近江で学習会、小学生が由来など学ぶ
戦国武将・山内一豊(1545〜1605年)が使っていたと伝わる「螺鈿采配(らでんさいはい)」が、米原市顔戸の近江学びあいステーションで初公開されている。一豊らをかくまったとされる宇賀野の長野家に伝わり、その後、宇賀野出身の競馬・北村友一騎手(39)の祖父に譲られた品で、一昨年に米原市へ寄贈された。26日には市職員が小学生に一豊の生涯や采配の由来を紹介する学習会も開かれた。
一豊は尾張(現在の愛知県)で生まれた。父・盛豊の死後、母の法秀院らとともに長野家へ身を寄せたとされる。法秀院は滞在中、近所の子どもたちに習字や裁縫を教え、習いに来ていた子どもの中には、後に一豊の妻となる「ちよ」がいたと伝わっている。
一豊らが過ごした長野家にはその後、法秀院や一豊ゆかりの品々が伝えられた。その一つが螺鈿采配で、木製の棒状。直径2・9㌢、長さ60・5㌢で、黒漆を施した上にヤコウガイのかけらを埋め込み、表面を削って仕上げた美しい装飾が特徴となっている。
一豊は永禄11年(1568年)ごろに豊臣秀吉に仕え、姉川の戦いに参加。天正13年(1585年)に長浜城主、天正18年(1590年)には掛川城主となった。慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いでは徳川家康方につき、戦後には土佐一国(現在の高知県)が与えられた。
螺鈿采配を一豊が実際に使用したことを裏付ける史料はないものの、一豊所用の品として長野家に伝えられてきた。納められている桐箱には「山内一豊所用」「長野家の当主元晃氏から授く」と記されている。
古物収集を趣味にしていた北村騎手の祖父が、親しくしていた長野家から譲り受け、その後、北村騎手の父・悟さん(67)が保管。一昨年、米原市へ寄贈した。
勝運願い采配握る 北村騎手、20代後半にゲン担ぎ
北村騎手は昨年6月の日本ダービーで優勝し、今年5月3日の天皇賞(春)でも初優勝を果たした。
悟さんによると、山内一豊が戦に負けたことがないと伝わることから、北村騎手が20代後半のころ、「ゲン担ぎ」として螺鈿采配を握らせたという。その後、騎手として成績を伸ばし、GⅠを制するトップジョッキーへと飛躍した。悟さんは「宇賀野をはじめ、多くの皆さんに一豊公ゆかりの采配があることを知ってほしい」と話している。
近江学びあいステーションでは、北村騎手のGⅠ制覇後に等身大パネルを設置したり、祝福の横断幕を掲げたりしてきた。こうした縁から、市から借り受ける形で8月18日から螺鈿采配の展示を始めた。10月末までを予定している。
26日の学習会では、市生涯学習課の文化財担当職員が小学生たちに一豊の生涯を紹介した後、実物の螺鈿采配を見せながら、螺鈿の技法や采配の形状などを解説。子どもたちは興味深そうに耳を傾け、地域に残る文化財への理解を深めた。
山田裕美館長(70)は「地域の子どもたちに、近くで一豊や母親が過ごしていた歴史を知ってほしい。螺鈿采配を見た子どもたちには、あらゆる分野で采配を振るような大人になってほしい」と話した。






