長浜市八幡東町の西友長浜楽市店の東の駐車場に、「九ノ坪(くのつぼ)池」と呼ばれる池がある。かつて池名が記された看板があった気もするが、今となっては駐車場の真ん中にある小さな池に過ぎず、名前すら地元の方以外は知らない。実は、この「九ノ坪」は古代の圃場(ほじょう)整備である条里制の呼称に起源がある地名なのである。
条里制は、近江国の場合、10世紀に本格的に整備されたと考えられている。紫式部が『源氏物語』を書いた少し前の話で、律令(りつりょう)制が崩壊しかけ、荘園制(しょうえんせい)が全盛となる頃である。したがって、条里制は古代の制度ではなく、中世荘園制の産物と捉えることもできる。
平安時代の中期に出来た条里制は、郡ごとに施行された。八幡東町は坂田郡内なので、同郡の条里の話をすると、国友町のキヤノン工場付近が1条となり、米原市米原辺りが18条になる。その条の線に直交する線で里(東西方向)を設定した。この条と里の線を結んでいくと、地図上に碁盤目状の区画が出来る。一つのマス目は、6町(1町は109㍍)四方であった。もちろん、実際の土地に条里線が書いてある訳ではない。ただ、条里は横山丘陵よりの西の平野部分のみに展開した。さらに、坂田郡の条の線(南北方向)は西に15度傾いていた。これは、土地の傾斜の関係と見られる。
この碁盤目状の区画を、北から1条・2条と呼び、東から1・2里と呼んだ。八幡東の「九ノ坪池」の場所は6条8里9坪に当たる。十里町は10里の線上、七条町と八条町は7条・8条の線上になる。この、6町四方のマスは、南北に6つ、東西に6つ、合計36の坪(1町四方)に区切られた。坂田郡の場合は、東北から一ノ坪と数え、南に下がって六ノ坪まで数えたら、西にずれて一ノ坪の隣に戻って七ノ坪と数える。「九ノ坪」は、七ノ坪から南へ2つ目の坪になる。
条里制は昭和後期に現代の圃場整備が行なわれるまで、北近江の田地景観を形成していた。実に1千年近く活用された土地区画制度であった。その痕跡(こんせき)は、「九ノ坪」の池名以外にも、村々の小字名や、小字名から付けられたマンション名などとして残っている。さらに、我々の方位感覚も、条里制に影響を受けている。普段、北と思っている方向は条里線に従っており、真北は東に15度ずれる。「九ノ坪池」周辺に車を停めて買物する時、少しだけ条里制の存在を思い出して欲しい。実は停めた車も西へ15度傾いている。
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九ノ坪池(向こう側は西友楽市店)
淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司
(滋賀夕刊 2024年9月18日掲載)




