東草野の竹刀製造道具

県の指定有形文化財に新指定

 県は16日、県指定有形文化財に米原市の「東草野の竹刀製造用具および製品」など9件を新たに指定した。

 新指定されたのは米原市の甲賀、甲津原を中心に大正から昭和60年代にかけ、盛んに行われていた竹刀作りに関する道具と材料、製品など約200点。

 竹刀は江戸中期、現在のような形になったとされ、東草野で製造が始まったのは大正時代。甲賀の池田九右ヱ門と息子の政太郎が京都深草で修業し、日露戦争後、その技術を故郷に持ち帰ったのが始まり。

 奥伊吹にあるこの地域は積雪が多く、竹刀作りは冬の間の仕事だったが、昭和14年ごろには主要産業だった炭焼きよりも安定した収入源となった。

 戦後、GHQの剣道禁止令により、製造は一時途絶えたが、中高等教育で剣道が復活すると、需要は急速に拡大。甲津原にも生産者が現れ、昭和40年代前半にピークを迎えた。

 同後半からは機械製の竹刀が登場し、安価な輸入品やカーボン製の竹刀が普及し、需要は減少。昭和60年代に入ると、竹刀作りは自然消滅した。

特徴的な道具の数々

 竹刀は家内制手工業で、基本、すべての工程を1人で行う。材料の竹は京都などから持ち込まれ、完成品は京都や名古屋などに出荷。問屋で鍔や柄の皮など付属品が取り付けられ、「行光」など出荷先のブランドとして販売された。

 竹刀は先が細く、胴周りにかけて太くなり、柄先が細く、4枚の割竹を合わせることで、1本が形作られる。製造は竹を加工し、調整し、仕上げる工程と成形した竹を組み合わせ、竹刀に仕上げる工程に大別される。

 文化財に指定されたのは竹を削るための特殊な小刀などが中心。タメボウ(ため棒)は樫の木の板に溝状の切り込みを入れ、火鉢であぶった竹を矯正する道具で、竹刀製造で最も特徴的な用具。

 現在、地域内で唯一、技術を継承している池田光信さん(78)は「段々と廃れてゆく仕事。文化財に指定されたことはありがたい」と話し、文化財の担当者は「用具は山村における生業のあり様を示す貴重な資料。県外との流通や雪深い場所で生活を支えていくために竹刀の製造を選んだ地域の特色を表している」と語っている。

 昨年12月18日、県文化財保護審議会から知事へ答申を得た絵画1件、彫刻2件、工芸品1件、書籍・古文書1件、考古資料1件、有形民俗文化財2件と母屋が追加指定された江戸初期の名勝「赤田氏庭園」(長浜市太田町)1件の計9件を指定。県指定有形文化財は計515件となった。

掲載日: 2021年02月16日