今年も、8月15日の午後7時20分頃から、長浜八幡宮の放生池(ほうじょういけ)で「蛇(じゃ)の舞」が奉納される。「蛇の舞」は長浜市永久寺町の「蛇の舞」保存会(昔は「蛇組(じゃぐみ)」といった)の8軒によって行なわれるが、次の3幕からなる。第1幕では夜の放生池で蛇が海女(あま)の持つ珠(たま)を追いかける。第2幕でも全長10メートルに及ぶ蛇が池中を遊びまわり、「胴ずり」という鱗(うろこ)の中にいる虫取りの仕草もある。第3幕では蛇は龍神となって舞い狂い、火を噴いて昇天する。約30分の演目である。
滋賀県選択民俗文化財となっているが、龍が収められた旧箱に延享(えんきょう)4年(1747)の銘があることから、江戸中期からは行なわれていた。もともとは、永久寺村の八坂神社弁天池で、2匹の龍を使って奉納されていたが、同村から出た八幡宮の俊蔵院(しゅんぞういん)によって長浜八幡宮へ奉納場所が移されたものと伝える。同地に移った理由や時期は不明だが、第二次世界大戦後からは八幡宮で奉納さていることが知られる。
この「蛇の舞」の起源については昔話がある。今から450年前というから、秀吉の時代の話である。坂田郡永久寺村(長浜市永久寺町)の大工・井上八右衛門の弟子は、仕事熱心で、神々に対する信仰にも篤(あつ)い人物だった。しかし、弟子は娶(めと)った嫁が姑(しゅうとめ)との仲が悪く困り果てていた。ある日、妻は機(はた)で織物をしていたが、その縞柄(しまがら)の良し悪しで姑と口論になり、嫁は織っていた織物をプツリと切断し、そのまま家を飛び出して、村の北を流れていた水の深みに身を投げてしまった。
夫の大工は家に帰ると、その話に驚き後を追うが、嫁はすでに投身した後。すると一天にわかにかき曇り、真っ暗闇となり大雨が降ってきた。そこに、妻が身を投げた辺りから、一匹の龍が現われ昇天していくのが見えた。その場所は「嫁が淵(ふち)」と呼ばれるようになる。その後、大工は親孝行に努めたが、後々の戒めとして龍の首を木彫りにし、胴体も作って神社に奉納した。永久寺村では旱魃の時、神前にこの龍の舞を奉納して、雨乞いをするのが通例となった。この舞をすると、1日・2日の内に必ず雨が降ると言われていた。
永久寺の「蛇の舞」では「火」が多用される。池の周りには篝火(かがりび)がたかれ、煙幕(えんまく)の中から龍が登場する。幕間は花火で演出され最後に龍は火を噴き、花火の雨が降る。近江の祭礼は、曳山祭りや太鼓踊りなど、いくつかに分類されるが、火祭りもその一つである。湖北では、米原市清滝の「大松明(おおたいまつ)」(米原市指定民俗文化財)が知られるが、この「蛇の舞」もその代表例。是非、お盆の夜、帰省した家族と観覧したい。

蛇の舞(平成27年8月15日撮影)
淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司
(滋賀夕刊 2024年8月6日掲載)




