長浜市八幡東町は、江戸時代は坂田郡八幡東村と呼ばれた。その村名の語源は、「長浜八幡宮の東にあった村」だと言う方がいるが少々違う。それは、八幡中山村(長浜市八幡中山町)を「長浜八幡宮の中山にあった村」では意味が通じないことから明らかである。八幡東は中世の石清水八幡宮領八幡荘の内、東方にあった村という意味である。それに対し、八幡中山村は八幡荘(はちまんのしょう)の中山(地名)という場所にあったという意味である。
それはさておき、この八幡東村には魅惑的な小字(こあざ)が並ぶ。四ノ坪・九ノ坪・十六は、条里制の坪名の遺称で、長浜楽市の敷地内に九ノ坪池が現存することは本記62でふれた。この池は八幡東町に残った古文書によって、宝暦(ほうれき)9年(1759)まで遡(さか)って存在を確認できることを追記する。また、上正号寺(かみしょうごじ)・下(しも)正号寺は矢正寺(やしょうじ)という寺の跡のようで、正号寺という川も流れていた。その小字の中で、ひときわ不思議なのは小字サカサマである。何が逆さまなのであろうか。
やはり八幡東村の古文書に、同村が宝暦9年正月に彦根藩へ上申した文書が残っていて、「さかさま川」と正号寺川は干ばつになると水が流れず、周囲の田地が焼けてしまうので、池を掘らせて欲しいとの願いが書かれている。たぶん、ここでの池は溜池のような大規模なものではなく、井戸のようなもので、姉川の伏流水を汲み上げ田地に水を供給する小池だろう。ここで重要なのは、サカサマは「さかさま川」とも呼ばれていることである。
この「さかさま川」は、大塚産業と長浜楽市の間の川で、条里制の一坪分、つまり109㍍の区間を東西に流れる。現地に立って驚くのは、この区間だけ水が西から東に流れていることだ。長浜市の市街地は姉川の扇状地にあるので、土地は東北から西南に緩やかに傾斜する。つまり、ほぼすべての川は高い方から低い方、つまり東から西へ水が流れる。ただ、この「サカサマ」の部分のみは、川が109㍍だけ水が逆さまに、つまり西から東に流れているのだ。まさに、逆流する川=「さかさま川」なのである。
微妙な土地の起伏の関係で、このような状態が生まれたのだろうが、北から来た川水は、「さかさま川」を東に向かって流れ、南下した後、結局は西へ向かって流れていく。なんとも、ユニークな川名であるし、小字名でもある。九ノ坪池と共に説明看板を上げて、長く市民の記憶に留めたいと思うのは私だけだろうか。

大塚産業と長浜楽市の間を流れるサカサマ川(西から東を見る)
淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司
(滋賀夕刊 2024年11月26日掲載)




