長浜市南呉服町に鎮座する豊国(ほうこく)神社の社宝展が長浜市曳山博物館で、9月29日まで開催されている。同社は豊臣秀吉・恵比須神(えびすしん)・加藤清正・木村重成(しげなり)を祭神とする。その草創は慶長5年(1600)8月18日に、長浜八幡宮の御旅所に勧請(かんじょう)された豊国大明神(秀吉の神号)社であった。江戸時代は徳川氏の世であったので、秀吉を表立って祀ることはできなかったが、神像は町年寄によって密かに守られたと言われる。
寛政5年(1793)9月に至り、御旅所に蛭子(えびす)神社として八幡宮から移転した社殿に神像を祀り、事実上、豊国大明神社を再興した。明治維新に至り、社号を豊(みのり)神社に変更、明治25年(1892)には社地を現在地の西側に移し、さらに大正元年(1912)に豊公園が開園し、境内を道路が貫通することになり、現在地に移り社殿を東向きから南向きに変更している。大正9年(1920)に社号を豊国神社に改称した。昭和50年代の駅周辺の再開発で、境内地南西にあった能舞台や南にあった神苑(しんえん)がなくなっている。
秀吉を祀る神社であっただけに、秀吉家臣から近世大名になった家の信仰は厚い。正面社標は、大正13年(1924)の「開町350年祭」を記念したもの。安芸広島藩主だった浅野長勲(ながこと)の書であることは本記「其の27」で紹介した。さらに、平成8年(1996)まで正面鳥居に懸けられていた「豊国大神」の扁額(へんがく)は、阿波徳島藩主だった蜂須賀茂韶(もちあき)の書で大正3年(1914)奉納。これは展示中である。
弘化3年(1846)の秀吉250回忌に当たり、長浜町人が秀吉の神前に奉納した金燈籠(かなどうろう)も出色の展示資料である。「火袋(ひぶくろ)」の透(す)かしに、「御神忌二百五十回 奉納長浜中」とある。同時に石燈籠も寄進しており境内に現存する。江戸時代において、豊国神社の前身社が実際に存在したことを示す、唯一と言ってもよい重要な資料である。
豊国神社に安置される秀吉遺愛の石・虎石(とらいし)の由緒を記した木版画も展示中。垣根と石積に囲われた虎石の左に由緒が記される。もと長浜城内の欄干(らんかん)(豊公園駐車場付近)にあったが、粗末に扱っていたので「祟(たた)り」があり、大通寺の新御座(しんござ)の庭石に運ばれた。しかし、石が城に帰りたいと訴えるので、旧城内にあたる豊国神社に移設したとある。令和4年度の長浜城下町遺産にも選定された。9月8日、午後1時30分から展示説明会が同館である。

虎石(豊国神社所在)
淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司
(滋賀夕刊 2024年8月20日掲載)




