下坂氏館は、南北朝から戦国時代まで続く土豪(どごう)・地侍(じざむらい)と呼ばれる村落領主の屋敷跡である。戦国時代に造られた約90㍍四方の土塁(土でできた土手)と堀に囲まれた城郭遺構が残る。主郭の中央に建つ主屋(おもや)はヨシ葺きで、明治以降は医院として使用されてきた。建立は18世紀後期にまで遡り、入母屋造りのヨシ葺きで、桁行(けたゆき)10間(けん)・梁行(はりゆき)2間半の巨大な豪農住宅である。その前面に立つ館の門も、18世紀前期の建立と見られ、戦国時代を思わせる景観が広がっている。
これほど良好に戦国時代の土豪屋敷が残っている遺構は、滋賀県内はもちろん、全国的に見ても例がないと言えよう。このことから、平成18年1月に国の「史跡」に指定された。つまり、小谷城と同格の文化財的価値を有することになる。
戦国時代の村落領主の屋敷は、菩提寺と一体となっていたと考えられており、下坂氏館跡の東には、菩提寺である浄土宗寺院・不断光院(ふだんこういん)の本堂・庫裏(くり)・門が現存している。村落領主の館跡が残ることも稀(まれ)だが、菩提寺が隣接して現存する例はこれまた全国的になく、戦国大名家臣の館を彷彿(ほうふつ)させる。現在の不断光院の本堂は、江戸中期にあたる正徳(しょうとく)5年(1715)建立で、門も同時期の建造であるが、2月の「御忌法要」など近隣住民の信仰を集めて来た。
下坂氏は、戦国時代において北近江の守護であった京極氏や、戦国大名の浅井氏に仕えた。浅井氏に従って、小谷城にも籠城している。石田三成の父親の正継や、小堀遠州の父親の正次も同じく浅井氏の家臣であるので、三成や遠州が幼少期を過ごした屋敷が、現代の世にそのまま伝わっているのが、下坂氏館跡だとも言える。
この館跡と菩提寺は、令和元年11月に、病院を経営する下坂氏のご子孫から、長浜市に寄附された。8500平方㍍に及ぶ文化財の敷地と建造物がセットで寄附されたことは、市にとっても初めてのことであった。長浜市では内部を整備し、令和2年8月から一般公開をしている。公開や館の運営は、下坂氏館跡を守る会と、六荘地区地域づくり協議会が行なっている。
下坂氏館跡の展示に、この度150分の1の館ジオラマが加わった。館はもちろん、その周辺の地形や建造物・道路なども忠実に再現している。市内の内貴正弘さんが製作したもので、主屋展示室の横で公開されている。館跡と寺との位置関係など、ドローンで見たような風景が楽しめる。是非、この機会に館跡を訪れたいものだ。開館日は、11月までは土日・祝日で、午前9時から午後4時(入館は3時半)まで。入場料(大人350円)が必要である。

下坂氏館跡のジオラマ
淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司
(滋賀夕刊 2025年4月15日掲載)




