【湖北史記 其の21 】姉川合戦と徳川家康本陣

 大河ドラマ『どうする家康』の放映が始まった。そこで、北近江の家康関連の史跡を紹介しよう。姉川合戦は元亀元年(1570)6月28日、浅井・朝倉連合軍と、織田・徳川連合軍が戦ったものだ。信長・秀吉・家康が一堂に会した合戦は、戦国合戦多くしいえども、この姉川合戦と長篠合戦しかなく、全国的にも大変有名で、その名は多くの歴史ファンに知れ渡っている。

 観光客が姉川古戦場を訪ねる場合、通常は旧野村橋の北詰にある「姉川戦死者之碑」に案内され、そのまま帰る場合が多い。しかし、この合戦に関わる史跡は、この他にも多く残っている。参陣した各大将の本陣跡も伝承があり、浅井長政は長浜市野村町の集落北東にある「陣田(じんでん)」と言われる場所とされる。さらに、朝倉氏の大将・景健(かげたけ)の本陣は、三田町の三田村氏館とされる。ここは国指定史跡になっている。

 織田信長の本陣は東上坂町の「陣杭(じんご)の柳」、そして徳川家康の本陣が同町の岡山である。この岡山は東上坂集落の北、千草町の東に接するようにある小丘。この丘の南側には、江戸時代以来「流岡(ながれおか)神社」が鎮座していたが、明治41年(1908)に東上坂集落内の上坂神社に移された。ただ、今も岡山には旧社が残り、東上坂町の方々によって信仰されている。

 その神社の社殿右に杉の大木があるが、合戦当時から存在し、その上部が枯れているのは、合戦の時両軍の矢が飛び交って枝を折ったからという伝承も残る。合戦後、ここで指揮をとった家康が勝利したことから、小丘の名前を「勝山(かつやま)」と呼ぶようになったとされる。関ケ原合戦前日に家康が陣をおいた美濃赤坂宿(岐阜県大垣市)に近い岡山も、家康の勝利を記念して戦後「お勝山(かちやま)」と呼ばれるようになったのと同じだ。

 姉川古戦場の「勝山」だが、江戸時代は大変有名で、大勢の参拝者もあった痕跡(こんせき)がある。というのは、江戸時代の「近江国絵図」の多くに、この「勝山」がポイントされているからだ。「近江国絵図」と言えば、現在の滋賀県地図に当たる。そこには名だたる寺社しか記載されないが、木之本地蔵や竹生島と肩を並べて「勝山」の表記がある。例えば、江北図書館が所蔵する江戸中期の「近江国絵図」にも、「勝山」の文字があり横には「流岡神社」の記述まである。江戸時代は徳川幕府の時代。その初代将軍である権現様(家康)に関する史跡は、大切にされた表れだろう。

 今年の大河ドラマは、姉川合戦も描くはずである。姉川古戦場は説明看板などが建てられ整備されている。家康大河ドラマの年に、一度古戦場を巡ってみるのも良いかもしれない。

「勝山」とも呼ばれる東上坂町の岡山

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2023年1月25日掲載)

掲載日: 2026年05月01日