンのコーヒー、恵那川上屋の特製ホットケーキなどを提供する。

 所さんは「川端康成が過ごした空間の一部が彦根の地によみがえった。一日中でも半日でもいいので、自分のための自由な時間をここで過ごしてほしい」と話している。同店の営業時間は午前10時〜午後5時。月火曜休み。問い合わせは同社℡0584(47)7111。

(滋賀彦根新聞)

 

 

 

2026年3月18日

紅葉の憩いの場「にしきのおか」

長浜ロータリークラブ75周年で豊公園に整備

 長浜ロータリークラブは創立75周年記念事業として、豊公園の長浜城歴史博物館東側に紅葉が楽しめる丘「にしきのおか」を整備し、14日、現地で披露目と記念碑除幕式を行った。姉妹クラブの台北市東門ロータリークラブのメンバーも出席し、新たな市民の憩いの場の完成を祝った。

 同クラブは1951年2月26日、「超我の奉仕」を掲げ、京都ロータリークラブの支援を受けて全国で57番目のクラブとして設立された。当時の長浜は戦後の混乱から復興しつつある人口約5万人の町だったが、交通の要衝として古くから栄え、江戸時代後期には繊維産業が発展。浄土真宗の文化が根付き、県内初の銀行や小学校が設立されるなど文化的にも先進的な地域として知られていた。こうした中で、商工会議所の「木曜クラブ」を母体に26人のチャーターメンバーが集まり、クラブが誕生した。

 今回整備した「にしきのおか」は約2700平方㍍。丘の高さは約3㍍で、もともとあったモミジ15本に加え、新たにイロハモミジの若木55本を植えた。遊歩道も整備し、健康遊具ベンチ2基を設置。散策や軽い体操、健康ウォークなどに気軽に利用できる空間として整えられた。5月9日には市民参加の植樹式を予定しており、さらに10本を植える。

 丘の一角には記念碑も設置された。幅3㍍、高さ1・3㍍で、約2㌧の御影石を使用。文字は「今年の漢字」の揮毫で知られる京都・清水寺の森清範貫主が手掛けた。

 同クラブの中村彰男会長は「にしきのおかが季節とともに育ち、多くの人に愛される場所となることを願っている」とあいさつ。原馬良典実行委員長も「市民の心のよりどころとして、皆さんに慕われる場所になれば」と期待を寄せた。森貫主は「75年は一つの通過点。これを機にクラブがさらに発展することを祈念します。普段は1字を書くことが多いが、今回は大サービスで6字を書いた」と語り、会場の笑いを誘っていた。

 整備を担当した中川造園の中川茂樹さんは「早ければ今秋にも紅葉を楽しめるのでは」と話している。

2026年3月13日

クラブハリエとひこにゃんコラボ

誕生20周年で限定販売、たねや2商品も

 たねやとクラブハリエは12日、ひこにゃんの誕生20周年を記念した新商品を発表した。

 クラブハリエの商品は「バームクーヘンmini3個入 ひこにゃん20周年限定パッケージ」。かぶとの天衝き入りのひこにゃんの顔と20周年のロゴを入れた立方体の箱に、直径7・8㌢×高さ2・8㌢のバームクーヘンが3個入っている。彦根美濠の舎やたねや・クラブハリエの公式オンラインショップで、4月1日から限定1万2000個を発売。1個1836円。

 たねやの商品は、最中の「ふくみ」5個入りと、栗饅頭・最中の2個ずつの詰め合わせで、それぞれ、ひこにゃんの顔で埋め尽くされた箱型と手持ちができる型になっている。ふくみ天平のセットが1620円、栗饅頭・斗升最中のセットが1188円。14日までラコリーナ近江八幡で先行販売した後、4月1日から彦根美濠の舎やたねや・クラブハリエの公式オンラインショップで、4月1日から通常販売される。いずれも予約可。

 クラブハリエ営業部の水森貴文部長(45)は「この商品でひこにゃんの20周年を盛り上げてほしい。市民の皆さんにも手土産として使っていただきたい」と話している。

(滋賀彦根新聞)

2026年3月13日

米原駅前でクラフトビールの祭典

20日、県内外8醸造所が集結

 昨年初開催し評判を呼んだ「クラフトビールフェス米原」が20日、米原駅東口の米原市役所一帯で開かれる。県内外から8つのブルワリーが集い、造り手の個性が詰まった一杯を楽しめる。

 主催は「鉄道を活かした湖北地域振興協議会」。鉄道利用の促進を通じた地域活性化を目指す団体で、駅前開催の利点を生かし、電車での来場を呼びかけている。

 出店するのは、「長濱浪漫ビール」(長浜市)、「彦根麦酒」(彦根市)、「FLORA FERMENTATION」(東近江市)のほか、「OUR BREWING」(福井市)、「BREW CLASSIC」(金沢市)、「ISEKADO」(伊勢市)、「TALL BOYS BREWING」(名古屋市)、「3TREE BREWERY」(茨木市)。

 中でも東近江市永源寺の「FLORA FERMENTATION」は、長濱浪漫ビールで出会った3人が各地で研さんを積み、再結集して2024年に醸造を始めた新鋭。長浜バイオ大学の卒業生もおり、研究で培った知見を酵母管理に生かす。「農と発酵」を掲げてホップなどの原料の畑づくりから仕込みまで一貫して向き合う姿勢が注目されている。

 福井市の「OUR BREWING」は北陸新幹線福井駅開業を機に駅前に醸造所を構えた新生。一方、伊勢市の「ISEKADO」は全国区の実力派として知られる。新鋭と名門が同じ会場にそろうのも、フェスならではだ。

 会場には地元飲食店も出店し、サンドイッチやからあげ、湖魚料理など多彩なフードを提供。ビール、フードとも数量限定で、売り切れ次第終了となる。正午から午後7時まで。

2026年3月12日

宮崎さんの「幸せの青い鳥」金賞

湖北野鳥写真コンテスト

 湖北野鳥センターが主催する湖北野鳥写真コンテストの審査結果がこのほど発表され、南高田町の宮崎康治さんの作品「幸せの青い鳥」が金賞に選ばれた。

 コンテストは湖北地域の野鳥の魅力を写真で伝えてもらおうと毎年開かれている。今回は1月17日から2月23日まで作品を募集し、県内外から133点の応募があった。

 金賞作品は、湖岸緑地姉川河口公園(南浜町)でイソヒヨドリを捉えた写真。審査員は「繊細な青い色彩が美しく表現され、その一瞬をとらえた構図が見事。イソヒヨドリの静謐な青、そして柔らかく広がった翼の一枚一枚の羽のディテールに、対比と調和そして生命の躍動を感じさせられる」と評価された。

 入賞作品9点と応募作品すべては14日から4月19日まで湖北野鳥センター交流室で展示されるほか、5月18日から29日まで長浜市役所本庁舎1階市民交流ロビーでも展示される。

 このほかの入賞者は次の皆さん。

 ▽銀賞=小川宏(愛知県春日井市)▽銅賞=和田雅之(京都府宇治市)▽道の駅湖北みずどりステーション賞=大石正史(京都市)、大橋実(草津市)、松山由美(大阪府和泉市)、村崎新祐(新庄寺町)、渡辺美穂(三重県いなべ市)▽OM SYSTEM賞=内藤健治(彦根市)。

 

金賞 宮崎康治さんの「幸せの青い鳥」

 

 

銀賞 小川宏さんの「厳冬期に舞うイヌワシ幼鳥」

 

 

銅賞 和田雅之さんの「保護色抜群なんです」

2026年3月12日

金融機関行員3人に署長感謝状

長浜署、詐欺被害を未然防止「最後の砦に」

 長浜署は9日、金融機関の窓口対応で特殊詐欺被害を未然に防いだとして、滋賀銀行長浜駅前代理店と関西みらい銀行長浜支店の行員3人に署長感謝状を贈った。

 感謝状を受けたのは、滋賀銀行長浜駅前代理店の浦島悠子さん(44)と河原千鶴さん(46)、関西みらい銀行長浜支店の谷本妃美佳さん(38)。

 同署によると、1月26日、滋賀銀行長浜駅前代理店を訪れた自営業女性(80代)が、あせった様子で「キャッシュカードを作りたい」と窓口で申し出た。浦島さんが理由を尋ねると、女性は「カードを作るよう言われたが、誰にも言うなと言われている」と説明。不審に思った浦島さんは河原さんと協力し、カード作成を思いとどまらせるとともに同署へ通報し、被害を未然に防いだ。

 女性の自宅にはレターパックでニセの逮捕状が届き、直後にニセ警察官が電話で現金を引き出すよう指示。女性がキャッシュカードを持っていないと伝えると、銀行で作るよう求められたという。

 また同日、関西みらい銀行長浜支店を訪れた男性(60代)が振り込みを希望し、ATMで手続きをしようとしていたため、谷本さんが振込先や理由を確認。男性が「知らない相手に投資資金を振り込む」と話したことから詐欺を疑い、振り込みを思いとどまらせ、同署への相談を促した。

 男性はSNSで投資に興味を持ち、その後、勧誘されて加入したLINEグループで投資を勧められていたという。

 谷本さんは「大切なお客様のお金を守ることができてうれしい。今後も窓口やATMで困っている方に声をかけ、おかしいと思ったら警察と連携して対応したい」と話した。

 米森昌一署長は「特殊詐欺は依然として多く、金融機関は被害防止の最後の砦。今後も連携をお願いしたい」と述べ、市民に対し「詐欺には国際電話が使われるケースが多い。国際電話の休止措置を取るなど対策をしてほしい」と呼びかけた。

2026年3月11日

【私の視点】あの日の紙面を開く

 手元に震災直後の地方紙がある。仙台市に本社を置く河北新報の2011年3月12日朝刊だ。1面の見出しは「宮城震度7大津波」。津波にのみ込まれ、家屋が押し流される宮城県名取市の写真が大きく掲載されている。同日夕刊は「福島原発、放射性物質漏れ 8万人が避難開始」「泥流 すべてを奪う」。13日朝刊には「福島第1建屋爆発」と大見出しが躍り、半径20㌔圏への避難指示が出たことを伝えている。

 紙面には政府のコメントも載っている。「放射性物質の数値は想定内」。当時はその言葉を信じるしかなかったが、今読み返すと空々しく響く。

 14日朝刊は「犠牲『万単位に』」「避難者、6県で45万人超」。以降も紙面には原発事故の深刻化を伝える見出しが並ぶ。「核燃料一時完全露出」(15日朝)、「高濃度放射能漏出」(16日朝)、「福島第1冷却作業難航」(17日朝)。状況は刻々と変わり、事態の全体像がつかめないまま、不安だけが広がっていった。

 震災から1週間が過ぎた18日朝刊では「仙台港に救援物資」「仙台空港も利用再開」の見出しが並ぶ。救援物資が本格的に届き始め、わずかながら復旧の兆しが見え始めたころだった。

 あれから15年。道路や橋、鉄道などのインフラ復旧は進み、被災地の街並みも大きく変わった。しかし福島第1原発事故の後始末は今も終わりが見えない。政府と東京電力は廃炉作業を進めているが、その進展が日常のニュースとして報じられることは少なくなった。事故は続いているはずなのに、私たちの関心は遠のいてしまったかのようだ。

 東日本大震災では、大津波も原発事故もすべてが「想定外」と言われた。だが、自然の前で人間の「想定」がいかに脆いものかは、その後も何度も思い知らされている。近年は豪雨による河川の氾濫や土砂災害、豪雪による交通機能のまひなど、自然の猛威が人間社会を揺さぶっている。

 震災と原発事故は、湖北に暮らす私たちにとっても無関係ではない。琵琶湖の北には福井県若狭湾に並ぶ原子力発電所がある。関西の電力を支える「原発銀座」と呼ばれる地域だ。もし同じような事故が起きたらどうなるのか。琵琶湖は近畿1400万人の水がめである。水と暮らす地域だからこそ、原発事故がもたらす被害を考え続ける必要がある。

 3月11日は、単なる一つの災害の日ではない。巨大津波と原発事故という複合災害が、日本社会に深い問いを突きつけた日でもある。

 年月がたつほど、その記憶は奥へと遠ざかっていく。それでも、この日だけは立ち止まり、私はあの紙面を手に取る。見出しに刻まれた不安と混乱、そして復旧へ向かう小さな希望を忘れないために。

 震災は過去の出来事ではない。いまも続く課題として、私たちの前にある。

              (押谷洋司)

2026年3月10日

米川にビワマス戻る兆し

2年ぶり稚魚確認、「100年前の姿」期待

 長浜市の中心市街地を流れる米川で8日、琵琶湖固有種ビワマスの稚魚2匹が確認された。長浜地域づくり連合会と近江淡水生物研究所が実施した水生生物調査で捕獲されたもので、米川で稚魚が確認されるのは2年ぶり。市街地の川にビワマスが戻りつつある兆しとして、関係者から喜びの声が上がっている。

 ビワマスは琵琶湖のみに生息するサケ科の魚で、秋に河川上流へ遡上して産卵し、春から初夏にかけて稚魚が琵琶湖へ下る。米川沿いでは「子どものころ、窓から手を伸ばしてビワマスをつかんだ」という古老の証言も残る。100年ほど前は豊富に生息していたとされる。

 その後は水質の悪化などで米川では長らくビワマスの姿が確認されていなかったが、2021年に長浜赤十字病院付近で遡上する成魚の動画が撮影された。さらに24年にはJR長浜駅付近でも琵琶湖へ下る稚魚が確認され、市街地の川にビワマスが戻りつつある可能性が指摘されていた。

 これを受け、長浜まちなか地域づくり連合会などは「米川ビワマスプロジェクト」を開始。昨年10月にはビワマスが産卵しやすいよう、クワで川底を耕し、砂礫を柔らかくするなど産卵環境の改善に取り組んできた。

 この日の調査には連合会と研究所のほか、虎姫高校新聞部の生徒を含め計25人が参加。長浜幼稚園西側付近の米川で、たも網を使って魚類や水生生物を調べたところ、琵琶湖へ下る途中とみられる体長5㌢と3・5㌢ほどの稚魚を捕獲した。

 参加者からは「昨秋、米川を遡上したビワマスが産卵していた証拠」との声が上がった。ビワマスのほか、ヨシノボリ、オイカワ、ウキゴリ、ヤツメウナギ、ウツセミカジカなども確認された。

 連合会の地域活力プランナーで米川ビワマスプロジェクトを進める田中省吾さん(72)は、自らたも網で稚魚を捕獲。「本当にうれしい。100年前の米川の姿が垣間見えたようだ。環境が良くなっているということに尽きる。ビワマスが遡上する川になっている」と期待と希望を膨らませている。

 今月21日には、曳山博物館横を流れる米川でビワマス稚魚の放流が予定されている。今回の発見は、米川がビワマスの生息環境として適している可能性を示すものとして関係者の期待を高めている。

 放流は午前10時から。現在、放流に参加する小学生と保護者20組を募集しており、申し込みは18日までhttps://logoform.jp/form/BJcW/1394981で受け付けている。