【湖北史記 其の13】浅井長政と小谷落城

 今年(2022年)は、浅井久政・長政の四百五十回忌に当たる。小谷城が落城し、浅井親子が自刃して果てたのは、天正元年(1573)9月1日。没後450年と言った場合は、来年の2023年になるが、仏事の場合は一年前に行なわれる。また、現在の9月1日は太陽暦。戦国時代は太陰暦だから太陽暦に換算すると、9月1日は今年の場合、9月26日になる。季節感としては、残暑の頃ではなく初秋の落城となる。

 元亀元年(1570)の姉川合戦以来、4年間にわたり織田信長と戦かって来た浅井氏だが、前年には信長の本陣が虎御前山城に築かれ、長政等の屋敷があった清水谷にも、織田軍が侵攻する有様で、落城は時間の問題となっていた。落城の前月8月には、浅井氏重臣で山本山城主の阿閉貞征(さだゆき)も織田方に寝返り、小谷城は孤立無援となった。8月29日(陰暦で9月1日の前日)には、小谷城京極丸に羽柴秀吉が総攻撃を行ない、久政を自刃させ、翌日は本丸から赤尾屋敷へ長政を追い込み自刃に追いやった。

 この小谷落城に関して「浅井長政最期の感状」と呼ばれる文書が残っている。片桐孫右衛門尉直貞(片桐且元の父)宛てたもので、現在東京の一般財団法人石川武美(たけよし)記念図書館が所蔵するものだ。長政自刃の前日(久政自刃当日)に当たる8月29日に出されたもので、縦9・8㌢、横23・3㌢の小片に書かれており、密書として渡された感がある。直貞は小谷落城後の天正19年(1591)まで生き長らえている。

 内容を要約してみよう。「今度の落城は思いがけずのことであったが、とうとう敵方に包囲され本丸一つが残る状態になった。他の家臣は離反して城を去る中、直貞が私の側におり籠城を続ける忠義は、他に比べる者がないものである。その感謝の念はこの書中に書けないほど感じている。」形勢が悪くなっても自分に仕える直貞への感謝の念と、多くの家臣に裏切られた長政の無念を察して余りある。

 浅井長政や久政が、小谷落城前の8月中に出した家臣への感状はいくつか現存するが、この書状はその中でも一番自刃の瞬間に近い日時に書かれたものだ。通常の感状では、恩賞として領地を与えることも同時に記されているが、さすがに死の前日では効力がないと思ったか、主君から家臣への感謝の念のみに終始している。

 来る9月1日には浅井氏の菩提寺徳勝寺で法要があり、3日には小谷城戦国歴史資料館友の会の主催で、小谷城に登山するイベントも企画されている。今年の9月1日は防災への備えと共に、四百五十回忌の浅井氏親子や落城した小谷城へも思いを馳せたい。

「浅井長政公自刃之地」の石碑

 

淡海歴史文化研究所 所長 太田浩司

(滋賀夕刊 2022年8月30日掲載)

掲載日: 2026年04月16日