医療テント設営、毎日100人診療

トルコ大地震、援助隊の金澤さん帰国

 大地震に襲われたトルコで、日本政府が派遣した国際緊急援助隊・医療チームの一員として支援活動を行っていた朝日町の看護師・金澤豊さん(63)=京都橘大学健康科学部救急救命学科教員=が2月27日、帰国した。

 医療チームは医師や看護師、薬剤師ら75人で構成され、トルコ南部のカジアンテップ県オーゼリ市で活動。金澤さんは2月14日に日本を発ち、現地でテント設営や被災者の受け入れ対応などに取り組んだ。

 医療チームは現地の職業訓練校の駐車場に大小約30のテントをつなぎ合わせて、集中治療室、手術室、分娩室、ナースステーション、診察室、病床などの機能を備えた設備を整備。また、電子カルテも導入し、タブレットを使って情報を共有するなど、国際緊急援助隊として新しい試みが行われた。

 大地震による被害を受け職業訓練校に機能を移転していた現地の病院の指示を受けて診療に従事した。

 復興作業中にけがをしたり、マイナス10度の気温で体調不良を訴えたりする被災者を1日当たり約100人受け入れて診療を行った。妊婦のエコー検査が評判を呼び、興味本位で診察に訪れる住民もいたという。

 治安悪化が報じられ、医療チームには外出禁止令が出されていたため、地震被害を受けた地域で直接活動することはなかったが、金澤さんは「治安の悪さを感じることはなかった」と話している。

 トルコは1999年にも大地震(イズミット地震)に見舞われ、日本の援助隊が現地で献身的に活動。その恩返しとして東日本大震災ではトルコの援助隊がいち早く駆け付け、原発事故を受けて各国の援助隊が撤退する中でもトルコ隊は活動を続けた経緯がある。今回の派遣に日本の隊員は「東日本大震災の恩返し」との思いを胸にトルコに赴き、現地の空港で住民から大きな拍手で出迎えられるなど大歓迎を受けたという。

 金澤さんは1999年のトルコ大地震の際に現地に派遣されており、トルコ語も片言だが話すことができる。「現地では温かく歓迎され、レトルト食品ばかりの私たちにボランティアの住民が食事を提供してくれることもあった。とても友好的だった」と振り返った。

 国際緊急援助隊として9回目の派遣だった金澤さん。「地震はいつ発生するか分からない。ライフラインが途絶したときのために我々医療に携わる者はしっかりとした体制を構築する必要があるし、個人レベルでは日ごろから万一の備えが必要」と語る。

 そのうえで、「コロナ禍で地域のコミュニティが弱くなったと感じる。大規模災害が起こったときは、公助よりも共助が重要になる。救助、水の確保、排泄の問題などは、地域や近所が互いに助け合うことが大切で、共助が試される。今一度、希薄化しているコミュニティの再構築が必要だと感じた」と話している。

掲載日: 2023年03月01日