長浜市曳山博物館は、受付横の無料ゾーン「曳山文化ギャラリー」で、大正13年(1924)に開催された「長浜開町350年祭」の様子を写した写真14枚の展示を行なっている。長浜豊国神社が所蔵し、昨年発見された「長浜開町350年祭」アルバムに貼られていた写真を拡大展示しているもので、年末年始の休館(29日~3日)はあるが、1月12日まで開催されている。
令和5年(2023)も後わずかとなったが、秀吉開町の年から450年目にあたり、種々の形で記念行事が市内で展開した。江戸時代には秀吉を前面に出した行事は行ないにくかったが、近代に入ると新たに祀(まつ)られた豊国神社(南呉服町)において秀吉に関する神事が斎行された。その一環として、大正13年4月17日から19日まで3日間、長浜開町350年を記念した大祭が、豊国神社の主催で開催されている。
撮影されたモノクロ写真に写された350年祭では、豊国神社において祭典が行なわれ、巫女(みこ)が橋上に並んで神前へ供物を運ぶ「伝供(くでん)」、戦国さながらの鎧(よろい)をつけた武者行列、それに能舞台での能楽上演もあったようだ。豊国神社から東へ行ったお旅所前においても、大手通りの沿道に多くの人を集めて、鳳輦(ほうれん)や稚児の行列があった。
350年祭では、秀吉ゆかりの寺院にも豊国神社の神官が出向き参拝している。知善院(元浜町)は江戸時代において、秀吉の年忌法要を行なって来た寺院であるが、大坂城から移されたと伝える秀吉木像前での参拝が写真に残る。妙法寺(大宮町)は秀吉の長男とされる羽柴秀勝(墓石には「朝覚」とある)を祀る寺院で、この時は旧墓所にあった廟所(びょうしょ)前で神官が祝詞(のりと)をあげている。
長浜市街地の田町東に所在する延長坊には浅井三代の墓があったが、ここでも神官が祝詞をあげる写真が残る。この浅井三代の墓は、昭和37年(1962)に平方町の徳勝寺に移転するが、延長坊時代の三代墓を写した歴史資料として貴重である。それにしても、秀吉の敵将まで配慮しているのは驚きだ。その他、秀吉が復興した長浜八幡宮へも神官や巫女が出張している。
政府の政策である神仏分離よりも、秀吉の町としての一体性を重視した行事になっていた所に長浜らしさを感じる。何よりも、町をあげての盛り上がり様が窺い知られる。昭和48年(1973)には、開町400年祭が同じく豊国神社で開催され、神社南に「開町400年記念碑」が建立された。今年の450年祭については、豊国神社内に建立された秀吉銅像が、後世に令和5年の450年祭を伝えるものとなろう。
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長浜八幡宮お旅所前での開町350年神幸祭(稚児行列など)
淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司
(滋賀夕刊 2023年12月12日掲載)




