戦後80年で、出雲さん「歴史伝えて」
陶製の地雷、ガラス製の水筒、焼夷弾の破片で作った包丁など、戦時中の物資不足で作られた兵器や生活用具。フリージャーナリストで戦時資料収集家の出雲一郎さん(70)=鍛冶屋町=は戦中・戦後の生活ぶりを今に伝えるため、これらを捨てずに保存するよう広く協力を呼びかけている。
これまで収集した資料は、不足する鉄に代わって陶器で作られた地雷や手りゅう弾、釜、砂を詰めた消火器具「投砂弾」、B29から投下された焼夷弾の破片から作った包丁など約300点。地雷や手りゅう弾は信楽で生産され、統制番号や工場印も確認できる。沖縄戦などで使用されたという。
瀬戸焼と見られる水筒やキセル、ガラス片を再生した水筒などは、金属が無い中、割れやすい陶器やガラスで用具を作るしかなかった不便な生活ぶりをうかがわせる。
戦争資料に関心を持ったきっかけは1972年。当時、大学生だった出雲さんが沖縄旅行中の船の中で元日本兵に偶然出会い、かつての激戦地のガマで一緒に遺骨収集をしたのが始まり。「沖縄では子ども達が進駐軍のキャンプに忍び込んでごみ箱をあさって使えそうなものを盗み出し、加工して使っていたと聞いた」と振り返った。その後、戦時中の生活用品などが滋賀で多く残っていることを知り、コレクションを始めた。
2003年には浅井歴史民俗資料館で開かれた「第1回終戦記念展」の企画に協力するなどして戦時資料の保存の重要性を呼びかけてきた。
集めた戦時資料の多くは大和ミュージアム(広島県呉市)や浅井歴史民俗資料館に寄託。また、5月21日には陶製手りゅう弾など14点を県平和祈念館(東近江市)に寄贈した。
出雲さんは戦後、各家庭で残されていた生活用具が所有者の死去に伴って廃棄されていることを憂い、「歴史遺産が豊富な湖北地域では80年前の戦争は『歴史』ではないかもしれないが、戦時中の生活用具を捨てずに保管することで、子や孫に戦争の歴史を伝えてもらいたい」と訴えている。