長浜と旧山東町(米原市)を隔てる横山丘陵は臥龍山(がりゅうざん)とも呼ばれる。龍(りゅう)が伏(臥)しているように見えるからだ。丘陵上には円墳や前方後円墳など48基が確認されるが、丘陵先端は、龍(りゅう)の鼻(はな)に当たるので龍ヶ鼻(たつがはな)と呼ばれる。ここには、龍ヶ鼻古墳群が存在し、前方後方墳一基、円墳二基、方墳二基が現存する。さらに、龍ヶ鼻には滋賀県指定史跡となっている巨大な前方後円墳・茶臼山(ちゃうすやま)古墳がある(以上は、48基に含む)。
この龍ヶ鼻には、昭和43年(1968)まで、北を流れる姉川との間に、延長わずか61㍍の龍ヶ鼻トンネルがあった。実は、ここを通った関ヶ原線(長浜―関ヶ原間の鉄道)が明治16年(1883)に開通した時は、トンネルはなく切通(きりどお)しであった。明治22年(1889)の東海道線全通にともない、鉄道が米原経由で京都へ向かうことになり、この線路は客車を運ばなくなる。ただ、明治24年(1891)1月に貨物線として復活するに際して、前年4月に冬期の雪崩れ防止のため掩蓋(えんがい)(覆(おお)い)としてトンネルを築いたのである。
トンネルの旧状写真を見ると、上部が平坦で山の斜面が見えず、現在のスノーシェッドの草分けであったことが知られる。同じ目的で設置されたトンネルに、東海道線の米原―彦根間に現存する仏生山(むしやま)トンネルがある(現在、鉄道は通らず)。こちらは複線用に穴が2本横に並ぶ単線並列トンネルで、土石の崩落を防ぐ掩蓋であった。さらに、旧北陸線山中ロックシェッド(福井県南越前町)は、日本遺産の一つにもなっているが、これも落石防止用で、掩蓋トンネルに近いものがある。
龍ヶ鼻トンネルについては、地元でこんな話を聞いたことがある。一つは、トンネルがない鉄道では、一流の路線とは言えないので、切通しでも十分だが、わざわざトンネルを造った。もう一つは、横山丘陵に臥す龍が鉄道開通により、鼻を出して姉川の水を飲めなくなった。そこで、その通り道としてトンネルを造り、線路上部を渡り水が飲めるようにした、というもの。後者については仏生山トンネルについても同様な話があるらしい。
雪害防止の掩蓋と記すのは、権威ある『日本国有鉄道百年史』なので、この伝説二つはもちろん根拠不明確な「げなげな話」である。一見無益に思える姿が、こんな伝説を生んだものであろう。鉄道は明治以降の地域の誇りであるから伝説を生む。貨客共に運び、地域の経済に資して来た。これは、現在の車社会になっても同様である。辰(龍)年で北陸新幹線敦賀駅開業の今年、鉄道を誇るべき地域文化として見る視点も復活して欲しい。

龍ヶ鼻トンネル跡(米原市側から撮影)
淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司
(滋賀夕刊 2024年1月11日掲載)




